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2010年7月15日のブックマーク (2件)

  • 傍論(5・完) - おおやにき

    もう一点は、いやしかしこれ「平和的生存権」を評価する側からも微妙すぎる判決ではあるまいかということである。件判決は「控訴人らは、それぞれの重い人生や経験等に裏打ちされた強い平和への信念や心情を有している」と評価し、「そこに込められた切実な思いには、平和憲法かの日国民として共感すべき部分が多く含まれているということができ、決して、間接民主制下における政治的敗者の個人的な憤慨、不快感又は挫折感等にすぎないなどと評価されるべきものではない」と述べるなど、「平和的生存権」に関する原告側主張を強力にサポートしているわけである。 また、件派遣に関する事実認定を見ると「多国籍軍の活動は、単なる治安活動の域を超えたものであって、(......)泥沼化した戦争の状態になっているものということができる」と指摘し、そのような「国際的な武力紛争」が現に進行している「戦闘地域」において「多国籍軍との密接な連携

  • 傍論(4) - おおやにき

    以上からは、名古屋高裁判決において自衛隊イラク派遣を違憲と判示した部分についても、それを簡単に《傍論》なので無視できると片付けるようなわけにはいかないということがわかる。さて、ではそれは「判例」なのだろうか。 この問いに対する態度は、大きく二つに分かれる。まず、前述の通り「最高裁判所のするであろう判断」を予測する材料が「判例」であると考え、「真の意味で拘束力があるのは最高裁判所の判例だけだ」(中野他前掲、23頁)と言い切る立場がある。下級審での判断がいくらあろうがそれは最高裁の態度を示しているものとは言えないので、将来を予測する根拠にもならないというわけだ。 この観点からは、名古屋高裁判決などというものには――《判決理由》か《傍論》かに関わらず――そもそも判例としての資格はないということになる(最高裁のものを「判例」、下級審のものは「裁判例」と呼び分けるような習慣も、このような見方を前提と