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ブックマーク / heapsmag.com (29)

  • 10代と暴動。人種と音楽のムーブメント〈RAR〉、当時の証言と映像でたどる『白い暴動』監督インタビュー | HEAPS

    「学校で起こるほとんどのケンカは、人種差別が原因なんだ。たんなる嫉妬や嫌悪じゃなくて」 レポーターが差し出したマイクに向かって一人の学生がそう話す。人種差別や階級主義に覆われた70年代の英国で、「Love Music, Hate Racism(音楽を愛せよ、人種差別を憎めよ)」を掲げて人種差別撤廃のために動いた団体がある。SNSなき時代、アングラ紙や音楽誌、街中のポスターや人種ごった混ぜのライブを媒介に、互いが巻き込み巻き込まれて大きなムーブメントとなる。その最中、多くの10代の姿もあった。 「有色人種たちの子どもたちにとっては恐ろしい時代だったと思います」 「白い暴動」という言葉にピンと来たら、パンク好きだろう。ロンドンパンクバンド、ザ・クラッシュの代表曲のタイトルだ。そして今年、「白い暴動」は“映画のタイトル”としても世に放たれる。BBCで複数のドキュメンタリーを手がけてきたルビカ・シ

    10代と暴動。人種と音楽のムーブメント〈RAR〉、当時の証言と映像でたどる『白い暴動』監督インタビュー | HEAPS
  • ピンク・イズ・ザ・シット(ピンクは最高)だが「パンクファッションなんてものは無ぇ!」NYCパンク服屋・名物店主を怒らせる | HEAPS

    70年代パンクシーンの雄リチャード・ヘルの破れたシャツ。路地裏にたむろするパンクスのボンデージパンツにスパイクのついたベルト。それから数十年後、ショッピングモールのH&Mに並ぶヒョウ柄のドレス、スタッズつきのレザージャケット。みんなの足元にドクターマーチン。 数十年前は“ストリートの異端”だった〈パンクファッション〉は、いまや目抜き通りの店頭に、ファストファッションチェーンのフロアに堂々と鎮座している。 過去のタブーカルチャー・パンクファッションが、みんなのワードローブ(あるいは箱)に侵入するまでを探りに、元祖パンクの震源地・ニューヨークで知らない者はいない、“パンクを纏う男”に会いに行った。 20年パンクファッションシーンの顔役、名物パンク服屋店主を訪ねる ちょっと前、「オーラがある」という表現が流行った時期がある。軽々しくは使いたくない言葉だが、ただならぬオーラを纏っている男がジミー

    ピンク・イズ・ザ・シット(ピンクは最高)だが「パンクファッションなんてものは無ぇ!」NYCパンク服屋・名物店主を怒らせる | HEAPS
  • #010 最終話「分断した東西を統合したのは"テクノ"だった」ーベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS

    壁崩壊という大事件歴史に刻まれていたとき、ぼくは東欧旅行に出ていたのだが、ベルリンに戻って直感した。あらゆることが、もうこれまでとは違う、と。それでも、東の生活はすぐに激変したというわけではなく、街を行き交う人は揃いも揃ってジャージや擦り切れたジーパン、スニーカーという出で立ちのままだった。 壁という隔たりがなくなり、東の者たちは西の様子を一目みたいと思った。それは西の者も同じで、東はどんな様子か興味津々だ。国境はいまだに存在したが、看守たちは手のひらを返したように一様に慇懃で愛想よく、なにを持ち込んでも気にしないといった様子だった。さらに東の共産主義政権は崩壊していたので、実質的に法律が効力を発しておらず、音楽規制なども取り下げられた。東の国営レコードレーベル・アミーガでさえ、“ゾング(ZONG)”に改名されたのだ。 東と西のあいだに、脅威などもう存在しない。冷戦が終結したことに、みな

    #010 最終話「分断した東西を統合したのは"テクノ"だった」ーベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS
  • ベルリンの壁・崩壊前夜「ボウイと東が壁に向かって合唱し、ラブ&ピースが街を席巻した日」 HEAPS Magazineー時代と社会の、決まり文句に縛られない。

