1日に心不全で死去した〝燃える闘魂〟アントニオ猪木さん(享年79)が最も光り輝いていたのは、新日本プロレスの「黄金時代」と呼ばれる1980年代ではないか。当時をよく知る元猪木番記者が〝昭和〟の燃える闘魂を振り返る。第1回では、猪木さんが「一番好きだった人」を紹介――。 「結局、猪木さんは倍賞さんが好きなんだよ。ずーっとね」 猪木さんの4人目の結婚相手・田鶴子さんが亡くなったときのこと。冒頭の言葉を複数のプロレス関係者から聞いた。そして実は、私もそう思っていた。「倍賞さん」とは、言うまでもなく女優の倍賞美津子さん。30年以上前に別れた猪木さんの2番目の妻だ。 プロレス担当になりたての1986年の春だったか。代官山で猪木さん、作家の村松友視さんの酒席に当時のデスクとともに同席させてもらったことがある。猪木さんの自宅の近くということで、それなら奥さまも呼ぼうとなった。 当時2人の関係は「かなり危