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ブックマーク / www.nabunken.go.jp (25)

  • 全国遺跡地図総目録 - なぶんけんブログ

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  • 「古代の官衙遺跡 Ⅱ遺構・遺跡編」 - なぶんけんブログ

    「古代の官衙遺跡 Ⅱ遺構・遺跡編」を電子公開しました。 文をPDFで閲覧いただけます。 https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/88569 目次 Ⅰ 文字関係資料 Ⅰ-1 木簡の内容と形式 Ⅰ-2 木簡の書風と書式 Ⅰ-3 木簡の製作と廃棄 Ⅰ-4 墨書土器・刻書土器 Ⅰ-5 漆紙文書 Ⅰ-6 紙・筆・墨・硯 Ⅰ-7 文字瓦 Ⅱ 古代の土器 Ⅱ-1 古代前期の土器 Ⅱ-2 古代後期の土器 Ⅱ-3 陶製の枡・油杯 Ⅲ 瓦類 Ⅲ-1 瓦葺建物の復元 Ⅲ-2 瓦の製作と分布 Ⅲ-3 瓦の観察 Ⅳ その他の遺物 Ⅳ-1 腰帯具・銭貨・印章 Ⅳ-2 武器・武具 Ⅳ-3 祭祀具 Ⅳ-4 工房関係遺物 Ⅳ-5 柱根 Ⅳ-6 建築石材 Ⅴ 宮都 Ⅴ-1 宮室 Ⅴ-2  京の成立 Ⅴ-3  大極殿・朝堂院 Ⅴ-4  三部世界観 Ⅴ-5  宮内の曹司 Ⅵ 国府 Ⅵ-1 

  • 文化財動画ライブラリー公開のお知らせ - なぶんけんブログ

    ■公開日時:2020年8月26日(水) ■URL:https://sitereports.nabunken.go.jp/ja 〇経緯・背景 新型コロナウイルスによる感染症拡大を受けて、現在、展示等の文化財関連事業にも影響がでています。そこで情報発信を補うためにwebによる文化財関連動画の配信が行われ、新しい生活様式の構築や地域の魅力発信等に効果を挙げています。全国の調査機関が専門性を発揮して制作した動画がYouTube等にて多数公開されています。しかし、動画の所在を把握しにくいことや、他の人気動画の影に隠れるなどの理由により視聴されにくい場合があります。そこで、全国各地で制作されている文化財関係の動画情報を統合し、紹介するプラットホーム「文化財動画ライブラリ―」を構築し、閲覧の便を図ることで、文化財をつうじた地域の魅力発信に資することや文化財に対する国民の理解を一層高めることを目的として、

  • 新しい論集『奈文研論叢』創刊! - なぶんけんブログ

    この度、奈良文化財研究所では『奈文研論叢』を創刊し、その第1号を刊行しました。 私たち奈文研の調査研究活動を支える原動力の1つは、専門分野を異にする所員の独創的な個人研究です。『奈文研論叢』は、奈文研所員がテーマや分量にとらわれることなく、個人研究の成果を自由に発表する場になります。この論集を通じて、私たちの研究の一端に是非お触れ下さい。 ※『奈文研論叢』は販売を予定しています。購入希望の方は、のちほど奈文研ホームページに掲載する案内をご覧ください。 『奈文研論叢』第1号の内容 論文 参河三嶋贄荷札の年代                      山 崇 麦垸と索―土器からみた古代の麺考―              森川 実 「金琺瑯」は、なぜ「和蘭陀ノ焼物」なのか            尾野 善裕 ―伝世有形文化財(考古資料)と文字史料― 古墳時代前期における木工技術の変容    

