本日、非常勤先の講義、夏休み明けの第1回目。 「放送特講」という科目なので、リアリティ・テレビの話で何回かつなぐかと姑息な算段をし、他人のネタながら*1、『トゥルーマン・ショー』を見せて、ぽつぽつ説明をはさみこむ。 関大では去年も一昨年もやったネタで、「代わり映えしねえなあ」という声もどこかから聞こえてきそうだが、まあ、ウケのいいネタではあるのだ。 で、映画のなかで視聴者がわくわくするシーンを見てて、何かに似てるなあ、と。 ああ、そうだ、「ジュンちゃん、がんばれ」「コイズミ、がんばれ」の視聴者=有権者に似てるんではないかなあ、と。 『トゥルーマン・ショー』は、作りごとの「お決まり」(予定調和)への嫌悪とその破綻への欲望を描きだした映画である。 リアリティ・テレビは、すべからく、そのようなそこはかとない嫌悪と欲望に支えられている。 映画のなかの視聴者は、いつ番組が破綻するかを待ちこがれながら