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能力と思想に関するcastleのブックマーク (184)

  • 足元を見よ - 内田樹の研究室

    ジブリが出している「熱風」という雑誌がある。 そこに宮崎駿が2008年11月20日に日外国特派員協会で質疑応答があったときのやりとりが採録されている。 宮崎駿が天才であることに異論のある人はいないだろう。 その天才はつよい思想に裏づけられている。 一読して驚いたのは、宮崎駿もまた「国内市場のサイズ」と「国内需要」を創作のキーワードに挙げていたことである。 宮崎はハンガリーの記者の「日の観客と世界の観客の違いを意識しているか」という質問にこう答えている。 「実は何もわからないんです。僕は自分の目の前にいる子供達に向かって映画をつくります。子供達が見えなくなるときもあります。それで中年に向かって映画をつくってしまったりもします。でも、自分達のアニメーションが成り立ったのは日の人口が一億を超えたからなんです。つまり日の国内でペイラインに達することができる可能性を持つようになったからですか

    castle
    castle 2009/01/13
    「私達にとって考えなければいけなのは)目の前にいる子供達」「そのような問いがなされる当のそのときに他ならぬ「これ」の前に私はいるように宿命づけられているという絶対的な確信」「足元を見ろ。それがお前だ」
  • 『エミール』

    『エミール』 ルソー著 今野一雄訳 岩波文庫(3分冊) 青-622 教育の話をするのなら、先ず『エミール』でしょう。と言う訳で、近代教育学の祖、ルソーの『エミール』の紹介です。こういう古典的名作は、あちこちの出版社からいろいろんな形で出版されているんでしょうが、一応私が読んだものと言う事で、岩波文庫版を紹介します。 「消極教育」。これがルソーの教育論の根理念です。と言っても、ルソー自体がこの言葉を使っている訳ではありません。ルソーの思想を理解しようとする後の研究者が、ルソーの教育理念をこのような言葉で表現した訳です。 『万物をつくる者の手をはなれるときすべてはよいものであるが、人間の手にうつるとすべてが悪くなる。』(上巻P23)こういう書き出しでこのは始まります。よく、教育や躾について話す時、性善説とか、性悪説とか言うんですが、ルソーは性善説です。彼は性善説の教育論の創始者と言って良い

    castle
    castle 2008/12/28
    「自然の要求に反する形で社会的な教育が為された時、教育は人間を悪くする」「余計な事はしない。子供が内なる自然に導かれて伸びようとする時、何かを学ぼうとする時、彼の成長が歪められないように見守ってやる」
  • 所有欲のパラドックス : 404 Blog Not Found

    2008年12月28日11:30 カテゴリValue 2.0 所有欲のパラドックス 所有が幻想であることは、拙著「弾言」でも指摘した。 弾言 小飼弾 / 山路達也 [弾言|アスペクト ASPECT ONLINE] 所有という幻想 - 池田信夫 blog契約理論が教えるように、所有権は将来どのように資源を使うか予想できないとき、その残余コントロール権を特定の人が独占することによって権利の配分を効率化する次善のしくみだ。しかし情報のように共有可能な公共財では、このような所有権は意味がない。 「弾言」 P. 173 根源的にモノを所有することはできないのです。なぜかと言えば、人間には寿命があるから。どんなモノでも、せいぜい80年レンタルにしかならないんですよ。 では、我々はどうすれば所有欲から解放されるのか。 皮肉なことであるが、そのために最もよい方法は、「使えきれないほど与えてしまう」ことだと

