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communicationとブログに関するbutadonyaのブックマーク (3)

  • 職場のイジメの被害者を助けてあげようとして、酷い目にあいました - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだ

    私は、いろんな部署の、いろんな職位の人とお昼ご飯を一緒にべるのが好きで、いろんなお昼ご飯友達がいました。 そんななかで、パワハラやイジメの被害者から相談され、なんとか助けてあげようと、ぼくなりにいろいろやってみたことが何度かあります。 被害者の中には、非常に聡明で、論理的で、好感の持てる方もおり、具体的な証拠もきちんとそろっており、まちがいなくこの人の主張が正しく、加害者は「そうとう陰湿な、性根の腐った、人間のクズのようなやつら」だ、と思えるようなケースもありました。 そこで、さぐりをいれたり言質を取ったりするため、加害者の方をお昼ご飯に誘ってみるわけです。 たぶん、屁理屈や詭弁でごまかすか、あるいは、開き直って 「うひゃひゃひゃ。 あいつ、トロくてよ、あいつをイジメると、おもしれえんだ! なんかムカつくことがあると、難癖をつけて、 あいつを怒鳴り飛ばすことにしてんだ。 ストレス解消、す

    職場のイジメの被害者を助けてあげようとして、酷い目にあいました - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだ
    butadonya
    butadonya 2008/03/05
    状況を冷静に見つめれば、ケンカ両成敗という場合がほとんどである。弱者も、弱者という立場を利用して強者の論理を振り回している…って、ひどい理屈だな/ブログという媒体は、極論がまかり通りやすい
  • 「単なる」「私的な」「個人的見解」と修飾語を連ねても、批判は免れない - good2nd

    id:buyobuyo さんのとこでの id:E-You さんのコメント。題とは違う話なんですけど。 私とあなたの意見が合わないからといって、批判される筋合いはありません。 だって、あくまで私的な意見だもの。 もしそれがあなたを傷つけたのなら謝るけど、批判? いったい何様ですか? 批判は意見が合わないからこそするものです。 意見が合わなければ、それだけで批判するのに十分な理由になります。 私的だろうと何だろうと、あらゆる意見は批判に晒されるべきです。 しかし、短絡的な批判は時として誹謗や嘲笑になりさがるので、慎重さが必要とされるのは言うまでもありません。 「意見の相違に基づく批判」は、傷ついた傷つかないという「気分」の問題に劣るものではありません。 批判は、その内容が重要なのであって、批判すること自体には何の資格も必要ないはずです。 嫌ならスルーすればいいと思うよ(僕みたいに) あらゆる

    「単なる」「私的な」「個人的見解」と修飾語を連ねても、批判は免れない - good2nd
  • 「俺とおまえは違う問題」の根は「ネガティブ言及するな問題」だよね:ekken

    知的好奇心解放 - マ儿コの日記 - 「俺とおまえは違う」[読むな] マ儿コさんの言う「俺とおまえは違う問題」は、素直に読むと膝をポンと打って思わず納得なのだけど、いじわるな見方をすると「俺はひっそり書いているんだから言及するな問題」と言い換えることができるよなぁ。 日記には個人的なことしか書かない。学術論文でも啓蒙書でも指南書でもない日記だ。その内容に一般性や汎性や論理性など必要ないし、そんなことを意識した文章はもはや日記ではない。一貫性や物理的妥当性や時間的整合性を備えている必要もなければ義務ももちろん無い。そこに責任などない。構造上、読みたければ他人でも読めるというだけの日記だ。 引用部分は大方同意できるのだけど、最後がイケナイ。構造上、読みたければ他人でも読めるというだけの日記は、構造上、言及したければ誰でも言及できるのだから、「個人的な日記だから批判しないで」は通らないだろうなぁ

    butadonya
    butadonya 2007/06/11
    自分のことは棚に上げるということ。やや反省。
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