男性に比べ、女性の参加人数は低い。2001年6月に二桁を記録するのみで、他は圧倒的に男性の姿が目立つ。フィールド調査で感じたことだが、女性でも主婦層はちらほらと見かけるのだが、20代の女性はほとんど見当たらなかった。史の会終了後の飲み会になると幹部のHさんと私以外の女性は参加していない。これは、時間帯が遅くなるため、夕飯や家事をしなければならない主婦の方たちは参加しづらくなるという理由があるものと思われる。 【社会的な立場別】 職業・社会的な立場で参加者の割合を見る。項目も多く、表では直感的にわかりにくいので、パーセンテージ表示のグラフで説明したい。なお、このデータは毎回取っているわけではない。1年に1度とっているものである。 半数近くが会社員(吉野論文の中では企業人、という呼ばれ方がされていた)である。多い順に定年後の人たち(リタイア)、主婦、学生となっている。2001年の7月は主婦の割
第6章 景観 6.1 景観(landscape)・空間(space)・人間行動の概念 6.1.1 景観の概念 (a)景観概念 「景観は人間をとりまく環境の眺めにほかならない」(中村良夫)1)・・・・・・・・・・・・・(6-1.1) 「景観を人間と物的対象の視覚的関係において現象するもの」(篠原修)2)・・・・・・・・・(6-1.2) 「地表にあるものの眺め」「『景色』『風景』『風光』『景観』の順に、その場面を取り出して鑑賞する傾向が強くなる」(大野晋ほか)3)・・・・・・・・・(6-1.3) 「風景を定義するならば、『身体の配置へと全感覚的に出現する履歴空間の相貌』である。したがって『風景』を規定するものは身体の配置と自己及び空間の履歴ということになる」(桑子敏雄)4)・・・・・・・・・(6-1.4) 【解説】 景観は「人間」がとらえた「空間」とその中の「物体」の
松尾さんの新著をめぐって変に盛り上がっているのでお蔵出し。 何らかのネタの提供になるだろうか。 これと『教養』第7章を読んでいただければ、ぼくが疎外論的マルクス主義それ自体には割と批判的――正統派レーニン主義にもそれなりの事情があったし、その問題点が疎外論で克服できたわけでもない――と考えていることはお分かりになるでしょう。ただそれと今回の松尾さんの本の評価とは、関係はあるが別の問題なわけだけど。(ていうかまだ読んでないし。) しかしこれを山形は全く知らないだろう70年代頃までの新左翼系の疎外論だの物象化論だのといったややこしい論争まで引っ張り起こしていじりまわすといったいどうなるのやら……(松尾さんには廣松渉批判の論文もあったな。廣松の「マルクス主義」がすでにマルクスから離れた別物であったというのは間違いじゃないだろうけど)。 ==============================
(サブタイトル、「このYouTube映像をみてこの図解表示を見れば請負偽装派遣(俗に言う偽装請負)」がどんなものか分かるかも」) フリーター漂流 ~モノ作りの現場で~ 2005年2月5日(土)午後9時~9時52分 http://www.nhk.or.jp/special/libraly/05/l0002/l0205.html →Internet Archive(→Internet Archiveのリンク先頁に飛んだら、上にある「新着情報」と「今週のNHKスペシャル」の下、「詳しくは 【放送予定】ページ をご覧下さい。」のリンクをクリックすると左記画面が出ます。 今、モノ作り大国・日本の製造現場は、フリーターによって支えられている。 ヒット商品が出れば一挙に大量生産、売れなければラインはすぐに閉鎖される。生産変動に対応できる企業だけが、厳しい国際競争を生き抜くことができる。 コストダウンのた
以下は、レヴィナスの主著『全体性と無限』の勉強会のために作成したレジュメである。用いたテクストは以下のとおり。 E.Levinas, "Totalite et Infini," La Haye: Nijihoff, 1961 レヴィナス著、熊野純彦訳、『全体性と無限』、岩波書店、2006 『全体性と無限』レジュメ 上巻p126〜151 第1部B後半における中心的なテーゼは、無限なる他者との関係はまっすぐに顔を向かい合わせる対面の関係であり、これが全体性への統合に抵抗し、人と人との社会的倫理的な関係の多元性を拓くのだということである。だがp135〜p142では、顔の裸形についての議論と、悲惨を訴える異邦的なる他者の視線に対する贈与が普遍性を創立するのだという主張が挿入されており、異彩を放っている。 p126〜130 レトリックと不正 「レトリックは、正面からではなく斜めから〈他者〉
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◎「想像界と動物的回路――形式化のデリダ的諸問題」(2000年初出)は、『文学環境論集 東浩紀コレクションL』の「essays」所収 ◎感想 ・ハイデガー、ラカン、デリダをセカイ系的に読解している感じ。デリダ『郵便葉書』『グラマトロジーについて』、ハイデガー『存在と時間』、ラカンを短い文章で簡潔にまとめたお得感あふれる論文 ・東にとっての「動物」概念を理解するためにとても重要である ・この論の文脈でいうと、「動物」は必ずしも否定的な言葉ではない。東の思想全体にとって「動物化」っていいことなの? 「人間」であることはファシズムを招くことなのか? ・デリダがダジャレ魔である理由がよくわかる ・ジジェクのラカン理解が輸入されているのだろうけれども、東のラカン論は正しいの? ・第二期デリダのなした韜晦は、冷戦下でこそ意味をもちえたのではないか? 冷戦終了後に第二期デリダのポストモダン的な身振りを利
勤務時間中に書いてますが、明日の授業のネタを整理するためなんで密告しないでね。 経済学が難しいという人は経済学部でも多いです。実際、3年生、4年生になっても、マクロやミクロの最初の授業で習うようなことを理解していない人は大変多い。しかし、教師始めて10年以上たってやっと気がついたのですが、そういう人は経済学以前のとこでひっかかっているじゃないでしょうか。 例として、マクロで一番最初にならう をとりあげます。3年生や4年生のみなさんは、何度も授業でみたはずの式です。いきなり質問ですが、Y, C, I, Gってなんでしたっけ。 ここで、つまってしまった人は3年間マクロ経済学を勉強していようが、4年間勉強してようが、いえいえ、100年間勉強していようが、マクロの初歩の初歩すら理解していないことになります。経済学で数式がつかわれている時にまず必要なことは、 変数(式にあらわれている記号)と言葉の対
メタボリズムは60年代を象徴する建築運動として知られている。しかしその史的定義は未だ確実にはなされていない。建築史家布野修司*1によれば、メタボリズムは、評論家川添登が中心となり1960年、東京において開催された「世界デザイン会議」を契機として組織されたプレゼンテーション・グループである。 『メタボリズム』とは、来るべき社会の姿を、具体的に提案するグループの名称である。 機関誌『メタボリズム』第1号 その中心メンバーには川添の他、建築家菊竹清訓、槙文彦、黒川紀章、大高正人、グラフィックデザイナーの粟津潔等がいた。メタボリズム=新陳代謝の名の通り、彼らの活動は流動的であり、各自の方法論も多様である。一つの視点だけでメタボリズム・グループを総括することは、その可能性をもついばみとってしまうだろう。僕はここで特に川添の言説だけに焦点を絞って、その一側面をスケッチしてみることにしたい。 思えば日本
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