    所有欲のパラドックス : 404 Blog Not Found
    castle
    castle 2008/12/28
    「なぜほとんどの人が目一杯使わないかといえば、彼らが「おなかいっぱい」だからだ」「所有の耐えられない軽さに気がつく最前の方法は、使い切れないほど所有してしまうこと」人口の増え方のほうが早そうな気が…。
  • なぜ現代の最大のイデオロギーは「商品」なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    お風呂に入ると行為への意識が飛ぶ ボクはお風呂に入ると行為への意識が飛ぶことがある。お風呂は暖かくて血の巡りが良い、密室で集中できるなどあるからだろう。頭がよくまわる。いろいろ考えごとをしていて気がつくとお風呂から出ている。体を洗ったことは覚えているが、あれ隅々まで洗ったかな?と考える。考えとは別に行為が進められる。体の洗い方は毎日反復しているので自然と体が動くので、いちいち意識する必要がないのだ。 このようなことはそれほど珍しいことではない。たとえばいまPCのキーボードを叩いているが、いまS、次Aと意識などしていない。言葉にそって勝手に指が動いている。ボクはローマ字シフトであるが、これがひらがなシフトでの入力となると、キーボードを睨んで、「さ、さ、さ・・・あった!」と羽目になるだろう。意識はキー探しするためにフル活動で他のことには回らないだろう。 人が様々に行為するためにはいちいち意識せ

    なぜ現代の最大のイデオロギーは「商品」なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    castle
    castle 2008/12/24
    「お風呂に入ると行為への意識が飛ぶ」「主は体、従は意識:意識はあくまでガイドであり従」「社会は商品という環境をめぐって構造化され」「ブ米:だから真の権力は意識に訴えるよりも、身体とその道具環境に働く」
  • 無謬性が生む誤謬 : 404 Blog Not Found

    2006年02月03日15:38 カテゴリTaxpayerPsychoengineering 無謬性が生む誤謬 低いのにはわけがある。 圏外からのひとこと(2006-01-30) 検察って、意外と煽り耐性が低いのである。検察には失敗が許されていないからだ。 一番の理由は、検察が公訴権を独占していることだろう。 起訴 - Wikipedia 公訴を提起することという意味における起訴の権限は、原則として検察官が独占している(刑事訴訟法247条、起訴独占主義)。また、検察官は、犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況(示談の成立など)により訴追(ここでは、起訴と同義)を必要としないときは、公訴を提起しないことができるし(同法248条、起訴便宜主義)、第一審の判決があるまで公訴を取り消すことができる(同法257条、変更主義)。 刑事の過程において、検察はボトルネックとなってい

    無謬性が生む誤謬 : 404 Blog Not Found
    castle
    castle 2008/12/19
    「検察には失敗が許されていない」「失敗への対策はひたすら「失敗しないこと」」「失敗が許されない環境下で、組織はどう振る舞うか?まず、失敗の可能性の高い案件を扱わなくなる。その結果、とりこぼしが増える」
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    織田信長 ぼちぼち、元気にやっています。少し薬にも慣れた...んかなぁ。相変わらずべられないけど。朝、指がこわばって文字なんて入力できなかったけど、それはほぼなくなった。関節もどこも痛くない。薬効いてきたんやろな。 で、ブログを書こうと言う気がまた起きてきた。 …

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    castle
    castle 2008/12/17
    「信仰と恍惚についていえば、狂ってる人って凄く気持ちよさそうに見えるもんで、案外、狂的な信仰は異常な恍惚を人にもたらすんじゃないかという可能性をないとはいいきれないように思える」
  • 教育について: 極東ブログ

    国際学力比較について一昨日から昨日、少し話題になっていた。国際教育到達度評価学会が各国の小学4年と中学2年を対象に昨年実施した、国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)の結果が公表され、低かったとされる03年の同調査に比べ、やや上回る結果となり、学力低下には歯止めがかかったいうことだった。しかし、他の調査では落ちているとか、学習意欲が低下しているなど、新聞などメディアでは話題になっていた。 私はまったく関心ない。一つには、日は国際的に高い教育水準にあるのに何が問題なのだろうかと不思議に思うくらい。今回の調査では、日は小学4年の算数・理科は36か国中4位、中学2年は48か国中、数学5位、理科3位。そのくらいでいいのではないか。 また私は、公教育は最低限であとは私学にすべきだし、なにより教育に国家が介入するのはやめてくれと思う人だからだ。なので文科省なんて不要だと思っている。 で、なぜです

