以前アズールレーンの韓国版パブリッシング会社(X.D. Global)からイラストの依頼をいただきました。 その依頼で描かせていただいたイラストが、2018年4月27日、アズールレーン韓国語版のログイン画像として公開されました。 公開から唐突、韓国一部ネット上のユーザーから 「Nardackは反社会的団体に同調している作家だ。 そんな作家のイラストをゲームに使うな」 という抗議がはじまりました。 ...
フェミニズムあるいはフェミニストについてということかもしれないが、いつもぼんやりとだが思うことがある。私が何か「彼女」と議論をすることがあるとすれば、それは最後に私がフェミニストの敵として糾弾されて終わるのだろうというある確信である。私は女性の敵なのだろうし、私は原罪のようにそうなっているのではないか。つまりその理由は私が男であるからなのではないか。あるいは、何かクレドーを希うべきだろう。 ここで私は自分自身何を言いたいのかわからなくなる。「私は男として常に女性から罪人として糾弾されるに違いない」という奇妙な確信のようなものは何に由来するのだろうか。そして、それがどこかしら後ろめたく、ゆえに表面的に女性に迎合するような主張や行動をしているに違いない、となんとなく思う。そこから先、私は密かに、私はしかし「男」だろうか?と自問する。 現実はどうか。現実としては、フェミニズムやフェミニストと議論
全四部構成で、第一部・第二部がフェミニズムによって男性の暴力性に自覚的になった結果、ストレートな異性愛フィクションを受け付けられなくなった現象の話です。 第三部・第四部はそこから発展して、それぞれ家族の概念の話と贈与論の話などになっております。
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