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  • 議論を尽くすのは難しい - レジデント初期研修用資料

    意見の対立を解決するための手段として、合議というやりかたはどこか危うい。 意見の対立があったところで、リーダーに対立した誰かが「じゃあ私は別の場所に行きます」といえる状況ならばまだしも、外の環境から閉じた場所で発生した意見の対立は、合議によらない、むしろなるべく理不尽なやりかたで解決することを心がけないといけないのだと思う。 合議は難しい インターネットで寄付を募ることで立ち上げられた地方紙である「大槌みらい新聞」が、3万5000円をきっかけに瓦解しかけている という記事を読んだ。 リンク先では、メンバーの意見が対立したきっかけから、最終的に歩み寄る余地のない対立に至った会議のログが閲覧できるけれど、意見の対立を解消するための手段として、合議はそもそも難しいよなと思う。 体育会の昔、会議室ではお互いに正論をぶつけあい、トイレ休憩で各大学の主将がトイレに集い、会議の落とし所は、結局トイレで決

    bayashi_net
    bayashi_net 2013/05/29
    「逃げ場のない場所で生じた決定的な意志の対立は、殺しあいの空気をもたらす」
  • 正しさをテストで記述する - レジデント初期研修用資料

    「厳密な人」と、「間違いにうるさい人」とを隔てているのは、その人が想定する正しさというものを、テストの形で記述できるのかどうかにかかっているのだろうと思う。 テストを作れる人は、テストを通じて、自分が想定する正しさに到達するためには何が不足し、どうすればそれを補うことができるのか、相手に提示することができる。 自分の学びをテストの形で記述できない人は、「俺はエビデンスを持っている。奴らは持っていない。俺は正しい。奴らはバカでこの世から放逐されるべき」とばかりに、せっかく学んだ貴重な知識を、単なる投擲用のクソとして消費してしまう。これはもったいないように思う。 哄笑の道具としてのエビデンス 専門家が喧嘩に参加する場面が増えたように思う。 会話の応酬が行われる場所はといえばせいぜい2ちゃんねるぐらいしかなかった昔、匿名の無数が対立する場に専門家が「降臨」すると、喧嘩の舞台は学びの場になった。も

  • チームワークとは「いい敵」の共有 - レジデント初期研修用資料

    チームワークは大切だけれど、リーダーがチームに対して、「チームワークを大事にしましょう」と諭してしまうと、誰もが「チーム」に遠慮する。結果としてたぶん、チームの能力は集まった人数を下回る。 チームには「敵」が必要 チームワークとは、チームが「共通の敵を持つこと」で生み出される。「チームをまとめるためには敵を探そう」が、リーダーが身につけるべき方法論でもある。 「敵」という存在は、対立や排除の対象であって、概念を共有した上で、それを「敵」と名指しすることで、チームには「何をやらないのか」、「誰に嫌われるのか」が共有される。 「敵」を名指しすることは、だからリーダーが戦略を策定するのと同じ意味を持つ。 目的の共有には意味が無い 目的とは単なる到達点で、どれだけそれを熱心に説いたところで、そこに到達するための道程は共有できない。メンバーの思い描いた道筋はバラけてしまうから、チームは結局まとまれな

  • 手の汚しかたを考える - レジデント初期研修用資料

    何らかの望ましい習慣に、確実な履行を期待しようと思ったならば、それを行ったことによる報酬よりも、それを行わなかったことによる不利益が明らかになる仕組みを作るとうまくいく。 手洗いは大事 病院において、手を洗う習慣は、とても大切なものであるとされる。手洗いは来、当然のように「必ず行われるべき」習慣なのだけれど、当然なされるべき何かが、「面倒くさいから」なされないことはよくある。 以前に読んだ、チェックリストの効用を説くにおいても、手洗いを病院スタッフに励行してもらうためにチェックリストを活用する事例が取り上げられていた。感染症に対する考えかたの進んだ米国においても、手洗いを徹底させるためにそうした工夫が必要だったということは、逆に言えばたぶん、手を洗わないといけない状況で、つい手を洗わずに次のステップに進んでしまう人が、やはりそれだけ多かったということなのだと思う。 手を洗うことによる効

    bayashi_net
    bayashi_net 2012/02/04
    「「きちんとやれば結果は明らか」なことであればなおのこと、「きちんと」やることを前提にしたプランを作ると、「きちんと」できなかったたくさんの人を悪者にしてしまう。」
  • 丈夫なシステムについて - レジデント初期研修用資料

