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ブックマーク / magazine-k.jp (9)

  • アイヒマンであってはならない

    今月のエディターズノートを書くのはとても気が重かった。題材は早くから決めていた。永江朗さんが『私は屋が好きでした――あふれるヘイト、つくって売るまでの舞台裏』(太郎次郎社エディタス)というを出したことを知り、すぐにこれを取り上げようと考え、すでに読了していた。 しかし読了後、うーむと考え込んでしまった。 このは、自身でも書店員の経験があり、専業ライターとなった後は長年にわたり全国の屋に足繁く通い続けている永江さん(私も書店の店頭で何度もお会いしたことがある)が、屋に対して「好きでした」と過去形で語らずにはいられない昨今の状況についての、渾身のルポルタージュである。 中心的な話題は「ヘイト」だ(もっとも、この言葉を使うにあたり永江さんはいくつか留保をつけている)。いわゆる「嫌韓・反中」、つまり近隣諸国に対する排外主義的な考えを明示的に、あるいは暗黙のうちに主張する出版物のことで

    アイヒマンであってはならない
  • 無名の新人が書いた地味な分野の本に、ありえないほど長いタイトルをつけて売ろうとした人文書出版社の話

    ある日、いつものようにツイッターを立ち上げてタイムラインをぼんやり眺めていたら、なんだかとてつもなく長いタイトルのについてのツイートが流れてきた。発信者はそのの版元の編集者で、題名は『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する』――カギカッコを含めて60文字もある。ただ長いだけではない。一つひとつの言葉に見覚えはあるが、そのつながりがよくわからない。いったい「舞姫」と「アフリカ人」がどうつながるんだろう? タイトルだけではまったく内容の想像がつかないので、書店にでかけたときに立ち読みをしてみた。思ったより、ちゃんとしてる――というのも変だが、そう感じた。なにしろ版元はあの柏書房である。私はアルベルト・マングェルの『読書歴史 あるいは読者の歴史』やアレッサンドロ・マルツォ・マーニョの『そのとき、が生まれた』

    無名の新人が書いた地味な分野の本に、ありえないほど長いタイトルをつけて売ろうとした人文書出版社の話
  • 本を残す、本を活かす、本を殺す

    このところ、「をどう残すか」ということをよく考える。個人の蔵書をどうするかといったレベルの話ではなく、物理的な書物だけの話でもない。とはようするに「残された記録」のことだとすれば、考えるべきはさまざまな著作や文物を後世に伝えるための仕組み全体だ(往復書簡で藤谷治さんが書いていたとおり、のなかには著者自身は後世に残すつもりなどなかったものも含まれる)。たまたま先月は、そうしたことを考えさせられる出来事が続いた。 「ジャパンサーチ」ベータ版の公開 まずは明るいニュースから行こう。国立国会図書館は2月末にベータ版(試験版)として「ジャパンサーチ(JAPAN SEARCH)」を公開した。これは国立国会図書館自身が所蔵する書籍や資料だけでなく、日国内のさまざまな文化資源にかかわる36(公開時点)のデータベースをウェブ上で横断検索できるようにしたいわゆるナショナル・デジタル・アーカイブで、所蔵

    本を残す、本を活かす、本を殺す
  • 書誌情報の「脱アマゾン依存」を!

    去る8月25日、図書館蔵書検索サービス「カーリル」のブログに掲載された「サービスに関する重要なお知らせ」を読んで、驚いた人は多いと思う。この日のブログにこのような一節があったからだ。 カーリルでは、Amazon.com, Inc.が保有する豊富な書誌情報(のデータベース)をAmazonアソシエイト契約に基づき活用することにより、利便性の高い検索サービスを実現してきました。現在、Amazon.comよりカーリルとのAmazonアソシエイト契約が終了する可能性を示唆されているため対応を進めています。 Amazonアソシエイト契約の終了は現時点で決定事項ではございませんが、カーリルではこの機会に、Amazonのデータを主体としたサービスの提供を終了し、オープンな情報源に切り替える方針を決定しました。現在、新しい情報検索基盤の構築を進めておりますが、状況によっては一時的にサービスを中断する可能性

