北朝鮮からの「脱北者」は現在韓国に約3万人が暮らす。社会の仕組みや環境の違いに慣れず、その暮らしは決して楽ではないという。そんな中、奮起して起業し、成功を収めた脱北者たちがいる。彼らはどのように脱北し、ビジネスに取り組んだのか。(取材・文=申美花/Yahoo!ニュース 特集編集部)
![韓国でビジネスに挑む「脱北者」――逆境越えた成功と広がる夢 - Yahoo!ニュース](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/270b1ecd6c2e1fd66f3a3e616651fa8a770242e5/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fnews-pctr.c.yimg.jp%2Fr%2Fiwiz-tpc%2Fimages%2Fstory%2F2018%2F6%2F7%2F1528368227_1528368209_001_Dappokusya-x828-y552.jpg)
自意識過剰で、刹那的な生き方を好むポーズを崩さない、つまりは、よくいる根暗なサブカル青年だった私は、自分は30歳までには死ぬだろうと思っていた。 気がつけば、生きる筈のない30代も終わろうとしていて、あの時代とここは地続きだったのか、という驚きとも諦めともとれない感情を抱きながら、もはや、はっきりとした感傷にも浸ることなく、無事、私は中年になった。 フリーランスのプログラマにとって、年度末は稼ぎ時だ。 その日も私は、システム開発のヘルプとして駆り出されて、依頼元である制作会社のオフィスで作業していた。 作ろうとしているものは平凡なもので、長い経験のある自分としては、スケジュールがタイトである以外は、手慣れた仕事だと思った。不安があるとすれば、システムの基本になるフレームワークを実際に仕事で使うのが初めて、ということだった。 だが、私の得意なWebシステムであることに違いはない。 フォームか
50万円という金額をどう思うのか。 ひとによって感じ方は違うだろうけど、多くの人にとって、少なくはない金額だろう。だがうちの祖母にとって、それを失うことはランチを逃すことと同じような感覚のようだ。 孫の自分がいうのもおかしな話だが、なかなか良くできた年寄りだ。 彼女は昭和7年に生まれ、戦中戦後の動乱期の中で育った。本人曰く「勉強はよくできた」そうだが、当時では珍しい女学校を卒業し、親族が役員をしていた大阪十三の製薬会社に勤める。私の母が生まれたあとも、歯医者で事務の仕事などをこなし、今でいうところの「バリキャリ女子」に近い生き方をしてきたようだ。 書道は師範の免許を持ち、三味線や洋裁なども嗜んできた。多趣味であると同時に、「ひとと仲良くなる」能力に関しては、大阪のオバちゃんの中でもトップクラスだ。 見ず知らずの人でも、おばあちゃんが誰かと仲良くなるのには5秒も必要ない。先日、一緒にケーキ屋
1.優先順位をつける……すべては実現できない (1)ノートを用意する (2)はじめようとすることを1ページの最初に書く。(例:「英語を勉強する」) (3)(英語を勉強すると)どんないいことがあるかを、なるべくたくさん書きだして、リストにする。 (4)人生でやりたいことを、これもなるべくたくさん書きだして、リストにする。 (5)(3)と(4)のリストを見比べて、「英語を勉強する」が〈人生でやりたいことリスト〉の第何位に入るか、どれより上で、どれより下かを確認する。 ランキングで該当する順位のところに、赤字で「英語を勉強する」を書き入れる。 2.時間を確保する……人生は有限である (1)日頃のスケジュールを1週間分ノートに書き出す。 (2)1週間のスケジュールの中で「英語を勉強する」にあたって〈犠牲にするもの〉を決める。 〈人生でやりたいことリスト〉で、「英語を勉強する」よりも下位にランキング
あまり自覚はないのだが、かつて僕は社畜だったらしい。インターネットで職場の愚痴を書き連ねているなかで指摘されたのだ。あなたは社畜だと。「海の家の店長代理として炎天下30日連勤」や「朝4時ヘルプ出勤午前中いっぱいマッシュポテト等仕込み調理従事/午後からは通常勤務(営業職)復帰18時まで」等々、今振り返ってみると、我ながら都合よく会社に使われていたと感心してしまうが、そういう僕の仕事ぶりが社畜と揶揄されてもまあ仕方ないとは思う。一昨日、数年間のリーマン生活を経て脱サラしてコンサルをやっている知人が僕の会社へ来た。商談である。どこかで僕がそれなりの立場にあることを聞いたらしい。簡単なプレゼンのあと、彼は「会社勤めをやめて良かった」「自分の力で未来を切り開くのは楽しい」「会社員なんてよくやっていられるな」と言った。さすがに社畜という言葉は使わなかったけれども、言わんとしていることの意味は同じだった