    大学病院に入局した昔、田舎の電源事情は妙に悪くて、停電は日常だった。雷が落ちると病棟の電気が消えて、エレベーターに看護師さんが閉じ込められたり、大学のインフラは案外貧弱だったのだけれど、業務はあまり止まらなかった。非常用発電機の音を聞きながら、暗い病棟に殴り書きの伝票を持った研修医が走り回って、走らされるほうも、受け取るほうも、いい加減なシステムを回すのはきっと大変だったのだろうけれど。 きっちりやると脆くなる 震災直後の停電で、近隣の基幹病院は、病院の機能全てがダウンした。 電子カルテや画像診断装置が動かなくなるのはもちろん、薬剤を処方しようにもオーダーは出せないし、記録を残そうにもPCが動かない。救急外来の機能は止まって、救急車を受けることはもちろんできなくなって、調理室が上の階にあったから、入院患者さんに事を配膳するのも大変だったのだと。 新しい施設は電子化が行き届いていて、動線は

    bayashi_net
    bayashi_net 2011/11/12
    「時代を切り戻せるシステムは、何かの原因で最新の制御系が落ちたとき、暫定的に昔のやりかたに戻すことで、システムを止めずに当座をしのげる」
  • 「できない」がチームを作る - レジデント初期研修用資料

    チームを作って何かするときに大切なのは、「できない」ことの把握なのだと思う。誰もがたぶん、何らかの「できる」を持ち寄ってチームを作る。「できる」はもちろん大切だけれど、お互いの「できない」を共有することで、個人の集まりははじめて、チームとしての機能を獲得できる。 神経内科は怖かった 今いる施設にはいろんな患者さんが紹介されて、自分の手に負える患者さんもいるけれど、もちろんそうでない患者さんも多い。特に神経内科方面の症状を訴える患者さんが紹介されて、頭部の画像診断で、少なくとも素人目には明らかな問題がない場合には、うちの施設ではほとんど「お手上げ」になってしまう。 県内には神経内科を標榜する施設がいくつかあって、大学にはもちろん医局があるし、外来を持っている施設も、神経の専門を掲げている施設もあるのだけれど、「こんな患者さんがいるのですが、診療していただけないでしょうか?」なんてお願いすると

  • 会見記事を読んだ - レジデント初期研修用資料

    島田紳助の引退記者会見 を文字におこしたものを読んだ。 一連の事実がきれいな物語として報告されて、きちんと管理された事実のみをを前提にした、突っ込みどころの少ない、自身が頭を下げる必要のない見解を組み立てているような印象を持った。 きれいな物語は何かが欠落している 語りたくない不都合な事実があったり、事実関係に何らかの瑕疵があったりするときほど、物語としての事実はきれいに、一貫したものとして語られることが増えてくる。 事実が自分でも管理できていない場合、通信のログが保管されていないとか、事実関係が曖昧で、証言の収拾もまだ十分に行われていない場合には、一連の事実を物語のようにつなげようと思っても、うまくいかない。話は必ずグダグダになるし、物語には「詳しくは覚えていないのですが」とか、「昔のことなので記録は残っていないのですが」とか、たくさんの但し書きが入ることになる。 語る側が隠さなくてはい

  • 価値の判断は面倒くさい - レジデント初期研修用資料

    「それが自分にとって面白いのかどうか」を判断するのは面倒な仕事で、人間は、その気になればどこまでも怠惰になれる。 流行しているサービスや、景気の悪いときでもお金を生んでいる産業というものは、そうした面倒くささを回避する仕組みを持っている。顧客から判断の機会を奪うことが、結果としてお金を生むことにつながるのだと思う。 楽は楽しい たとえば早朝の時間帯、当直の起き抜けは、自分の頭が一番働いていない瞬間の一つであって、を開いたって何一つ頭には入ってこない。 ネットを見たところで、状況はそんなに変わらないのだけれど、たとえばTumblr みたいなサービスは、頭がどれだけ回っていなくても、それなりに文章を追っかけられて、何かを楽しんだ気分になれる。 Tumblr のダッシュボードには、自分以外の誰かが「これは面白い」と判断した文章の断片が、自動的に更新されていく。文章は抜き書きみたいなものだからた