    1989年5月、ハンガリー政府がハンガリー・オーストリア間の国境を開放、鉄条網を撤去*した。この出来事は、ドイツ国民に大きな変化をもたらした。数百もの東の者たちがハンガリーの観光ビザを申請しはじめたり、友人が東欧に消えたかと思えば数日後に西側諸国に出現したなんて報告も日々耳にするようになった**。東は確実に崩壊しはじめ、混沌と革命の時代にさしかかっていた。予定されていた東ドイツ40周年パレードが、天安門事件のような惨事なるんじゃないか、という噂さえも流れていた。チェコ共和国は亡命を計る東ドイツ民を阻止すべく、ハンガリーとの国境を閉鎖せざるを得なかった。たいてい誰にでも、私財をなげうって亡命した知り合いがいる。東ベルリンには実に不穏な雰囲気が漂っていたが、ベルリンの壁が崩壊する気配はまだなかった。 *第二次世界大戦後、社会主義政権国家だったハンガリーにも、オーストリアの国境にベルリンの壁のよ

    ベルリンの壁・崩壊前夜「ボウイと東が壁に向かって合唱し、ラブ&ピースが街を席巻した日」 HEAPS Magazineー時代と社会の、決まり文句に縛られない。
  • #008「録音とび時間なし、ドラムマシン密輸の東バンド極限レコーディング。そして自宅アパートには怪奇な鏡が…」ーベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS

    東の音楽キッズ、ラジオの前で正座 1980年代も後期に差し掛かると、西ベルリンのミュージックシーンの狂乱はしぼみかかっていた。自然発生的に生まれては消えていた急進的なエネルギーは目に見えるように失われ、多くのバンドはプロの道に進むか、解散していた。パンクやジャーマン・ニューウェーブバンドの大量放出は飽和状態を生み、ついにその泡は弾けた。SO36やRisiko(リスク)のようなバーやクラブは閉店。音楽シーン全体はドラッグ漬けの昏睡状態に溺れていて、多くがその犠牲になり、たとえばぼくを訪ねベルリンに来たニック・ケイヴなんかも、もうパーティは終わったと街を去ってしまった。ただぼくだけは違った。西には小さいながらもダンスミュージックシーンはあったし、それでももし退屈になれば、冒険的な危うさを含む東にいつでも逃げこむことができたから[1]。 そう、生気を失う西の音楽シーンとは反対に、今度は東がだいぶ

    #008「録音とび時間なし、ドラムマシン密輸の東バンド極限レコーディング。そして自宅アパートには怪奇な鏡が…」ーベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS
  • #007「教会極秘パンクライブ第二弾。そこには恐るべき"ヤツら"が待ち構えていた…」ーベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS

    #007「教会極秘パンクライブ第二弾。そこには恐るべき“ヤツら”が待ち構えていた…」 歌詞に“隠れメッセージ”、ハガキに“暗号” 西の人間は東でなにが起こっているのかなんて気にも留めなかったが、実際東には西の音楽に影響を受けた“なりきりバンド”が次々誕生していた。ザ・ポリスを真似たジェシカ、ノイバウテンのようなAGゲイガー、“ジェネシス+ディープ・パープル+ユーライア・ヒープ”なカラット。しかしやはり音楽活動は容易いものでは到底なく、楽器ひとつ手に入れるのが骨折り、やっと手に入れた楽器にはケーブルを張りアンプに繋ぐ。いや、その前にアンプを見つけるという大仕事があったか。それに、東では「バンド結成=党の方針に従う」。物議を醸すような話題や政治的内容の歌は断固禁止、それでも歌おうとした者は高い代償を払わされる。みな歌詞はドイツ語でなければならなかったので、外国語を“利用”して意味深なメッセージ

    #007「教会極秘パンクライブ第二弾。そこには恐るべき"ヤツら"が待ち構えていた…」ーベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS
  • #006「西では"ゴミ"を楽器にしたバンドが誕生。東の隠れゲイディスコではぼくの"密輸テープ"が流れた」ーベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS

