10月26日と27日の二日間にわたって、公開研修会「電子出版・学術情報の電子化の実践のために」が開催された。主催は当協会関西部会・電子部会。参加者は約50名。 会場となった大阪大学中之島センター周辺は福澤諭吉の誕生の地。堂島川をはさんだ対岸には「福澤諭吉誕生地記念碑」が建てられている。「大学出版の祖、福澤生誕の地で研修会を開催できることを、たいへん喜ばしく思います」という竹中英俊(協会常任理事・東京大学出版会)の開会のあいさつによって、2日間におよぶ研修会がはじまった。 初日は第1テーマ「学術情報の電子化を軸にした大学教育・研究の再編成」について、2人の図書館員の講演からスタート。 竹内比呂也(千葉大学図書館長)は、「アカデミックリンク」を軸に大学における高等教育の変化を報告。「アカデミックリンク」とは千葉大学が全学的に取り組んでいる教育改革のひとつの「実験」であり、その手段として学生への
"ル・グルニエ"とは フランス語で「屋根裏部屋」を意味する言葉。 その名のとおり、神戸・北野にあるひっそりとした小さなお店です。 国内外よりお洋服やインテリア雑貨・アンティーク品を独自の視点でセレクトし、 いいものを知りつくした大人のための宝箱のような存在でありたいと願っています。 ル・グルニエの商品は、オンラインショップ Billet [ビエ] の商品と一緒にご購入いただけます。
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情報組織化研究グループ月例研究会報告(2011.11) KOSMOS IIIにおける目録システムの設計: AlephをKS IIIとして稼働させるために 古賀理恵子(慶應義塾大学メディアセンター本部) 日時: 2011年11月19日(土) 14:30~17:00 会場: 大阪市立弁天町市民学習センター 発表者 : 古賀理恵子氏(慶應義塾大学メディアセンター本部) テーマ : KOSMOS IIIにおける目録システムの設計:AlephをKS IIIとして稼働させるために 共催: 目録法研究会(科学研究費基盤研究(C) 課題番号22500223 研究代表者:渡邊隆弘) 出席者: 磯野肇(奈良大学)、上野芳重(大阪市立大学)、太田仁(奈良女子大学)、大西賢人(京都大学)、尾松謙一(奈良県立大学図書館)、梶谷春佳(京都大学数理解析研究所)、川崎秀子(佛教大学)、古賀崇(京都大学附属図書館)、塩野真
身も蓋もないが本当に有効な「論文の書き方」を読んでいると今学期の授業で習ったことを複雑に説明しているだけと気づいたので、言われたことを思い出して書いてみる。 論文の「形式」をパクる 結論は単純、 構成を真似したい論文を用意する。 主張したい内容だけを入れ替える。 以上 つまり、前例を重視するというよりも、もっと過激で形式をマルパクリする論文を準備することが重要らしい。 そしてその論文の文章の中の名詞の部分だけを入れ替えてしまうのだ。 以下に具体例を示す。 http://keiei.soka.ac.jp/keieironsyu.htmlの『情報処理能力アンケート結果に基づいた初年時情報教育のカリキュラム設計 山中 馨』を利用してみた。特に他意はなく適当に論文でググッテ目についたやつなだけです。 利用前 もっぱら大学のパソコン環境に頼っているということが分かる。従って,この学生群の存在を無視し
とても素晴らしい。 r_shinehaの日記:「欠如モデル」と「欠如モデル批判」についての覚書 私の理解するとても重要なポイントは「欠如モデル」というのは「考え方」に対する批判であるということ。専門家が非専門家に知識伝達することを批判したものではない。 「欠如モデル(Deficit model)」とは、一般の人々が科学技術を受容しないことの原因は、科学的知識の欠如にあるとして、専門家が人々に知識を与え続けることで、一般の人々の科学受容や肯定度が上昇するという考え方を指す。 (r_shinehaの日記:「欠如モデル」と「欠如モデル批判」についての覚書より) ちなみに、上記リンクと同じような話は6月くらいに平川さんもTwitterで行っていた。 ついでにいうと、単に「科学知識の欠如は不安・反対の原因になる(原因は他にもありうるが、科学知識の欠如もその一つ)」という当たり前のことならば、あえて批
TwitterとかFacebookで書いたものについて、ブログでも公開することにした。 第一弾は、「欠如モデル」と「欠如モデル批判」について。 とある原稿で「欠如モデル」について書くので、その下書きというかメモ。 (4月にFacebookに書いたもののコピーです。あしからず。。。) 一気に書きなぐった文章なので、まだ文章が硬すぎる・すっきりしない・分かりにくい。。。orz またちょっと長いので、もうちょっとシンプルにかつ短くまとめないといけないけれど、そのあたりはご容赦ください。 あくまでメモということで。 - 欠如モデル 「欠如モデル(Deficit model)」とは、一般の人々が科学技術を受容しないことの原因は、科学的知識の欠如にあるとして、専門家が人々に知識を与え続けることで、一般の人々の科学受容や肯定度が上昇するという考え方を指す。このような考え方は、1980年代までの「科学の公
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