  • Amazonのレビューについて - レジデント初期研修用資料

    韓国に関するフジテレビの報道姿勢はやりすぎだ」という話題があって、フジにスポンサーとして参加している「花王」が叩かれて、Amazon のカスタマーレビューがものすごいことになっている。 「この製品を買ってはいけない」だとか、「花王は韓国の手先だ」とか、ネガティブなコメントが50ぐらいついていて、「使いやすいです」みたいな無難なレビューは、序列のした側に押し込まれて、その製品が実際のところどうなのか、レビューからは読み取れないような状態。 ものすごい熱気を感じることには間違いないのだけれど、「花王という会社にダメージを与える」ことがその目的なのだとしたら、力の使いかたを間違えている気がする。 密林のレビューは恐ろしい 密林のカスタマーレビューは、を置かせてもらう側からするとあれぐらい恐ろしい場所もない。 あの場に書かれた内容について、作者の側からは言い訳できないし、誰かがお金を支払っ

  • 悪い知識は大切 - レジデント初期研修用資料

    道徳は大切だけれど、道徳的な人間を生み出そうと思ったときに、道徳だけを教えたのでは片手落ちなのだと思う。道徳というものは、不道徳な「悪い知識」を土台にすることで、初めて堅固な力を持てる。 道徳の効用 理念や道徳というものは、「手続きに従えば簡単に扱える人間」を作る手段として役に立つ。 道徳を、道徳単体として「正しいものだ」と習った人は、道徳的に基づいて何かを促されると逆らえないし、よしんば法律に違反するようなことを命じられても、それが「道徳的なのだ」と強弁されると、高い可能性でそれに従ってくれる。 他人を陥れる方法や、欺瞞を運用して誰かに特定の振る舞いを強要する方法を教わった人は、人を操作するための手続きを見破ることができる。こういう知識を持った人は、運用された道徳から自由でいられて、結果としてたぶん、道徳や理念はどういうものが好ましいのか、自分の頭で考えられる。 どちらの人間がより好まし

    bayashi_net
    bayashi_net 2011/07/09
    「今の政府は迷走しているけれど、あれは何となく、「教祖としての学び」を会得した人が誰もいない状況で、「まじめな信者」の集まりが右往左往している」
  • 堅牢さについて - レジデント初期研修用資料

    セキュアなシステムというものは、どこかに歴史を内包している。それぞれの階層は、それぞれの時代で使われた技術で作られていて、技術は階層をまたがないようになっている 乗用車のパワーステアリングは古典的なギア機構だけれど、アシスト貴構は、それを包み込むような構造になっていて、精緻な制御と堅牢さとが同居している。フライバイワイアのシステムは、そのあたりどこか、過去を切り捨てた怖さがある。高性能を目指したシステムと、堅牢さを目指したシステムと、おそらく両立は難しいのだと思う 東京都消防のPCが落ちた際、消防署の職員はビルの屋上に上がって火の監視を行った。現代の通報システムがダウンしたときに役立ったのは、江戸時代の火の見櫓のシステムだった 米軍のミレミアムチャレンジにおいて、敵役を任命された将軍は、「開戦当初に米軍は敵の通信設備を破壊した」という設定に対抗して、サーチライトと手旗による通信を駆使した結

    bayashi_net
    bayashi_net 2011/05/22
    「セキュアなシステムというものは、どこかに歴史を内包している。それぞれの階層は、それぞれの時代で使われた技術で作られていて、技術は階層をまたがない」
  • 乱暴な言葉の使いかた - レジデント初期研修用資料

    状況に火がつくと、たいていの人は足がすくんで立ち止まる。不明の状況にあって、動くことを決断するのは大変で、止まるとたいてい、状況はもっと悪くなる。 最初に動いて、乱暴な言葉で大声を張り上げて、背中を押せる人が、だから必然的にリーダーになる。 「怒鳴りかた」にも文法があって、単に大声を出せる人と、大声で指示を出せる人とは異なってくる。 人望のあるイワシはいない イワシの群れのどこかにも「頭」に相当する個体がいる。「リーダーイワシ」は、人望があるとか、他の個体より頭がいいとか、リーダーシップにつながる何かを持っているわけではなくて、単に「一番最初に舵を切った」ということが、その個体を暫定的なリーダーに押し上げている。群れの生き死にがかかっている状況にあって、まわりの情報を把握できている個体がいないのならば、最初の判断を行った個体に、群れはそのままついていく。 選択枝を明らかにした上でお互いの落

    bayashi_net
    bayashi_net 2011/05/08
    「心肺蘇生を知らない人がほとんどを占めるような場所で心肺蘇生を行う際には、周囲から「何してるんだ?」とか」略「「病人を動かすな」とか、現状維持を支持する声が厳しくて、心肺蘇生を続ける気力を削いでいく」
  • 体質改善は怪我に効かない - レジデント初期研修用資料

