翻訳家の鴻巣友季子さんの話 「日本にルーツがあるカズオ・イシグロさんは、『遠い山なみの光』など初期作品は日本を舞台に繊細なタッチで書いている。『日の名残り』でブッカー賞を受賞し、世界的な地位を固めた。 でも何と言っても有名なのは『わたしを離さないで』で、これは究極の格差小説だと思う。社会の中で抑圧された弱い立場の者たちを描いた作品で、政治的メッセージが強い。2005年の出版だが、日本でも昨年ドラマになったばかり。今読んでも不安感が迫ってくる。正直驚いたが、適切な授賞といえるだろう」
ここではシャーリー・ジャクスンの『くじ』の翻訳を掲載しています。 邦訳は『異色作家短編集12 シャーリー・ジャクスン くじ』として深町真理子訳で早川書房より出ています。 原文は http://www.acsu.buffalo.edu/~rrojas/The%20Lottery.htm で読めます。 誤訳などにお気づきの方は、ぜひご一報ください。 六月二十七日の朝は、からりと晴れて、暖かく明るい陽射しも澄んだ、夏らしい日となった。花は一面に咲き乱れ、草は青々と繁っている。村の人々は、郵便局と銀行の間の広場に、十時ごろから集まり始めた。 ところによっては、住人すべてがくじを引き終えるまで、丸二日を要するような大きな町もあるという。そんな町では、前日の二十六日から行われるらしいが、この村は全員合わせても三百人ほど、みんながくじを引いたところで、二時間もかからない。だから午前十時から始めても、時間
人生の半分を読書に費やしてきた活字中毒者があなたに紹介する愛しい本たちのこと…。 「今日は何の日?」にちなんだ本を紹介していきましょうね。 こんにちは、今日も来て下さってありがとう。 今日は少し長いけど「 富くじが 幕府公認になった日 」です。 なので、“ く じ 引 き ”をテーマにした作品を、ね。 くじ引きといえば、誰しも思うのは「 宝くじ 」だよね。当る当らないは 別にして、 みんな夢を抱いて買っているんだと思うよ。 毎月は 買わないけれど、年に一度だけとか、あなたも買われた事があるかも? 今日、お話する作品は・・・“ くじ ”がテーマにはなっているけれど・・・ はい 今日の 読書は 『 く じ 』 by シャーリー・ジャクソン 発売日:2013年2月 サイズ:文庫 出版社:文藝春秋 “ 厭 な ”物語を集めた短編集 この中に収録されています。 『くじ』が表題作になった本は、早川書
Unknown (ゆふ) 2004-12-11 23:07:34 遅まきながら『くじ』を読みました。 だれもがこう思うはずだ。 テシー・ハッチンスンはこのあとどうなったんだろう。 なんのための儀式、なんのためのくじなんだろう。 疑問は、いつまでも心にのこる。 陰陽師さんの解説にこうありましたが、私はさらにこんなことも考えました。 他の年、あるいは他の村ではどんな人が「当たり」を引いたのか その人達もやはりテシーと同じようなうろたえ方をしたのか それともそのことを淡々と受け入れたのか でも、これもやはり作者の思うつぼなんでしょうね。 本当は愚かなことなのに、疑う機会を持たないまま続けられている儀式、伝統、習慣。 そして、それに異を唱える者には石を投げる。 我々はそんなことをしていないだろうか、などと考えてしまいました。 (こういった小説から教訓めいたことを導き出すのは非常に野暮なことではない
全世界を驚かせたボブ・ディランのノーベル文学賞受賞。長らく候補に挙がっていたとはいえ、その衝撃の大きさは想像以上だったようだ。日本ではおおむねお祝いムードなのだが、欧米では受賞の是非をめぐる議論が巻き起こっているという。特に文壇から発せられる疑問の声は小さくない。 小説『トレインスポッティング』の著者であるアーヴィン・ウェルシュは、「これは、ボケて支離滅裂の年寄りヒッピーたちの臭い前立腺からもぎ取られた、ノスタルジー優先の良くない受賞だ」(BBC NEWS 日本語版 10月14日配信)と痛烈に批判した。 小説家のジョディ・ピコーも祝意は示しつつ、「だったら私でもグラミーもらえるかしら?」とのハッシュタグを付け加えることを忘れなかったという。 だが周囲の喧噪をよそに、かたくなに沈黙を守るディランの真意はどこにあるのだろうか? 受賞決定から2日ほど経ってもコメントひとつ発表せず、ノーベル賞事務
『シン・ゴジラ』を監督した庵野秀明は、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の登場人物の名(トウジとケンスケ)を村上龍の『愛と幻想のファシズム』から拝借し、『ラブ&ポップ』を実写映画化したことがある。 そして庵野秀明監督の最新作『シン・ゴジラ』は村上龍以上に、2000年代以降の村上龍の問題意識を体現した作品だった。そして描かれるべき「震災後文学」をついに世に投じた作品でもあった。 どういうことだろうか? それを捉えるために、まずは村上龍の辿った道を見ていこう。 ■サラリーマンになれない 「おまえはぜったいにサラリーマンになれない」 村上龍は幼少期から親や教師たち(両親も教師である)にくりかえし、そう言われてそだった。 彼は集団作業にむいておらず、他人の指示に従うということを嫌った。 だからはじめ、医者になろうと思った。自営業者として開業医になれば、組織の論理をふりかざす「上司」のような人間にした
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く