2008年03月28日 「否定」に対する嫌悪感について suVeneのあれ: 「何故ですか?」「理解できない」に潜む否定的意味 において、「何故ですか?」と問うことが、「否定」的な意味と「質問」としての意味を持つというようなことを書いた。そして、やや意識してではあるが、「否定」的な場合の例を、非難めいた価値観を織り交ぜたものとした。 しかし、本来俺が考える、主張に対する「否定」は、それほど嫌なイメージはない。寧ろ、不特定多数に対する意見を交換できる場所ならば、好ましくあることも多い。 嫌な「否定」と嫌じゃない「否定」 まず、嫌な否定の話。人は何故、主張に対する否定的意見に嫌悪感を持つことがあるのだろうか。 ひとつは、(全人格とは言わないが)自分の価値観の一部である「感受性を否定された」と感じるからではなかろうか。 これは、「ネガティブコメント」などにも絡む問題だとは思うが、「○○だと思う」