    「根的な体質改善」はたしかに大事かもしれないけれど、たとえば怪我をしてまだ血が出ている状況においては、「絆創膏」のほうが役に立つ。 問題の解決には、状況に応じて選択されるべきやりかたは異なっていて、「根的」な解決というものは、もっと元気になってからでないと意味がない。 変革のありかたについて。 町の風景には意味がある 災害復興について、「委員会」みたいなものが作られて、議論が続いている。こういうところで提案された「画期的な解決」は、たいていの場合なにか別の問題を生み出して、個人的にはなるべく無難な提案に落ち着くといいな、と思う。 町の風景には、そうなった理由というものが必ずあって、変化を求める特別な需要もないときに、たとえば何かの事故みたいなものをきっかけに、一気にそれを変えようとするのは間違っている。どれだけ高邁な思想に基づいていたとしても、根的な変革というものは、必ずどこかに無理

  • 健全な保身について - レジデント初期研修用資料

    危機管理というものは、「健全な保身を全面に出せる環境作り」のことなのだと思う。 これに失敗したチームは、不健全な倫理に空気を支配されて、そこにいる誰もが道徳を唱えつつ、リーダーはモラルの欠如を嘆くようになる。こうなってしまうともう、かけ声ばかりが大きくなって、問題の解決は遠ざかる。 正解はたいていつまらない 問題の設定は可能な限り面白く、問題の解決は可能な限りつまらないやりかたで行われることが、たいていの場合の望ましい。 問題を面白く設定することは、解決を容易にする可能性がある。その一方で、つまらなく設定された問題を面白く解決しようとする試みは、必ず災厄をもたらすことになる。 これがハリウッド映画なら、問題が発生して状況が悪くなったときには、「俺たちが当の解決を教えてやる」なんて、頑固を絵に描いたような軍人が登場する。「それしかない」というあきらめが蔓延した頃、軍人の頑固を超えるアイデア

  • 理不尽にやると上手くいく - レジデント初期研修用資料

    ちょっと前、「ジューサーの中に金魚を入れる」という現代美術の展示があった。 ジューサーの中に金魚と水が入っていて、スイッチだけリモコンで、観客の側に置かれる。観客は誰もがそのスイッチを押すことができるようになっていて、「いつでも金魚を殺せる」という、その感覚が展示になっていた。 金魚の寿命を延ばすもの この展示で、実際にボタンを押せた人はたぶんいないのだろうけれど、これをたとえば、ジューサーに入れた金魚をインターネットで公開して、ネットの向こう側にいる誰もが、匿名のままそのボタンをクリックできるようにしておくと、誰かがボタンを押してしまう。多数決ルールを導入して、「ボタンを押した人が累計で10人を超えたら、ジューサーの電源が入ります」という看板を出しておくと、ボタンが押される閾値はますます下がる。 匿名ルールを廃して、たとえばTwitter のような、押した人をある程度トレースできるメディ

    bayashi_net
    bayashi_net 2011/02/26
    これは面白い切り口だなあ。理屈じゃ勝てないなにか
  • リーダーシップの軸足 - レジデント初期研修用資料

    リーダーシップというものは、「組織を作るのが上手な人」、「動機付けが上手な人」、「アイデアを出せる人」というのが3大要素で、「人の上に立つ」リーダーという、古典的なリーダーの風景に一番違和感が少ないのが、組織を作るのが上手であるリーダーシップのありかただった。 通信のコストが高価であった昔、組織というものは通信を効率よく行うための道具であって、リーダーシップを持った人とは、要するに通信インフラを作れる人のことだった。 ネット時代は、通信のコストを引き下げた。通信のコストが下がった結果として、従来的なリーダーシップの購入コストは大幅に下がって、いろんな人にリーダーへの道が開けた。 こういう流れは結果として、「アイデアを持っている人がリーダー」という、リーダーシップのありかたを強化していくのだと思う。 部のコスト 資格試験は群れるといろいろ便利で、医師国家試験を乗り切るために、昔は全国規模の

