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歴史認識に関するchanmのブックマーク (3)

  • 毎日社説 視点 「空白の10年」を埋めるのは国の責任だ - finalventの日記

    原爆投下からほぼ10年間、つまり昭和20年代に重なる年月を被爆者は「空白の10年」と呼ぶ。文字通り、公的な援護制度や政策もなく、被爆者たちを差別や偏見にさらされるままにした10年であり、当時最も支援を必要とした人たちが次々に亡くなった。 それまでの「空白の10年」の実態を今のうちに被爆者から聞き取り記録しておきたい。そう願い、広島県原爆被害者団体協議会が昨年から3年計画で調査を進めている。その第1段階のアンケート結果が最近まとまった。回答者は県内の生存被爆者のうち7096人。被爆時に胎児から30代だった人にまでわたり、被爆後10年の記憶に限定して尋ねた。 まあ、それに異論があるわけでもないが。 この空白には米国側に資料がけっこうあるはずで、それはどの程度研究されているのだろう。頭がぼうっとしているからというのを弁解に放言すると、日の原爆はジェノサイドだったよというのはさすがに放言が過ぎて

    毎日社説 視点 「空白の10年」を埋めるのは国の責任だ - finalventの日記
    chanm
    chanm 2007/06/18
    そうかこの情念のせいで アメリカ人「ていうか日本、中国とかにひどいことしたよね、謝んなよ」私「おまいが言うな」ループが終わらないのかw・・ファクトで話します・・
  • 『戦争の記憶を歩く 東南アジアのいま』早瀬晋三(岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。 書は、以下にシラバスを掲載するように、大阪市立大学全学共通科目、総合教育科目A、主題「生命と人間」、授業科目「戦争と人間」(文学部:早瀬晋三、非常勤講師:谷川穣(京都大学人文科学研究所))の教科書である。と同時に、この書評ブログで「批判」したことへのわたし自身の「答え」でもある。 批判することは、すこし勉強をして経験を積めば、それほど難しいことではない。しかし、責任のある批判、建設的な批判となると、自分自身が実行したか、批判を契機に実行するかのどちらかでないと、説得力は乏しくなる。 以前(2005年8月2日)、この書評ブログで、「高校生にも読んでほしい」という著者の真摯な念いと試みにたいして、「学生相手に講義を積み重ね、学生の理解度

    『戦争の記憶を歩く 東南アジアのいま』早瀬晋三(岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    chanm
    chanm 2007/03/09
    "「学ぶ姿勢」のできていない学生は、頭から「批判」する。充分な知識がないと「批判」は批判にならず、「批判」にたいする批判に答えられないことがわかっていない。"
  • カワセミの世界情勢ブログ 歴史認識問題の難しさ

    昨今、従軍慰安婦問題が米国下院で取り上げられ、再度注目を浴びる形になっている。歴史認識の問題はいつも難しいが、自分が良く見る数少ないブログで取り上げられていたこともあり、このエントリでコメントの代わりとしておくつもりである。 forrestal殿のエントリで歴史認識のレベルを分かりやすく例示しており、この種の問題を取り上げるときに整理された思考の手助けとなろう。ただ、リンクしておいてこういうのも何だが、筆者の見解は少し異なる。ここで言うファースト・レベルの検証段階とセカンドレベルの認識・解釈レベルはこの問題の出発点と終着点であると思うのだ。中心に検証の結果得られる客観的事実があり、アカデミズムの原則で事実が追及されるのを基とする。しかし認識・解釈レベルは、各国・地域・文化集団・個人によって実に様々である。同じ国の中でも異論があり、少なくとも民主主義国では、多数派はこうであるという言い方し

    カワセミの世界情勢ブログ 歴史認識問題の難しさ
    chanm
    chanm 2007/03/07
    相手の文脈に沿った回答をしないとなのね。
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