  • いま長屋王家木簡を見直そう! - なぶんけんブログ

    2020年3月 このコラムのタイトルにもなっている作寶樓の主、長屋王(676?-729)に関わる長屋王家木簡35,000点の発見(1988年)から、もう30年以上が経ちました。発掘調査によって住人を特定できた稀有の事例で、それも木簡の発見があればこそでした。 長屋王家木簡は、平城遷都直後の710年から717年頃にかけてのもの。発見の直後にその倍以上の74,000点に及ぶ二条大路木簡が一連の調査で見つかり、その後平城宮東方官衙の10万点規模の発見もあったため、長屋王家木簡発見の衝撃が忘れ去られている節もありますが、その意義は高まりこそすれけっして小さくなることはありません。 長屋王家木簡と二条大路木簡の整理・解読に従事してきた私自身、よく両者を比べて考えたものです。初めに担当したのが二条大路木簡の整理で、報告書の原稿も執筆しましたので、最初は点数が多く、さまざまな役所に関わる木簡を含み、全国

  • 全国遺跡報告総覧:類義語およびOCR誤認識用語検索機能の公開 - なぶんけんブログ

    以下の2つの機能を公開しました。より網羅的なテキスト全文検索を目指します。 キーワード検索時に類義語およびOCR誤認識用語(表記ゆれ)の登録がある用語の場合、検索結果にチェックボックスが表示されます。 〇類義語を含めた検索 専門用語の使い方は、専門家の認識や研究史に基づきます。ただし研究成果を社会に普及する観点からは検索性を確保する必要があります。そこで用語の類義関係を整理し、内部にシソーラスを構築することで、類義語も含めて検索できるようにしました。 〇OCR処理の誤認識用語を含めた検索 印刷物からスキャンした報告書データは、OCR処理によってテキストデータ化されています。しかし、似ている漢字については誤認識される場合があります。 例) 石と右、文と丈 その場合、全文検索で検索結果に漏れが生じることになります。 そこで誤認識されやすい漢字をとりまとめ、専門用語と突合することによって、表記ゆ

    consigliere
    consigliere 2020/02/17
    すげえな、どんどん便利になっていくな
  • 森蘊 旧蔵資料 目録の公開 - なぶんけんブログ

    森蘊(もり・おさむ、1905-1988)は、昭和を代表する庭園史家であり、作庭家としても活躍した人物です。奈文研が創建された昭和27年(1952)から、昭和42年(1967)に退官するまで、建造物研究室長を務めました。奈文研退官後は「庭園文化研究所」を設立し、京都の浄瑠璃寺庭園、奈良の円成寺庭園、平泉の毛越寺庭園をはじめ、多くの歴史的な庭園の修理・復元整備を手がけ、文化財庭園の保存活用への貢献は大変大きいです。 文化遺産部 遺跡整備研究室では、森蘊氏の遺族より自邸に所蔵されていた資料の寄贈を受け、その整理を進めてまいりました。この度、目録が完成しましたので公開します。 森蘊 旧蔵資料 https://www.nabunken.go.jp/research/moriosamu.html

  • 平城宮跡資料館秋期特別展「地下の正倉院展-荷札木簡をひもとく-」第1~3期解説シート - なぶんけんブログ

    平城宮跡資料館秋期特別展「地下の正倉院展-荷札木簡をひもとく-」第1~3期解説シート を電子公開しました。 文をPDFで閲覧いただけます。 第1期:https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/23978 第2期:https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/23980 第3期:https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/23981 第Ⅰ期展示木簡 荷札のふるさと ・1大和国からの荷札 ・4遠江国からの雑魚腊の荷札 ・7下総国からの贄のワカメの荷札 ・10武蔵国からの贄のフナの荷札 ・15佐渡国からのワカメの荷札 ・16但馬国からの赤米の荷札 ・20安芸国からの白米の荷札 ・22淡路国からの調の塩の荷札 ・24阿波国からの小麦の荷札 ・28日向国からの牛皮の荷札 荷札のカタチ ・31備中国からの鍬

