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finalventと男女に関するTZKのブックマーク (3)

  • 結論だけ言うと、恋愛は無意識、出会いは運命(啓示)。 - finalventの日記

    ⇒荒川静香な目線 - 俺のターン 自分が、ある一定の年齢以上のアルファブロガーとかの恋愛・出会い論に首を傾げて茶々入れるのは何でだろうと考えてたんだけど、理由はここで書いた荒川静香と伊藤みどりのようなもので、 アルファブロガーはさておき。「ある一定の年齢以上」だけに局限して、「恋愛・出会い論」関連だけど。 ま、つまり、私の、「恋愛・出会い論」みたいなこと、を、また。でも、ちょいと。 結論だけ言うと、恋愛は無意識、出会いは運命(啓示)。 恋愛というのは、自分の無意識が決めている。昨今の言い方だとDNAが決めている?まそれはひどすぎるか。でも、大枠は無意識が決めている。で、ややこしいのは、無意識が決めているのに意識でそれを踏みにじることはできる。ま、それが人間存在っていうものかもだけど。そして、無意識が決めるというは当に無意識が決めるわけで、「無意識が決める」という意識が決めるわけではない。

    結論だけ言うと、恋愛は無意識、出会いは運命(啓示)。 - finalventの日記
  • 性同定の語りの変化というか - finalventの日記

    いつからなんだろう、女が、女だからみたいなスタンスを前提に語り出したような気がするというか、現状はそればっかなのでむしろ、自分の感覚のほうが変かもだが。 私が青春のころは、恋愛の内側にはそういう男や女の語りはあっても、そこからは出てこなかったように思う。というか、性のスタンスの語りは公的になると、男とか女とかの一般性のモデルになり、性の個人的な部分が抜け落ちる。ところが性というのはその個人的な部分の情感で生息している。 80年代ころからこういう変化が起きたのは。 女や男が、自身を、タイプとしての男や女に同定して語り出すというのは。 もちろん、昔も「女なんてものは」というのはあったし、むしろ昔のほうが多かったのだけど、そういう語りはある種の原則的な抑制があった。つまり、「聞くなら聞きなさい聞かなくてもいいよ」といった。現代では、それを前提にしないとコミュニケーションにもならないよ的になってい

    性同定の語りの変化というか - finalventの日記
  • 今日の増田 - finalventの日記

    ⇒はしごたんへ いきなりそそるタイトルだが。 そのシアワセを得るために一生懸命努力してるんです。貴女みたいに世の中の批判をして現実から逃げているのではなく、いやな現実とも向き合って努力しているから承認してくれる他人が現れるんです。そんな努力をしていないくせに他人を非難するのはやめてください。 さらっといえば、普通の人はそういう思いで生きている。ただ、その思いにはちょっとルサンチマン(怨恨感)が混じる。しかたないよなオレとか私とか。コンドームのでかいの用ないし、でも、ゴムの臭いのはあれだよなとか。ま、そんなふうに。で、そういう部分は、普通の人は言わない。思っていても言わない部分の臨界で増田でちょっと出てくるものかなというのもしかたないかな、と、ネットの思い白さということでクリップ。 それから愛されてもいないのに愛を語るのはやめてください。反吐が出ます。どんなに言い繕ってもあなたがきつねこさん

    今日の増田 - finalventの日記
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