歴史科学とか社会科学とか人文科学とかの言葉を目にすることがある。科学をどういう意味で使っているのだろう?歴史の科学って、歴史を普遍的真実で説明しようとする試みなのだろうか。それこそ疑似科学だ。

八代氏も「脳神話」にしろ「動的平衡」にしろ(クオリア、という言葉もあったが)、非常に定義や根拠が不明瞭な、どうとでも解釈できる存在である、ということははっきりと示しておかなければならない。福岡氏のいうように、さまざまな生物現象が「動的平衡」で説明できるとすれば、それはその言葉が何も説明していない空洞であるからだ。と書いてますが、福岡伸一ハカセの「動的平衡」の拡大運用ぶりには目に余るものがあります。 サッカーの日本代表チームを「動的平衡」で説明してたのが、記憶に新しいところですね。 福岡ハカセの公式ブログにも「動的平衡」と印が押されて(?)ありますな。福岡ハカセのささやかな言葉そこで、3年にわたる「福岡伸一ウォッチング」の成果として、私が採集した「動的平衡」拡大例を一挙に公開しちゃいましょう。 結構笑えますよ。 花粉症も「動的平衡」の問題。 まあ、これくらいは、まだかわいいもの。 機械論的に
学会「脳トレは嘘 根拠を示せよ」 任天堂「学会で勝手に議論してろよ 楽しければいいだろ」 : はちま起稿 2chの反応を見ると、科学を装って消費者の信頼を得る詐欺的な手法について、直感的に嫌悪感を覚える人が予想以上に少ないようだ。 『脳トレ』に登場する「脳年齢」は科学を騙っている、と私は2006年に書いた。その言葉の知名度は圧倒的であり、市場での存在感も大きい。ニセ科学批判の優先順位としては、「血液型性格分類」が先天的要因に基づくとする俗説を粉砕することよりは下だろうが、「ゲーム脳」よりは上じゃないかと思う。 「脳年齢」チェックの仕組みをよく確認すればわかる通り、脳トレの示す「脳年齢」が若くなることは、「脳が若返った」ことを全く保証していない。ゲームに習熟するにつれ、より若い年齢のサンプルユーザーの平均得点に近付いていく、ということに過ぎない。だとすると、少なからぬ人々が「脳年齢」という指
がんばれ!猫山先生〈2〉 「がんばれ!猫山先生」は、日本医事新報という雑誌に掲載されている4コママンガである。日本医事新報は医師向けの雑誌であるので、「がんばれ!猫山先生」も、完全に医師向けの内容である。内輪受け、自虐ネタが多い。今回紹介する「現代ムンテラ事情」も、自虐ネタである。「ムンテラ」とは、患者さんやご家族に対する説明のことを指す業界用語である。もともとは、「口(くち)」という意味のムント(Mund)と、「治療」という意味のテラピー(therapie)を合わせた言葉であるが、以下に引用するように、ぜんぜん治療になっていないことが多い。 現代ムンテラ事情(がんばれ!猫山先生〈2〉より引用) むろんこれはマンガなので誇張されている。実際にはこんな医師はいないだろう。だけど、医師の多くは、このマンガを読んで、「アハハ、だよねー」と思うのだ。200分の1の死亡率と聞いて安心できない患者さん
「科学は万能ではない」 なんと攻撃力のある台詞だろう。 聞くたびにこっちが恥ずかしくなる。 だって、そんな当たり前のことを、得意げに言われても困るではないか。 今回、「ホメオパシー」が糾弾されたことでオカルティストたちが怒ってこの台詞をあちこちで言うものだから、聞く機会が増えた。 もう、恥ずかしいやら腹立たしいやらで、勘弁してくれよという感じなのだ。 想像してみよう。 札幌駅の南口T字路か、あるいは東京とか大阪のどこでもいいが、拡声器を持った男が立っている。 「みなさん、聞いてください!…1+1は2だったのです!」 誰もが困惑し、目を伏せてそちらを見ないようにして通り過ぎることだろう。 あるいはちらりと街頭の温度計に目をやるかもしれない。 そして「ああ、やはりな」と呟くのだ。 言われた方が恥ずかしくなるとは納得のいかない話ではあるが、恥というものは客観の極致に見えて
トカゲの仲間には外敵に捕らえられたりしたとき、尻尾を囮のように切り離し、本体は逃げ去る・・・という行動が一般に知られている。 この様子を用いた慣用表現として、『トカゲの尻尾切り』というものがある。 これは、大きな組織などが世間から非難されるような問題をおこしたときに、本体に責任が及ばないように、末端の個人や部署などに責任の多くを転嫁し切り捨てるような行為などを指す表現として使用されます。 例えば、マンガなどで大物政治家が政治生命を失いかねない不祥事をおこした場合、部下である下っ端秘書などに責任を転嫁し、本人は罪から逃れ影響力を維持したまま君臨し続けるような状況に対し、用いられたりする。 最近では、某相撲団体の出来事や某薄める系代替療法の問題に対して用いられているのを見た。 でも、なんか違和感アリアリなんですよね。 そこで、こんな感じにツイッターで呟いたの。 日本でトカゲと言えば、ニホントカ
早川由紀夫 @HayakawaYukio 新生児にビタミンKを投与しなかったときの死亡数を、全国で年間200人だと見積もる。これは山岳遭難による死者数とほぼ同じだ。登山者は、死ぬかもしれないことを承知の上で山に登る。そして登山することを日本社会は許している。 2010-07-12 18:25:25 @ubitw @HayakawaYukio ワタシの意見は直感からまとまりがないのですが、早川さんのおっしゃることはワタシにはよく納得できる意見です。しかし、登山との比較は適切でないと感じます。失われる命は、選択した本人ではなくて、まだ判断力も選択力も持たない小さな命の方ですから…。 2010-07-12 18:36:31 早川由紀夫 @HayakawaYukio ビタミンKの投与を拒絶したい母親がいた場合、同様の理由でそれを許してよいのではないか。ただビタミンKの場合は、投与するコストがリスク
近頃の若い子はこんな事も分からないのよねぇ。そんなエピソードの一つとして採り上げられるものとして・・・ キャベツとレタスの違いが分からない 昔のヒトが今の若い頃よりも正確に判別できたのかどうか定かではないが、若い子は家事を手伝わなくなったという不満の傍証として反応してしまうのだろう。 でも、立場が違えば興味の範囲も違うのは当然で、キャベツとレタスみたいなのはゴロゴロあると思う。 パソコンとワープロの区別もつかない 「キミキミ、この資料そのワープロで片付けておいてよ」 メガドライブとファミコンの区別もつかない 「何時までファミコンやってるの!勉強しなさい!!」 (かぁちゃんコレファミコンじゃないし)プレステ3になっても変わらず 充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない 魔法見たことあるんですか? 妄想と現実の区別がつかない 人間いつそんな状況になるかわかりません。又、相手の事を知るこ
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