タグ

ブックマーク / number.bunshun.jp (4)

  • 伊達公子が没頭した修士論文の中身。砂入り人工芝は日本テニスの大問題。(内田暁)

    「違和感」の種が胸にできたのは、思い返せば、初めて世界に飛び出した頃だという。 “新時代のテニスコート”の触れ込みで砂入り人工芝が登場したのは、伊達公子が、高校生の頃だった。 身近なところで一気に普及したのは、1985年の神戸ユニバーシアード。イベント会場の神戸総合運動公園のテニスコートが砂入り人工芝になり、以降はジュニアや高校の大会も、砂入り人工芝で開催される機会が増えた。 「悪天候にも強い」がそのコートの売りではあったが、伊達が思い出すのは、「水たまりがある中でプレーした」という記憶。また、足元が滑りやすく、球速もバウンド後に落ちるという「ネガティブなイメージ」だった。 “新世代のコート”への違和感。 もちろん当時のそれは、あくまで一個人が抱く印象にすぎない。だが高校卒業と同時にプロとなり、ヨーロッパやアメリカでプレーする機会が増えていく中で、“新時代のコート”が実は、国外には全くと言

    伊達公子が没頭した修士論文の中身。砂入り人工芝は日本テニスの大問題。(内田暁)
  • Wシリーズを襲ったグリエル問題。ダルビッシュの“まとめ方”が凄い。(ナガオ勝司)

    グリエルは強力アストロズ打線においても今季、打率.299、18塁打、75打点と存在感を発揮している。 10月28日、ヒューストンで行われたワールドシリーズ第3戦、ダルビッシュ有投手が2回途中4失点で敗戦投手になった。 とても悔しい思いをしたことだろうが、それでも彼は試合後、素晴らしい態度で“あのこと”について話している。それもツイッターや自身のブログではなく、メインストリームのメディアを使って。 “あのこと”とは2回裏、ダルビッシュから先制ソロ塁打を放った元DeNAでアストロズのグリエル一塁手が、ダッグアウトに帰った後に目尻を横に引っ張る“アジア人の目”を意味するジェスチャーをしたことについて、だ。 ダルビッシュは試合後、囲み会見の序盤でこう言っている。 「(ジェスチャーのビデオは)もちろん、それは見ましたけど……まあ、何て言うのかな、自分としてはあまり気にしてないというか、あれですけ

    Wシリーズを襲ったグリエル問題。ダルビッシュの“まとめ方”が凄い。(ナガオ勝司)
    azu_mir
    azu_mir 2017/10/31
    ダルビッシュの「まとめ方」はえらいんだけど、差別は「誰にでも欠点はある」で許容されるべきではないとも思うので(ダルビッシュは許したわけじゃないけど)、難しいなー・・・と感じたところで煮詰まってる・・・
  • <日本卓球の至宝、覚悟の告発> 水谷隼 「世界の卓球界を覆う違法行為を僕は決して許さない」(城島充)

    若くして日の卓球界を担う稀代の天才プレーヤーは、 ある世界的な“不正行為”の犠牲となり、苦しんできた。 違法な用具を使うことなく、ただ、フェアな条件で戦いたい。 卓球という競技の未来のため、選手生命を賭け、問題提起する。 日の丸を背負って北京、ロンドンと2度の五輪を戦った水谷隼。 Number815号に掲載された勇気ある告発を全文公開します。 僕はこれから、選手生命をかけて卓球界に横行している不正行為と戦っていきたいと思っています。もちろん、アンフェアな状況への憤りがあるからですが、それだけが理由ではありません。このまま不正行為を放置すれば、卓球というスポーツの未来にも暗い影を落としていくという危惧が心の底にあるからです。 「補助剤」をラバーの裏側に塗ることで、大きく変わる打球の質。 卓球をしている人なら「補助剤」、英語で「ブースター」と呼ばれる液体のことは聞いたことがあると思います。そ

    <日本卓球の至宝、覚悟の告発> 水谷隼 「世界の卓球界を覆う違法行為を僕は決して許さない」(城島充)
    azu_mir
    azu_mir 2016/08/13
    2012年のインタビューだけど、TLに流れてきて読んだ。卓球のラケットに塗る補助剤、という不正の告発。こういう姿勢で競技に臨んできた人だったんだね、立派な人だ~
  • ママとなった安藤美姫に感じた力強さ。「母の強さ」をナメちゃいけない!(吉井妙子)

    出産の発表後に出演したアイスショーでは、「多くの方に会場まで足を運んでいただき、感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました!」と笑顔で挨拶をした安藤選手。 安藤美姫選手がママになったニュースを聞いたとき、これまでの安藤選手に対する見方がガラリと変わった。彼女には何度かインタビューしたことがあったが、10代前半の頃からメディアの取材攻勢を受けてきたせいか、他人の視線に非常に敏感で、警戒心が強く、感情の起伏が激しい女性という印象を抱いていた。 その一方、彼女のフィギュアスケーターとしての技術、芸術性は驚くほど高く、世界選手権で2度チャンピオンになったが、まだまだ高みを目指せる選手だと確信していた。 女性として史上初めて4回転ジャンプを競技会で決め、彼女が16歳になったばかりの頃にインタビューした時の声が今でも耳から離れない。 なぜ4回転ができるのか、その秘訣を尋ねると、間髪を入れずさらりと

    ママとなった安藤美姫に感じた力強さ。「母の強さ」をナメちゃいけない!(吉井妙子)
    azu_mir
    azu_mir 2015/12/17
    1972年のミュンヘン五輪女子バレーの金メダリストである、旧ソ連の主砲・スモレーワ「だって私たちは選手の半分が母親だったのよ。独身女性ばかりの日本に負けるわけがないじゃない」母・美姫も強いしかっこいい!!
  • 1