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ジェンダーフリーに関するcalibabyのブックマーク (5)

  • 深夜のシマネコBlog: 『バックラッシュ!』を非難する

    ●ということで、今日は双風舎『バックラッシュ!』に対する非難(批判ではなく)。 なぜ「批判」かと言えば、双風舎編集部は自身のブログの中で「同書をつくった意味のひとつは、議論のたたき台になるようなものをつくる、というものなので。」と述べてるが、私は決してこのを議論の叩き台にしてはならないと考える。ゆえる、両者の間に建設的意味を持ちうる「批判」ではなくて、建設的意味をもたない「非難」とする。 まずは簡単にバックラッシュに至る前提を提示する。 1、全体として「男は強者」「女は弱者」という色眼鏡でしかモノを見ていないため、結論がすべて「女性優遇」でしかなく、想像される社会が男女平等とはほど遠い。 2、「社会進出」という名前の会社的な観点でしか強弱を区分していない。「会社での地位=人間の価値」という価値観を推進してしまっている。 1+2、こうした論理がフリーターやニートという「弱者男性」、そして、

    calibaby
    calibaby 2009/08/05
    資料としてブクマ…だが後半の下りにわろたw
  • ばらいろのウェブログ

    参照:東京都に抗議する! 「人権講座」での上野千鶴子さんへの講師の委託が、「講演で『ジェンダー・フリー』の言葉や概念に触れる可能性」を口実に、東京都によって拒否された事件。抗議署名への賛同を求める運動があります。 東京都国分寺市が都の委託で計画していた人権学習の講座で、上野千鶴子さんを講師に招こうとしたところ、「上野さんは女性学の権威。講演で『ジェンダー・フリー』の言葉や概念に触れる可能性があり、都の委託事業に認められない(都教育庁生涯学習スポーツ部)」と委託を拒否した事件がありました。 実は東京都教育委員会は2004年8月に「(ジェンダー・フリーは)男らしさや女らしさをすべて否定する意味で用いられていることがある」として、「男女平等教育を推進する上で使用しないこと」との見解をまとめているらしいです。 実は、フェミニズム運動の中にも「ジェンダー・フリー」という用語の使い方にはいろい

  • ジェンダーフリーは性差の否定を否定するべきか。 - FemTumYum

    成城トランスカレッジ!さんが「ジェンダーフリーとは」というページを立ち上げられたり、04年の東大ジェンダーコロキアムの報告がアップされたりとか、「ジェンダー表現についての整理」が男女共同参画会議の専門調査会から出されたりとか、昨年後半くらいから、アンチ・ジェンフリに対抗する動きが目に付いている。その流れの中で、微妙な居心地の悪さをずっと感じていた。「そうそう、そうなんだけれど・・・、でも、そうなの?」みたいな<研究者として絶対に駄目。 「アンチ・ジェンフリバッシング」の試みは心強く感じているし、うまく言語化できていないままに細かい揚げ足とりをしてもなあ、というためらいがあったのだけれども、一度ここでその「違和感」をまとめておこうと思う。 わたくしの違和感は、一言で言ってしまうなら、ウェブ上、ML上でしばしば見かけるジェンダーフリーバッシングへの対抗言説が、「ジェンダーフリー」、さらには「フ

    ジェンダーフリーは性差の否定を否定するべきか。 - FemTumYum
  • Gov Capital » Gov Capital Investor Blog

  • 女性運動の歴史の否定の上に成り立つ「ジェンダーフリー」概念の「豊かさ」 - macska dot org

    とりあえず今年の仕事は大方片付き時間ができたので、かなり前に取り上げ続編を予告しておきながらしばらく放置していた若桑みどり他編著『「ジェンダー」の危機を越える!』の話題に戻りたい。今回は第3部「バックラッシュに抗うまなざし」から伊田広行氏による文章「フェミニストの一部がどうしてジェンダーフリー概念を避けるのか」を取り上げる。「ジェンダーフリー」なんてもはやいまさらどうでもいいような気もしないではないけど、まぁ暇な人は読んでください。 一読しての感想を一言にまとめると、この文章は相当嫌らしい。タイトルの通りフェミニストの中に「ジェンダーフリー」という概念を避けたり批判したりする人が少なからず存在することに対して、かれは誰の具体名も挙げず、具体的な主張や批判を引用・検証しないまま、あるいは批判をかなり矮小化したかたちで紹介したうえで、ジェンダーフリーとはこういう素晴らしい概念なのだからそれを避

    女性運動の歴史の否定の上に成り立つ「ジェンダーフリー」概念の「豊かさ」 - macska dot org
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