PRIDEデビュー時のヒョードル「私の国籍はロシアです」 日本人などひとりも住んでいない同地に、私は3度も足を運んだ。そこは、日本でも絶大なる人気を誇るエメリヤーエンコ・ヒョードルが育ち、当時住んでいた町でもあった。ペレストロイカ(社会主義体制崩壊に至った、ロシアの経済改革運動)から10年余り、ロシアがようやく落ち着いてきた穏やかで平和な時代だった。 ヒョードルのPRIDEデビューは2002年6月23日の『PRIDE.21』だった。ちょうど20年前の話になるが、試合直前に一悶着があった。「ヒョードルが国籍のことで怒っている」という話を耳にした、PRIDEの広報を務めていた笹原圭一氏(現・RIZIN広報事業部長)が慌てて駆けつけると、ヒョードルは「私の国籍はロシアです」と訴えてきた。手にした大会パンフレットで彼の国籍はウクライナと記されていた。 「実際に会ったときには怒っていたというより、す
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