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    castle 2008/12/12
    「子供はやがて地域の人になるのだから、そういう人になるという目的がはっきり見えるとよい。科学教育や言語能力の向上は、そういう生きた地域の人々がそれをどう活かしているかという応用の中で見ていくとよい」
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    月に1冊、未知なるを読もうという試み(2024年1〜3月) はじめに 1月:【暇・退屈論】國分功一郎『暇と退屈の倫理学』 2月:【決済】ゴットフリート・レイブラント、ナターシャ・デ・テラン『教養としての決済』 3月:【自炊】土井善晴『一汁一菜で良いという提案』 総括 はじめに 社会人として過ごす年数も少なくはなくなっ…

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    castle 2008/10/16
    「物流とリンクして計上される収益の見込みが、マネー的な金額の上下に柔軟性を備えた耐震構造的システム」「ゆるやかな安定成長が最強。そういうゆるふわ愛され経済みたいなコアの一角にでもはいれたら儲けもの」
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    オーベルジーヌ実レポ べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモンってんのか 許せねえよ………

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    castle
    castle 2008/10/16
    「「奉仕」すると評価・社会の価値が上がる」「「奉仕」がその価値を認められるには、「判断基準」が必要。大規模なシステムへの奉仕になるほど判断基準が適切に設計されないと、奉仕が価値として認識されなくなる」
  • なーにが蒟蒻ゼリーだ - 瓶治郎の現代詩

    castle
    castle 2008/10/09
    「今回のノーベル賞は「今、世界は大変だけど日本人的なノリで何とかしてくれ」という政治的メッセージが」「小林は、乞食から天下人になった秀吉とそれを認めたあの時代の日本のダイナミズムの凄さを強調していた」
  • ようやく目当てのものが買えて国内で勝負ができるな - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    LBの件もそうだけど、もう下り坂なのは去年から分かってて、ブログでも散々書いた通りもうだめなのだから粛々と冬の時代に備えるべきと言ってたし、実際にそうしてきた。 日経一万円割りました、9,000円台ですとか言ってニュースになってるけれど、そんなことでいまさら右往左往して泡吹いているほうがおかしいと私は思うんだけどね。分かってたはずなのに悲観論一色にされちゃって。馬鹿なんじゃないの、と。 混乱しているので仕方がない面はあるけれども、いまの下方修正された主要企業の株価並べてみれば、あくまで体感的には7,000円ぐらいが理論株価なんだろうと思う。いちいち計算してないけど。でもいままで妙にみんな金余ってて、少ない投資先をジャブジャブの資金で鉄火場やってただけなんだから、地道に経済支えている製造業やサービスや流通なんかは変なところふるい落としてこれから徐々に経済効率を上げていく要の産業になっていく時

    ようやく目当てのものが買えて国内で勝負ができるな - やまもといちろうBLOG(ブログ)
    castle
    castle 2008/10/09
    「新しいルールの経済や社会や外交を模索していくんだよ」「米欄:「宗教」「暴力」「テロ」がゲームの基本カードになるってオチも。ルールというのはそれを強制する力があって初めてルールになるわけで」
  • ンなもん、知識ちゃうねん。 - 消毒しましょ!

    なぜなら、ネットの時代、知識は誰でも簡単に拾えるようになったので、知識そのものに価値がなくなったからだ。 言った人が直後に訂正しているように、これ、ちゃうねん。「ネットの時代」に「誰でも簡単に拾えるようになった」のは情報であって、知識ちゃうねん。知識とは、 1 知ること。認識・理解すること。また、ある事柄などについて、知っている内容。 2 考える働き。知恵。 とかであって、バカがこぞって自分にも知識はあるな(調べられるな)と思い込んで安心しているようだが、情報が増えて「誰でも簡単に拾えるようになった」りすりゃ、今度はその情報が正しいか否かを確認しなきゃならないわけで、こんなもの便利でもなんでもないねん。そもそも、ググっただけで「理解」したり「知恵」がついたりすんなら、はてながこんなにバカばかりである筈もなく、オレが罵倒系blogなんて作る必要もなかったねん。 典型例としては、「簡単に拾え