「陰謀論」に騙されるのはどんな人か。累計47万部のベストセラー『応仁の乱』(中公新書)の著者・呉座勇一氏は「高学歴で自分に教養があると思っている人ほどよく引っかかる。たとえば歴史学の専門家が陰謀論者になることも多い」という。呉座氏はそうした陰謀論を新著『陰謀の日本中世史』(角川新書)で徹底論破している。陰謀論に共通する「パターン」とは――。(後編、全2回)/聞き手・構成=稲泉 連 数々の陰謀論の特徴を抽出しパターン化 ――本書を執筆する過程で、呉座さんは多くの陰謀論の本を読み込んでいます。そのなかで、どのような特徴が見えてきたのでしょうか。 今回、本の中で約20の陰謀論を検証しました。保元の乱を手始めに、源義経をめぐるもの、足利尊氏や関ヶ原の戦いについての陰謀論などを取り上げましたが、陰謀論を語る人たちの本をひたすら読んでいて抱いたのは、よくこれほど想像を膨らますことができるな、という感想
YouTubeに包丁の動画を投稿し続ける「圧倒的不審者の極み!」というYouTuberがいる。2016年にチャンネルを開設し現在の登録者数は50万人近く、総視聴回数は約7000万回を超えた。HIKAKINやはじめしゃちょーのような「大人気YouTuber」とまではいかないが、投稿された動画はどれもYouTube急上昇ランクに続々とランクインする人気だ。 注目を集め始めたのは2017年11月に投稿した「骨董品店で買った錆包丁を18時間手作業で研いだ結果」という動画。タイトルの通り“錆びた包丁をひたすら研ぎ続けるだけ”というトガった内容だったにもかかわらず、この動画は執筆時点で1000万回以上再生されている。 飛躍のきっかけとなった錆包丁の動画。研ぎ終わった頃には見た目もピッカッピカで、スポンジをサクッと切断するほどの切れ味に 関連記事:「錆びた包丁」を約18時間研ぎ続けてみた → スポンジを
今年3月。四日市市のホテルで開かれた送別会に、大勢の警察幹部や記者が集まりました。80歳を機に引退する私たちの先輩、服部良輝記者の労をねぎらうためです。 「厳しいけど、スクープしたときには記者冥利に尽きる。やっぱり人間長生きしないとだめですね」(中京テレビ三重支局 服部良輝記者) 服部記者は半世紀に渡り、日々発生する事件や事故の現場に駆け付け、視聴者にニュースを届けてきました。大ベテランにも関わらずその謙虚な取材姿勢は、私たち若手記者の尊敬の的です。 ニュース原稿をパソコンで書くのがあたり前となった今でも、服部記者は“手書き”を貫いています。 「(絶対に3Bの鉛筆なんですか?)そうそう、これが一番書きやすい」(服部記者) 昭和の初め、服部記者は三重県津市で、7人兄弟の4男として生まれました。戦争の影響もあり家計は苦しかったといいます。 「高校受験に失敗してしまって、橋の建設作業員をしていた
アメリカンフットボールの定期戦での悪質な反則行為で関学大の選手を負傷させた日大の選手の会見が22日、都内の日本記者クラブで行われた。 会見に出席したのは日大の宮川泰介選手(20)。丸刈り頭で報道陣の前に現れた。 宮川選手は冒頭で関学大の選手関係者へおわびの言葉を続けた上で「やる気がないならやめろ。相手のQBをつぶすなら試合に出してやる」と指示されたことを明かした。さらに「監督、井上コーチから1プレー目からQBを潰しに行け。試合前に井上コーチから『できなかったじゃ済まされない』と言われた。秋の関西学院大の試合でQBがケガをしていれば得だろう」などと生々しく当時の追い込まれた状況を語った。 そして「アメフトを続けるのが苦痛。自分にアメフトを続ける権利はない。やるつもりもない」と競技から引退することを明言した。全日本大学選抜にも選出されるなど将来を嘱望された選手だったが、今月上旬には内田前監督か