    #006「西では“ゴミ”を楽器にしたバンドが誕生。東の隠れゲイディスコではぼくの“密輸テープ”が流れた」 西で誕生、“ゴミ”を楽器にした実験バンド 時計の針が深夜12時を過ぎないと、なにもはじまらない街。しかしいったん過ぎると朝9時まで“夜”が続く街。それが西ベルリンだった。夜行性動物たちの溜まり場クラブ「Risiko(リスク)」に、上の毛(頭の毛)だけでなく“下の毛”も整えることができる“ぶっ飛びサロン”。夜はアートショーや実験音楽のライブパフォーマンスなんかをやっていた。トイレはなく、シンクが洗髪と“排泄”兼用だった[1]。 ぼくの西での生活に余裕などない。9時5時とは真逆のサウンドエンジニア仕事、常に担当バンドのため次のギグチャンスに目を光らせるマネージャーの仕事。レコードを買うお金や東へ行き来する費用も確保したい。だから、シェーネベルクのクラブのバウンサーだってバーテンダーだって

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  • #005「東の無名バンドを英音楽番組に出演させよ」史上初、共産主義国のアングラバンド"逆輸入"実録。ーベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS

    #005「東の無名バンドを英音楽番組に出演させよ。史上初、共産主義国のアングラバンド“逆輸入”実録」 教会での違法パンクライブを成し遂げた、ぼくマーク・リーダーと東西の音楽狂たち。この偉業の成功で勢いに乗ったぼくのもとに一件の依頼が舞い込んできた。それは、国イギリスで人気を誇っていたテレビ音楽番組『The Tube(ザ・チューブ)』からだった。80年代の人気バンド、たとえばフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドやバナナラマなどの登竜門だった番組が、西ベルリンに出張し地元のミュージックシーンを紹介する“特別番組”を作りたいと言い出した。そこで、ミュージシャン兼ファクトリーレコード特派員であってベルリンの音楽シーンにも詳しかったぼくに“仲介人”になってくれないかとお呼びがかかったというわけだ。それは何から何まですべて準備をこちらがしなければいけないことを意味していた。出演するのにふさわしいミュ

    #005「東の無名バンドを英音楽番組に出演させよ」史上初、共産主義国のアングラバンド"逆輸入"実録。ーベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS
  • #004「性に音楽、西ベルリン狂乱時代。その頃、東でも世紀の"違法パンクライブ"がはじまろうとしていた」ーベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS

    「東ベルリンは、世界一入場規制が厳しい“ナイトクラブ”のようだった」 回顧する男は、マーク・リーダー(Mark Reeder)。 イギリス人音楽プロデューサー、ミュージシャン。そして“音楽運び屋”。 冷戦時代、ベルリンの壁と秘密警察の手をくぐり抜け、 抑圧の東ベルリンへ禁じられたパンクロックを“密輸”した男である。 「壁の西側には色鮮やかなグラフィティが施され、東側では兵隊が銃を構え整列する」 人権、文化、金銭の価値、国民の一生、そして人間の尊厳を決定した 高さ3メートルの「ベルリンの壁」。 それを境に、西は「経済」「自由」「文化」のすべてが豊かに栄え、東はすべてに飢えていく。 それは「音楽文化」も同じだった。 命懸けの東から西への逃亡。厳重な検問を乗り越えねばならない西から東への越境。 しかし、マークは幾度となく壁をすり抜けた。 西から東へ極秘の“ブツ”、パンクを密輸、禁じられた音楽を東

    #004「性に音楽、西ベルリン狂乱時代。その頃、東でも世紀の"違法パンクライブ"がはじまろうとしていた」ーベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS
  • #003「東ベルリンに恋に落ちた。そして、"カセットテープ密輸中毒"になった」ーベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS

    「東ベルリンは、世界一入場規制が厳しい“ナイトクラブ”のようだった」 回顧する男は、マーク・リーダー(Mark Reeder)。 イギリス人音楽プロデューサー、ミュージシャン。そして“音楽運び屋”。 冷戦時代、ベルリンの壁と秘密警察の手をくぐり抜け、 抑圧の東ベルリンへ禁じられたパンクロックを“密輸”した男である。 「壁の西側には色鮮やかなグラフィティが施され、東側では兵隊が銃を構え整列する」 人権、文化、金銭の価値、国民の一生、そして人間の尊厳を決定した 高さ3メートルの「ベルリンの壁」。 それを境に、西は「経済」「自由」「文化」のすべてが豊かに栄え、東はすべてに飢えていく。 それは「音楽文化」も同じだった。 命懸けの東から西への逃亡。厳重な検問を乗り越えねばならない西から東への越境。 しかし、マークは幾度となく壁をすり抜けた。 西から東へ極秘の“ブツ”、パンクを密輸、禁じられた音楽を東