    書誌情報の「脱アマゾン依存」を!
  • 出版営業が『まっ直ぐに本を売る』を読む

    4年前の秋の夕暮れ。1時間に1のローカル線の駅から歩いて20分。バスも廃線となった北関東の幹線道路脇を私はテクテクと歩いていた。世間では涼しくなってきたとほざいているが、注文書を入れた重いかばんとともにいるので、汗だくである。 「せんせー、せんせー、せんせー、せんせー」 ロードサイドを中心に展開するとあるチェーン書店の自動ドアを開けるなり、就業時間を終え、すでに私服に着替えていた彼女が呼びかける。何度も呼ぶのは癖なのか何なのかよくわからない。 「せんせー、『割戻し』って歩戻しのこと?」 書店員なのだが、簿記の学習中のため、アポは「退勤後!」というご指定である。要するに、営業で訪問しているはずなのだが、やっていることは勉強の指導である。こっちは汗を引かせたいので一服したいところなのだが、お構いなしに話を続ける。 「ウチらだと『歩』じゃん。『割』の方が大きいよね」 「あー、似ているけど違うか

    出版営業が『まっ直ぐに本を売る』を読む
  • ニューヨーク公共図書館の英断

    ニューヨーク公共図書館のデジタルコレクションに収められている67万点を超えるデジタル画像のうち、パブリック・ドメイン(著作権保護期間切れ)である18万点の高解像度データが、ウェブ経由で簡単にダウンロード&再利用できるようになりました。そのことを伝える今年1月5日付の同図書館のブログ記事には、こうあります。 Today we are proud to announce that out-of-copyright materials in NYPL Digital Collections are now available as high-resolution downloads. No permission required, no hoops to jump through: just go forth and reuse! ニューヨーク公共図書館では以前より、コレクションの低解像度データ

    ニューヨーク公共図書館の英断
  • 私設雑誌アーカイブ「大宅文庫」の危機【前編】

    「知らなかった、大宅文庫が経営の危機にあることを」――。 8月8日、このような一文から始まる書き込みをFacebookにアップした。すると瞬く間に「拡散」され、5日後には「いいね!」が497人、「シェア」が276件。Facebookと連動させているTwitterのほうは、「リツイート」が674件、「お気に入り」が272件……。正直、驚いた。こんなに話題になるとは思ってもいなかった。その一方で、「みんな当に大宅文庫に関心があるの?」と訝る気持ちも生まれてきた。 公益財団法人・大宅壮一文庫(以下、大宅文庫)は、東京都世田谷八幡山にある雑誌専門の私設図書館だ。その名の通り、ノンフィクション作家で評論家の大宅壮一(1900〜1970年)が蒐集した膨大な雑誌資料が元になっている。大宅壮一といえば「一億総白痴化 」や「駅弁大学」「男の顔は履歴書である」といった名言・語録でも知られているが、「は読む

  • 大学は《自由》だから息苦しい

    なんとも溜息の出るを読んでしまった。 近代日文学を専門とする名古屋大学准教授の日比嘉高『いま、大学で何が起こっているのか』(ひつじ書房、2015・5)は、文部科学省を中心に大学改革の名で現在唱えられている、文学部の縮小・廃止政策や人文社会系不要論に対して、社会全体の自由と多様性の観点から危機感を表明する警世の書である。もとは日比のブログで発表されたものだ。 溜息の原因は、文系学問に対してほとんど敬意のない文科省やその主張を後押しする世の空気感を改めて確認したことも当然ある。ただ、それ以上にがっかりしてしまうのは、『いま、大学で何が起こっているのか』というが、好意的に書けば正論すぎて、率直に書けばフツーすぎて、単純にツマラナイということにある。 急いで断っておかねばならない。私は在野(大学に所属しない)研究者である。それ故、「ツマラナイ」などと書くと、官学者のものなどポジショニング的に

  • くすみ書房閉店の危機とこれからの「町の本屋」

    地下鉄東西線の大谷地駅を降りると幹線道路沿いに大型電気店とパチンコ店、ショッピングモールが見える。どこにでもある何の変哲もない郊外だ。強いて言えば6月末でも夕方になると肌寒い点が札幌らしさかもしれない。そのショッピングモールの一角に次々と斬新で画期的な企画で成功を収め、メディアを通じて全国からも注目を集める「町の屋さん」、くすみ書房は店をかまえている。 地域とのことを考え続けるくすみ書房の経営者、久住邦晴氏(以下久住氏)は、柔和な表情で筆者を出迎えてくれた。 戦後間もない1946年、札幌の中心部から離れた琴似の商店街でくすみ書房は開店した。どこにでもあるような町の屋さん、つまり地域に根づいた書店であった。地元の学校の教科書も取り扱った。順調に営業していたくすみ書房だったが、それまでその終着駅だった地下鉄東西線が琴似から延長された。1999年だった。売上が激減した。 しかし、それは何も

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