    ンなもん、知識ちゃうねん。 - 消毒しましょ!
    castle
    castle 2008/10/01
    「これ、ちゃうねん。「ネットの時代」に「誰でも簡単に拾えるようになった」のは情報であって、知識ちゃうねん」「知性の有る無しなんてそこに見識があるか否かで直ぐ分かるねん。それは読む方にも求められるねん」
  • どこまでいってもかみあわない、エアー対談〜『リアルのゆくえ』 大塚英志+東浩紀著(評:栗原裕一郎):NBonline(日経ビジネス オンライン)

    読者を選ぶ対談集である。副題にある「おたく/オタク」という表記、これはある意味で試金石になっていて、この書き分けにピンとこない人は書の想定読者からはたぶん外れるだろう。 「おたく」は大塚英志がこだわっている表記で、彼の論では「おたく」と「オタク」は厳密に使い分けられる。それがどんな議論かには踏み込まないが、ようするに「おたく」は大塚を、「オタク」は東浩紀を表象しており、この副題は「大塚英志/東浩紀」と読み替えることが可能だ。 その程度の解読を(当人が意識するか否かに依らず)やってのける素地を持った読者、つまり、大塚英志や東浩紀、および彼ら界隈の人たち(対談中に頻繁に名前のあがる宮台真司やその影響下にある若手など)が織りなすサークルに「萌える」人々が書の想定ターゲットということになるだろう。 まあ、狭い。とはいえ、書は発売後すぐに1万部の増刷が決まったそうで、それくらいの市場は抱えてい

    どこまでいってもかみあわない、エアー対談〜『リアルのゆくえ』 大塚英志+東浩紀著(評:栗原裕一郎):NBonline(日経ビジネス オンライン)
    castle
    castle 2008/09/29
    「ポストモダンの「動物」なんて絵物語なのだから、かつて自然主義文学が仮構した「私」を更新し、近代をあらためてやりなおす新しい「私」を作るのが今時の文学の使命」「リベラル・コミュニタリアン論争」
  • 何人をも幸せに出来ないのではないかという恐怖。 - 真性引き篭もり

    人は皆、誰かを幸せにする事が出来る。 人は皆、誰かを喜ばせる事が出来る。 ある一人の人間が他の誰かを幸せにし、その誰かがまた他の誰かを幸せにする。世界はそんな風にして回っている。人間世界というものは、とどのつまり、幸せのネットワークである。 円満な夫婦から生まれた赤子は、ただ「おぎゃー」と泣くだけで、他の誰かを喜ばせる事が出来る。他の誰かを幸せにする事が出来る。赤子というものは、類を見ぬまでの強キャラである。けれども成長するにつれ、人は皆その、天性の力を失ってゆく。 たとえば、今そこで、あなたが泣いたところで、誰が喜ぼうか。たとえば、今ここで、僕が泣いたところで、誰が幸せになろうか。何人も、幸せになどならぬのである。誰一人として、喜んだりはせぬのである。泣いてるだけでは、駄目なのである。では、どうすればよいか。 最も手っ取り早いのが、労働である。労働を行えば、誰かが幸せになる。即ち、労働を

    castle
    castle 2008/09/20
    「労働に頼ることなく、外部、身内、本人の3者を喜ばせ、幸せにする事が出来る人間は皆無に等しい」「此の世に生を受けた瞬間に、自ら己の幸せを望まぬ人間。自らの喜びを望まぬ人間は、一人としていないだろう」
  • そうやって戦争が起きんだよwww - 消毒しましょ!