    #003「東ベルリンに恋に落ちた。そして、"カセットテープ密輸中毒"になった」ーベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS
  • #002「デヴィッド・ボウイがベルリンに移住。まもなくして、ぼくもベルリン行きを決めた」—ベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS

    ぼくが故郷を去る夏から遡ること、数年前。ある日、ぼくが働いていた英・マンチェスターのレコードショップに“パンク”がやって来た。それは、ザ・ダムド(ロンドン三大パンクバンドの一つ)のシングルで、立て続けにあのセックス・ピストルズのデビューアルバム『アナーキー・イン・ザ・UK』も入荷した。みんな口を開けば“パンク” “パンク”。パンクロック創成期だ。 ぼくのレコードショップ(ちょっとガタがきた小さいヴァージン・レコード)は瞬く間に「パンクのメッカ」になり、ぼくはというと昼間から音楽を聴きにぶらぶらとやって来ては居座る一文無しのパンクキッズたちに目を瞑り(レコードを買うお金さえない彼らの気持ちは染みるようにわかっていたから)、セックス・ピストルズのセカンドアルバム発売日には、その“問題作”(エリザベス女王をコテンパンに罵ったレコード)を一日中売りさばいた。 深紫の壁に銀の星の飾り、チューインガム

    #002「デヴィッド・ボウイがベルリンに移住。まもなくして、ぼくもベルリン行きを決めた」—ベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS
  • 【新連載】「ベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人"」 鋼鉄の東にブツ(パンク)を運んだ男、マーク・リーダーの回想録 | HEAPS

    【新連載】「ベルリンの壁をすり抜けた“音楽密輸人”」 鋼鉄の東にブツ(パンク)を運んだ男、マーク・リーダーの回想録 「東ベルリンは、世界一入場規制が厳しい“ナイトクラブ”のようだった」 回顧する男は、マーク・リーダー(Mark Reeder)。イギリス人音楽プロデューサー、ミュージシャン。そして“音楽運び屋”。 冷戦時代、抑圧の東ベルリン、壁と秘密警察の手をくぐり抜け、禁じられたパンクロックを“密輸”した男である。 1970年代後半から80年代後半にかけてのドイツ・ベルリンの話だ。 一夜にして有刺鉄線が張り巡らされ、着々と作られた3メートルの壁は、人権を、文化や金銭の価値を、国民の一生を、そして人間の尊厳を決定した。「ベルリンの壁」—その非情な一枚の壁は、 一つの街をユートピアの西ベルリンと、ディストピアの東ベルリンにわけてしまった。 「壁の西側には色鮮やかなグラフィティが施され、東側では

    【新連載】「ベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人"」 鋼鉄の東にブツ(パンク)を運んだ男、マーク・リーダーの回想録 | HEAPS
  • 寝室引きこもり4000曲。元祖ベッドルームミュージシャン(20世紀最も見過ごされている作曲家)RSムーアを解剖する | HEAPS

    “ベッドルームミュージシャン”という単語が音楽誌を駆け回ったのは数年前のことだったろうか。あえて荒削りの音で雑さを演出するローファイサウンドに、生活音が混じり込んでもあえてそのままにしておくスタイル。バンドを組んでデカいハコ目指して日夜レコーディングスタジオに篭るのではなく、ひとりヘッドフォンしてギアーをつま弾きながらベッドルームでしこしこ録音するDIYミュージシャンたちよ。ベックやペイヴメントなどローファイミュージシャンのフォロワー、そして昨今ぽこぽこ発生しているインディーズバンドたちよ。プリーズ、ドント・フォーゲット“元祖寝室音楽創作男”。 半世紀で4000曲・400枚のアルバムをセルフプロデュース。元祖DIY音楽の祖 40年前から自宅の手づくりレコーディングスタジオで、およそアルバム400枚と4000曲を録音してきた“元祖ベッドルーム・ミュージシャン”がいる。いま沸騰状態のインディー