  • 平城宮第一次大極殿院における幢旗遺構の発見と奈文研の継続調査

    2018年11月 元日朝賀と即位式は、古代国家にとって最も重要な儀式でした。これらの儀式に用いられたのが、烏・日月・四神をモチーフにした7の宝幢・四神旗(幡)(以下、幢旗(幡))です。平安時代の史料には、主柱に2の脇柱が付く3柱の幢旗が大極殿の前に7横一列に並ぶと規定されています。1983年に第二次大極殿の前でこの宝幢・四神旗を立てた遺構が発見されると、発掘遺構からその実態に迫ることが可能になりました。 2016年、大宝元年(701)元日朝賀にともなう藤原宮幢幡遺構が発見され、1柱を立てる柱穴が中央に1基、その東西に各3基が三角形状をなして大極殿院南門前面に並ぶという、宝幢・四神旗(幡)を立てる儀式の最初の在り方があきらかになりました(図1)。しかしこの発見は同時に、大極殿の前面で3柱の幢旗が7横一列に並ぶ定型化した配列方式へと、いつ、どのように変化したのかという新たな課題を

  • 「十六むさし」と「八道行成(やさすかり)」 - なぶんけんブログ

    2018年10月 最近、我が家では子どもと一緒に「十六むさし」というゲームで遊んでいます。 十六むさしとは、四角と三角の外枠に縦横斜めの線を引いた盤面(図1)の上で、親駒と子駒を交互に動かして遊ぶ対戦ゲームです。親駒1個、子駒16個でゲームを開始し、親駒が子駒の間に入ったら子駒を捕って数を減らすことができ、逆に子駒が親駒を囲んで動けなくしたら子の勝ちです。似たようなゲームは西洋でも「キツネとガチョウ」ゲームとして知られています。 十六むさしは江戸時代に流行し、町人や子どもが遊ぶ姿が浮世絵などに描かれていますが、明治時代以降に廃れてしまい、現代ではほとんど遊ばれていません。 では、なぜ我が家で今、十六むさしで遊んでいるのか。それは、十六むさしが古代の盤上遊戯「八道行成」に由来するゲームと考えられていることに理由があります。 八道行成とは、平安時代の『和名類聚抄』に遊戯のひとつとして記載されて

  • 木簡の「夏」 - なぶんけんブログ

    2018年8月 今年の夏は異常なまでに暑い日が続きました。お盆も過ぎ、少しは暑さも和らいできたように感じられますが、各地で39度を記録する日もあるなど、まだ油断はできません。来夏以降もこのような猛暑が続くのでは、という不穏な話も耳にします。 さて、古代にも毎年暑い夏がやって来ていたはずですが、「夏」という文字は、木簡にはあまり登場しません。試みにデータベース「木簡庫」で文に「夏」を含む木簡を検索してみると、25件(うち古代18件)しかヒットしません。他の季節「春」「秋」「冬」については、「春」が200件(うち古代173件)、「秋」が105件(うち古代87件)、「冬」が13件(うち古代10件)で、かなり偏りがあります(いずれも2018年8月22日現在)。春は「春日」「春日部」、秋は「秋万呂」「秋足」「秋人」などの地名や人名がよく見られるのに対し、夏や冬は地名や人名にあまり使われない文字だと

    consigliere
    consigliere 2018/08/24
    ちなみに千字文にも夏は出てくるけれどもそれは「華夏」なのでいわゆる季節の「夏」ではないんだよな。さらにいうと、夏と秋と冬はあるのに、意外なことに春がない。
  • 「木簡データベース」及び「木簡字典」の公開終了のお知らせ - なぶんけんブログ

    新木簡データベース「木簡庫(Wooden Tablet Database)」の公開(http://mokkanko.nabunken.go.jp/)に伴い、1999年以来公開してきました従来の「木簡データベース」、及び2005年公開の文字画像データベース「木簡字典」の公開を、来る6月25日(月)をもって終了することになりました。 永らくのご愛顧に心から感謝申し上げますとともに、「木簡データベース」と「木簡字典」同様、新しい木簡データベース「木簡庫」をますますご活用いただければ幸いです。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。 史料研究室

    consigliere
    consigliere 2018/05/21
    「木簡庫」の公開に伴って。今までありがとうございました。
  • 新グッズが登場! - なぶんけんブログ