    結局社会は「イヤなことを言わないヤツ」で回るのではないかという仮説 いつも「イヤなこと」ばかり言ってるオレが来ましたよ、とwwwwww インターネットが広く一般に普及して以来、イヤなことを言われたとか、いやだってホントのことだろとか、人と人との諍いやトラブルが表面化するようになった。というのも当たり前で、誰にでも公開の場で諍いをやるわけだから、それは人の目に付いて当然である。 「公開の場で諍いをやるわけだから」「諍いやトラブルが表面化するようになった」という言い方自体に論理的誤謬はないが、微妙なすり替えが潜んでるな。そもそも、「インターネットがなかった時代にイヤなことを言うやつ」は、「上司や同僚」に代表されるような身近にいる人間に限られていたのであり、「インターネットが広く一般に普及」した結果として、従来は出会わなかった筈の人間同士の間にも「諍いやトラブルが」発生するようになったんだろ。つ

    そうやって戦争が起きんだよwww - 消毒しましょ!
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    castle 2008/09/19
    「>イヤなことは全スルーがデフォ。そして物言いがいい感じの人に有益な情報や人が集まり、ポジティブな空気の中で世の中を動かしていくのがスマートな社会/←そうして詐欺師や談合や癒着が蔓延り、終いにゃ戦争」
  • 『おまえが若者を語るな!』及び『ゼロ年代の想像力』 - K_Research

    おまえが若者を語るな! (角川oneテーマ21 C 154)作者: 後藤和智出版社/メーカー: 角川グループパブリッシング発売日: 2008/09/10メディア: 新書『おまえが若者を語るな!』がいろいろとすごい。 - Something Orange『おまえが若者を語るな!』は昨今の若者論に対する批判の書である。旧メディア上でしばしば目にする次のような言説、曰く「凶悪な少年犯罪が増えた」「最近の若者は理解不能で不気味だ」「若者が右傾化している」「文化をデータベース的に消費している」など、こうした主張は主観に基づいた若者バッシングでしかなく、全く実証的根拠を持たない俗流若者論だとして著者の後藤和智は一蹴する。とりわけ著者が意図しているのは宮台真司批判だ。90年代後半から00年代初頭にかけて、宮台ほど若者に影響を及ぼした論客はいないだろう。その宮台が当時用いた「終わりなき日常」「まったり革命

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    castle 2008/09/16
    「(文章が芸になっていることは)どれも社会に影響力を行使するには必要な要素」そういや小室直樹はだから落語家に教えを乞うたんだっけか。
  • 「戦時統制経済」はほんとうに存在したのか? - Cahier de Siliqua_alta

    book, economy | 23:37 | 「戦時統制経済」という通説第二次世界大戦中、総力戦の必要性にせまられて国家が社会のすみずみに侵襲し、なかば計画経済的な「戦時統制経済」が各国でおこなわれるにいたった、そして、そうした「戦時統制経済」の経験が戦後世界の社会民主主義的、福祉国家的な国家体制を準備した。そういうはなしをよく聞く。しかし、このは、そうした世間の通説に対して真っ向から疑問をつきつける。戦時中の各国政府がそのような体制を志向したのは事実かもしれない。しかし、当の政府にそのような体制を運営するだけの「能力」がほんとうにあったのか?通説の支持者は「計画」の内容からその実施までを含むパフォーマンスの検証をきちんと行ったのか?ソ連の例をみるまでもなく、政府に経済を「計画」し「経営」する能力などありはしないし、実際、戦争計画のパフォーマンスはどれもさんさんたるものだったのではない

    castle
    castle 2008/09/12
    「戦時中の各国政府がそのような体制を志向したのは事実かもしれない。しかし、当の政府にそのような体制を運営するだけの「能力」がほんとうにあったのか?」
  • 「信じる力」が足を前に踏み出させる - 狐の王国