    寝室引きこもり4000曲。元祖ベッドルームミュージシャン(20世紀最も見過ごされている作曲家)RSムーアを解剖する | HEAPS
    batta
    batta 2019/08/06
  • 「誰の承認も必要なく、誰もが入れる場所」かつて"雑居ビル5階"ではじまった映画館アップリンクが夢見るもの | HEAPS

    「誰の承認も必要なく、誰もが入れる場所」かつて“雑居ビル5階”ではじまった映画館アップリンクが夢見るもの 映画を上映することは“世界が一辺倒になるのを避ける一つの手”だ。「映画館というプラットフォームで、偶然の出会いを含めた広さで、知らなかった世界を知らせることもできると思うんだよねえ」 オールオアナッシング。心臓もそりゃ痛む。 “未来の”という言葉を使う限りは、どんなに綿密な事業計画書まで筋書きを引こうと、今日のうえでは夢を見ることだ。 夢。そんなロマンずきのする言葉の方が、彼の計画する映画館ビジネスには似合う気もする。31年前に雑居ビル5階にて、一人で映画の配給をはじめる。のち渋谷アップリンクを設立。現在、「未来の映画プロデューサー」を肩書きにのせる浅井隆(63)が、次の映画館を吉祥寺パルコの地下2階に進めているわけだが、ただ新しい映画館をつくりたいわけではないらしい。 「誰もが入れる

    「誰の承認も必要なく、誰もが入れる場所」かつて"雑居ビル5階"ではじまった映画館アップリンクが夢見るもの | HEAPS
  • インクが一滴もいらないプリンター「インクレス」。特別紙もいらず、モノクロでの印刷は無制限に可能 | HEAPS

    「『インクレス』は、プリンター界における“フィルムカメラからデジタルカメラへの移行”のようなものです」 1950年代から格的な開発がはじまったといわれているインクジェットプリンターは、書物や文書を一文字一文字書き起こしし、活版印刷とは比べ物にならない速さで複製する現代の優れた発明品だ。3Dプリンターデスクまで書類を届けてくれるロボットプリンターまで登場するなど、昨今はプリンター発展期ともいえる。オフィス・工場・家庭で誰もが触れる身近なロボットのプリンターだが、彼につきまとう“めんどう”といえば、「インクカートリッジの購入・交換」だろう。カラーで何百枚も刷れば、またか…「カートリッジ交換サイン」。オンラインで一番安いカートリッジを探し、届いたらプリンターをガバッと開けての交換作業が待っている。 そんなプリンターのめんどうをオランダの大学院生チーム「Tocano(トカノ)」が解決してくれる

    インクが一滴もいらないプリンター「インクレス」。特別紙もいらず、モノクロでの印刷は無制限に可能 | HEAPS
  • 次世代に必須の「アーバン・マスク」?欧米先進国で"マスクのスタートアップブランド"が続々登場 | HEAPS

    では風邪をひいたときのエチケットとして。それからすっぴんや肌荒れを隠すためなど、あらゆる用途で重宝されるマスクだが。なんでも次世代に向けた「アーバン・マスク」なるものの需要が高まっているらしく、市場規模は年間20億円以上。欧米先進国発のマスクのスタートアップブランドが次々と参入していると聞く。 マスクのスタートアップがクラウドファンディングで資金集めに成功 これだけ価値観やライフスタイル、いろんなことが欧米化している中で、いまだ残る日独自の文化として「マスク」もあげられる。風邪ひいたらマスク、今日すっぴんだからマスク、肌荒れてるからマスク、人に気づかれたくないからマスク—このマスク文化は粘り強い。一方で、それとは異なる理由でマスクへのニーズが急速に高まっているのが中国。深刻な大気汚染から身を守るためだ。中国では年間100万人以上が大気汚染を理由に死亡していると推算されている。また、イ

    次世代に必須の「アーバン・マスク」?欧米先進国で"マスクのスタートアップブランド"が続々登場 | HEAPS
  • NIKEやVansと。"女性初コラボ"を果たすグラフィティレジェンド「女だからできること」 | HEAPS