最初から再生 続きから再生 ↓以下はオプション。反映させるには「最初から再生」ボタンを押してください speed: 1 ×閉じる 東日本大震災後、改めて「絆」の重要性を痛感した日本人。様々な場所で「誰かとつながること」の大切さが叫ばれています。SNSをはじめとして、“絆を確認するツール”も大流行。けれど、多くの人が友達作り・友達付き合いに励む一方、ほとんど友人がいない“孤独女子”もいるはず。 友人の数に関する統計には様々なものがある。社会人の平均は10人前後だけれど、どんな調査を見ても「友達はいない」という層は5〜6%は存在する。社会人になって、それなりに充実した人生を送って、信頼できる同僚や愛すべき家族もいるけれど、「友達」と呼べる相手は極めて少ないか、ゼロ——。そんな人もいるはずです。 「絆全盛」の今、友達が少ない人はまずいことなの?(聞き手/日経ビジネス編集部デスク・鈴木信行) 諸富
こんにちは、借金玉です。この度、メンヘラ.jpさんに「本の広告出して」って言ったら「現物決済で原稿書いて」って言われたので、原稿を書かせてもらうことになりました。そんなわけで、この記事の下の方に本の広告が出てると思いますので、何卒よろしくお願いします。 発達障害、あるいはグレーゾーン、あるいはよくわからないけど社会がダメな人のためのハウツー本になっております。仕事術と言いつつ一番言いたいことはそういうことじゃない、そんな感じに書きました、よろしくお願いします。 そんなわけで、今日はメンヘラ・アイデンティティの怖さというお話をしたいと思います。僕は発達障害者ですが、二次障害にガッツリ重い双極性障害(躁鬱病)があります。これで果てしなく人生トチって来ました。双極性障害とは「完全に動けません、もうだめです」というあの鬱期と「俺はなんでもできる!」という躁期を交互に繰り返す病気なんですが、僕は躁も
(作者より)ええと、これから語ることは、自分語りのようなものだ。十年以上ライトノベル市場から離れていた人間が、どうやって細々とはいえ戻ってきたのか、という話だ。 何かの足しになるかは疑わしい。ただ、消える作家は今も昔も多い。これを書いている自分とて、また消える可能性は大いにある。でも、誰かの参考にでもなればいーかな、と思って書こうと思った次第だ。 ——では、はじまりはじまり。 2004年のことになる。デビュー作の電撃文庫「ストレンジロジック」を書いた後、ぶっちゃけた話行き詰まっていた。 (リンクをクリックで商品ページに飛びます。今新品無いけどー!) いやずいぶん早いな! って言われるかも知れないけど、全く創作蓄積の無いままデビューしてしまった奴である。お許しいただきたい。 というか、ストレンジロジックの2巻がポシャったのである。原因はいくつかあるが、最も大きなところは自分の遅れだ。一応書き
anond:20180511170729 これ見て思い出した。 昔母が癌で胃を全摘出する事になった。 母は私に「お父さんには内緒にしておいて」と言ったが、私は何で秘密にする必要があるのか解らなくて、不安で仕方なく父に話してしまった。 父は気の小さな人で、癌にかかる医療費の不安から爆発した。 父は毎日母に責め立てた。 母が「ガン保険に入ってるからお金の心配はない」と説明しても、「会社で聞いてきたぞガンは金がかかる」と狂ったように責めた。 母は私に怒った、私の責任だ。 私が目の前にいたら流石に母に詰め寄ったり詰ったりしないので夜も母の部屋に居た。 夜中に父が檻の中の肉食獣のように部屋の中を睨みながら母の部屋の前を歩いたりもした、手術前の母に噛みつかせるわけにはいかない狂った肉食獣の檻になったような気分で背筋が震えていた。 父は良いところもあったが、この数日で私の中の父への愛や信頼は音を立てて崩
定年したら隠居して、のんびりと暮らしたい。そう考えている人も多いだろう。『定年入門』(ポプラ社)でノンフィクション作家の髙橋秀実氏が取材した「隠居生活」を送るある男性は「とにかくダラダラと楽をしたくて、再就職どころか習い事もしていません。釣りもカネがかかるから止めました」と語る。はたして、そんな老後は本当に幸せなのか――。 ※本稿は、髙橋秀実『定年入門』(ポプラ社)の一部を再編集したものです。 「イヤでイヤでしょうがなかった」 「私の父は工場勤めでした。勤務は朝8時から午後5時まで。工場と社宅の往復の日々。その生活が私の理想でした。そういう生活をずっとしたかったんです」 しみじみ語るのは大手スーパーを60歳で退職した竹山亘さん(63歳)である。大学卒業後、スーパーに入社して勤続38年。定年は65歳だったが、「もうイヤでイヤでしょうがなかった」そうで早期に退職したという。 「要するに、スーパ
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