  • チームワークについて - レジデント初期研修用資料

    ミスというのはなるべく素早く発見されるべきで、ミスを見つけたら原因 を探して、再発が起きないように、病棟のルールを改善していかないといけ ない。 ミスを素早く発見するために欠かせないものが「チームワーク」で、恐ら くはチームというもののありかたは、スポーツのそれと、職場のそれとで は、目指す方向が異なってくる。 スポーツのチームは弱点を隠す たとえば野球やサッカーのチームなら、「チームを構成する誰かのミスが、 別の誰かによって暗黙のうちにフォローされるような状態」が、「いいチー ム」と表現される。チームには長所と短所とがあるもので、短所を相手に知 られたら、いいことはあまりないだろうから。 医療の現場で、こういう「いいチーム」を目指してしまうと、恐らくはい つか、とんでもない災厄を引き起こす。 病棟に、ミスの温床になるような構造とか、習慣があったとして、こうした「いいチーム」はたぶん、誰か

  • 分業する人たち - レジデント初期研修用資料

    誰の胸にも自尊心があって、それを満たすには勝たないといけない。人が集まって、みんなが同じルールで勝ちを目指すと喧嘩になるから、個人が複数集まると、役割の分担が自然発生して、チームができる。 チーム内部での役割分担は、合議で決定されることもあるけれど、恐らくは役割分担というものは、場の自尊心を効率よく分けあうやりかたとして、半ば必然として自然発生するものなんだと思う。リーダー1人、あとは全員部下という形も多いけれど、みんなの自尊心を満たすなら、それぞれの得意分野に応じて、チームに複数の「専門家」を作ったほうが、効率がいい。 個人と個人でなく、「家族」みたいな複数の人たちと交渉に臨むときの考えかた。 ライフルマン チームに属する全ての人は、ライフルマンとなる。万能選手であると同時に、「状況」や「空気」で動く人たちでもある。特定の専門技能を持たないライフルマンが複数集まってチームを作ると、そこか

  • 責任の所在について - レジデント初期研修用資料

    たとえば「気迫さえあれば、竹槍でB29ぐらい余裕で撃墜できる」なんて怒鳴る軍人がいたとして、その人に「具体的に気迫を見せて下さい」と言ったら、たぶん殴られる。実際にB29が来たとして、竹槍構えて、撃墜できなかったら、やっぱり「気迫が足りない」と怒鳴られる。気迫はどこにも見えないのに、それは「ある」ものであって、それを根拠、現場は怒鳴られたり、殴られたりする。 自分たちの業界には、「ない」ことになっているんだけれど明確に「ある」、責任というものがあって、毎年何人か、これに潰されて仕事を辞める。 責任の重さ たとえば80歳の高齢者が敗血症になってショック状態で、今すぐ処置しないと死んでしまうぐらいに具合が悪くても、診る側は案外楽で、医学的なベストを尽くすことに集中できる。「責任」なんてものを意識する人は、たぶん少ない。 ところが20歳ぐらいの若い人が、発熱と咳が2週間続いて、「息が少し苦しいん

  • 理解と納得

    劇作家の平田オリザが書いたからの抜き書き。 演劇という技術 演劇の技術とは、自分の妄想を他者に伝える技術である。それが技術としてたしかなものであるならば、それはある程度の部分まで言語化できる 人間は人間を正確に把握することなどできない。だからこそ表現者は、「私はこのように世界を把握する」という認識を示していかなくてはならない。芸術家がなすべきは、評論家のように事の善悪を説くのではなく、事件を直接的に捕まえ描写すること 舞台は時間軸が一定で、場面もそんなに変えられない。漫画や文章なら、100年も、地球の裏側もすぐだけれど、舞台ではそういう、出来事の連鎖によってストーリーを進めるやりかたができない 小説のように、だんだんと状況がのみこめてくる展開は、用意できる舞台道具に限りのある演劇では難しい。戯曲の場合には、だからその戯曲、その舞台が何についての、どういう作品なのかを、できるだけ早い時期に