    元々は超臆病だった女の子が、NIKEをはじめ他多くのブランドやカンパニーとの“女性アーティスト初コラボレーション”を多く果たし、コラボレーションの女王と呼ばれる将来を得た。いまだ一向に勢いを緩めないアーティスト、クローディア・ゴールド、a.k.a Claw Money(クロウ・マネー)は、男性優位のグラフィティカルチャーで名を刻んできたニューヨークの女性レジェンドと呼び声高いアーティストだ。 「女なのにすごいね? グラフィティに限った話じゃない」 ネイルを塗ってつるりとしたかぎ爪のアイコンが表すのは「W」。昔、酔っ払った友だちの兄がつけたというあだ名、Claw(クロウ)からひと文字取った。元々は超臆病で高校までザ・いい子ちゃんだった、というクロウがグラフィティに踏み入ったのは80年代の終わり、20歳の時。ニューヨーク市がグラフィティの取り締まりにいざ腰を入れはじめた頃だ。特にこれといった

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  • 次のリラックスドリンクは飲めるマリファナ?オーガニックジュースブランドの新プロダクトは「マリファナ・ミルク」 | HEAPS

    次のリラックスドリンクは飲めるマリファナ?オーガニックジュースブランドの新プロダクトは「マリファナ・ミルク」 依然として沸き立つマリファナビジネス、そして湯水のごとく生まれるマリファナ関連プロダクト。またかよ、なんて言わないで。今回のマリファナ関連プロダクトは、別のブームとコラボレーション? 飲めるマリファナ「マリファナ・ミルク」の登場だ。 ミルク・ビジネスといえば、クラフト・ミルクブームや12000円でも売れるキャメル・ミルク(ラクダのミルク)の登場など元気いっぱいのビジネス。今回のマリファナ・ミルクは、昨今沸き立つミルクファン、それからヘルスコンシャスなジュースファン(主にコールドプレスジュースなど)に訴求すべく作られた新ドリンク。ミルクもジュースもトレンド、そのトレンドに掛け合わせることでマリファナをライフスタイルの一部に自然と溶け込ませようとしているわけだ。そのプロダクトのみてく

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  • フォトジャーナリズムの先駆け・グラフ誌『LIFE』。写真部長が語る「LIFEの写真哲学、良い写真の基準」 | HEAPS

    タイムズスクエアの前で接吻する男女、といえばわかるだろうか。スペイン内戦の崩れ落ちる兵士、月面着陸した宇宙飛行士と星条旗、といえば思い浮かべられるだろうか。 一流報道写真家のショットを大判ページで掲載。“表紙=人気俳優”の方程式は通じない。一枚の写真で読者にいかにして「情報」を伝えるか。そのフォトジャーナリズム性を20世紀をかけて歴史とともに追求し、体現したのがアメリカの雑誌『LIFE(ライフ)』である。 写真でニュースを伝えるグラフ誌『LIFE』 “フォトジャーナリズム”を体現した雑誌。それが『LIFE(ライフ)』だ。1936年に週刊誌として創刊してから、文章よりも写真を中心としたルポタージュやフォトエッセイで誌面を構成し「グラフ雑誌」と呼ばれるように。政治、経済、時事、文化、芸能、科学、そして市井の生活までをもニュースやストーリーにし大衆に届け、国民の思想や知識を形成し好奇心を刺激した

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  • 「ステッカーは絶対に廃れない」。AppleやNASAにも選ばれる、ステッカービジネスを仕掛けた男の思惑 | HEAPS

    ストリート、トイレ、ラップトップ、車。あらゆる場所で、端的に主張をする薄い存在—といえば、ステッカーだろう。 時は2000年、ジョン・フィッシャーはいち早くそのポテンシャルに気づき、自宅の地下で一人ステッカービジネスをはじめることにした(この時、ビジネスど素人)。現在、クライアント数は3万。昨年には39人の従業員で年間売上10.2億円を達成し、今年、フォーブスのForbes 25 Small Giants(最も優れた小会社 25)に選ばれた。彼はこう主張する。「ステッカーが社会から衰退することはない」 ステッカーは、子どもも扱える「簡単な自己主張ツール」である 多くの人間が、社会における最初の自己主張をする道具として利用する一つはシールだ。襖からテーブル、窓、ありとあらゆる場所に貼り付けて母親に怒られたっけ。それでも確かに、筆箱やペン、ノートに自分の名前シール、お気に入りキャラクターシール

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