    この世の中、断言できる事などごくわずかだ。偉大な哲学者であるヴィトゲンシュタインは、それでもたった7つではあるが、断言して見せた。逆にこうも言う。 他方、書に表された思想が真理であることは侵しがたく決定的であると思われる。それゆえ私は、問題はその質において最終的に解決されたと考えている。そしてもしこの点において私が誤ってるのでなければ、書の価値の第二の側面は、これらの問題の解決によって、いかにわずかなことしか為されなかったかを示してる点にある。 ヴィトゲンシュタイン著 野矢茂樹訳「論理哲学論考」(岩波文庫版) P11 「いかにわずかなことしか為されなかったか」。ヴィトゲンシュタインほどの哲学者をもってしても、たったこれだけしか語り得なかったということに、始めて書に触れた20代の俺は愕然とした。 それからしばらくたって、俺はいかに「断言する」かを考えるようになった。どうせ明晰に語り得

    「信じる力」が足を前に踏み出させる - 狐の王国
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    castle 2008/09/01
    「(2chは)行動力が足りない」「「信者」という言葉は2chじゃ最早ダメな人の代名詞。信じたら負けなんだろう、彼らの価値観では」「疑ってばかりでは何も行動できなくなるし、信じるだけでは間違いを見付けられない」
  • 「世界は自分に優しくない」という解毒剤:日経ビジネスオンライン

    (前回から読む) ―― 今の10代の子たちを中心に、若い人には「夢のようなスゴイものを、努力をしないで獲得できる」という思い込みがあるとのことでしたが、どうしてそうなってきたのだと思いますか。 谷口: 理由は大ざっぱには存在しているんですよ。例えば少年漫画を読むと分かると思うんですけど、時代が下るにつれて、主人公はどんどん努力をしなくなっていくんです。もしくは主人公は、努力は漫画では見えないところで済ましたという話にしておいて、漫画のコマには出てこないようになっているんです。 ―― 「努力」に対する価値が減ったということですか。 読者が、「努力によって何かを勝ち取る」という“物語”に夢を見なくなったんじゃないですか。 「巨人の星」(1966)がブームになった頃は、まだ努力に夢があったはずなんですよ。星飛雄馬は、大リーグボール養成ギプスをしてウサギ跳びをして苦労をすれば、長屋生活から脱却して

    「世界は自分に優しくない」という解毒剤:日経ビジネスオンライン
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    castle 2008/08/29
    「読者が、「努力によって何かを勝ち取る」という“物語”に夢を見なくなった」「情報が広がり過ぎてしまったが故に、子供たちは将来について不安になる」「抑圧した上で、突き破ろうとして出てくるのが個性」
  • 宇野常寛『ゼロ年代の想像力』と山形・稲葉の新教養主義 - 韓流好きなtanakaの過疎日記

    何度もアマゾンのおすすめに出てきたのでたまたま書店で手に取る。毎回思うが、「時代」を語る上で必修である経済問題に対する想像力というか理解というか知識というかが、この種の論者には決定的に不足していることだ。 それは単純に不勉強だからだろう。どんなに取り繕ってもこの不勉強は今後この若い論者の可能性の足枷になる。人が「時代」と格闘しようとすればするだけこの取り繕いが彼の論説の限界を設定していく。それは高原基彰氏にも感じたことだ。それは残念なことだ。いや、むしろ僕はその不勉強ぶりを少し怒ってもいる。 例えば、その想像力、理解、知識の不足をなんとか補っても、話はよくあるパターン(小泉政権がもたらした構造なんとかのなんとか変化というベタなストーリー)に落ち込むのがせきのやまだろう。 以下に引用するように、「想像力、理解、知識の不足」は、例えば書の基的な認識を奇妙なものにするのに十分である。 「こ

    宇野常寛『ゼロ年代の想像力』と山形・稲葉の新教養主義 - 韓流好きなtanakaの過疎日記
    castle
    castle 2008/08/27
    「世の中が正しい価値や生きる意味を示してくれないのは当たり前=前提、そんな前提にいじけて引きこもったら生き残れない。だから「現代の想像力」は生きていくために、まず自分で考え、行動するという態度を選択」