    奈文研ロゴマークは側面に大胆に配置し、水落遺跡の遺構図は繊細な線まで再現した完成度の高い仕上がりです。

  • 「茹でる」のナゾ - なぶんけんブログ

    2017年8月 人はべられなければ生きていけません。博物館施設での展示においても昔の料理や郷土料理の紹介は来館者に人気の高いテーマの一つであり、平城宮跡資料館でも奈良時代の貴族の膳を復原したコーナーは人気があります。「こんなものをべていたのか」という驚きであったり、親近感であったりを感じられるのは、誰にとっても事が日常の一コマだからでしょう。 さて、調理法の基のキの一つは"ゆでる"です。魚やドングリをとっていた縄文時代でも、多彩なインスタント袋麺が並ぶ現代でも欠かせない調理法です。漢字では「茹でる」と書き、正倉院文書に残る写経所への材配給の記録に「薪一荷 大豆茹料」や「薪十束 二束麦茹料」、市での買物記録に「羹茹料」などの表記が見られます。薪は燃料ですし羹は汁物料理なので「茹」も現代と同じ意味に見えますが、実はこれがなかなか曲者なのです。漢字発祥の国である中国ではこの字を"ゆで

  • 藤原宮の幢幡遺構を読み解く - なぶんけんブログ

    2017年3月 2016年夏、藤原宮大極殿院の南門の前から、大宝元年(701)の元日朝賀の儀式で立てられた7の幢幡(どうばん)の遺構が見つかりました。『続日紀』はその儀式の様子を次のように伝えています。 「天皇、大極殿に御(おは)しまして朝(ちょう)を受けたまふ。その儀、正門に烏形(うけい)の幢(はた)を樹(た)つ。左は日像・青竜・朱雀の幡(はた)、右は月像・玄武・白虎の幡なり。蕃夷の使者、左右に陳列す。文物の儀、是(ここ)に備れり。」 正門とは大極殿院の南門のこと。その前に7の幢幡(どうばん)を立てならべ、盛大に元日朝賀の儀式がおこなわれました。「文物の儀、是に備れり」とは、法律や儀式をはじめとする諸制度と、官僚機構や行政組織などの国家統治のシステムが整ったことを誇示する表現で、大宝元年の元日朝賀は、律令国家の完成を慶祝する式典でもありました。 その儀式を荘厳した7の幢幡の具体的

  • (156)復原と復元の違い - なぶんけんブログ

    改造前に戻すか 新築か 「ふくげん」された平城宮(奈良市)の大極殿。今回は、この「ふくげん」という言葉について考えたいと思います。 この言葉の誕生は近代で、比較的若い言葉です。でも、ひとことに「ふくげん」といっても意味の範囲は広く、漢字も「復元」と「復原」の二つがあります。辞書では、どちらも「もとの姿に戻すこと」(日国語大辞典)とありますが、どう違うのでしょうか。 文化財の世界では、「復元」は遺跡で発掘される建物の痕跡(遺構)から、上部構造を考えることを意味します。各地の遺跡で竪穴建物や古代建築が建てられ、近世城郭の天守や御殿なども「復元」されています。いわば、新築の建物に「ふくげん」するのです。 これに対して「復原」は、文化財建造物の修理の際に用いる言葉です。多くの場合、建物は長い年月の間に増改築や改造が行われています。「復原」は建物の改造の痕跡をもとに、改造前の姿に戻すことを意味しま

    consigliere
    consigliere 2017/01/05
    「同じ読みでも、古建築の修理現場では両者を細かく使い分けている」
  • 灰色文献 - なぶんけんブログ

    2016年10月 灰色文献と言っても、が灰色なわけではありません。書店で簡単に購入できたり、多くの図書館に所蔵されたりしていて、誰でも読むことができるのが白色文献、関係者以外まったく入手できないか存在自体が公表されていない文献を黒色文献と呼ぶ時に、その中間にあたるのが灰色文献です。 考古学の分野には灰色文献がたくさんあります。遺跡について詳しい情報を提供している発掘調査報告書は発行部数が少なく、公共図書館にはほとんど所蔵されていません。考古学に関する論文も、大規模な学術誌だけではなく、歴史好きな人たちが同人誌のような小規模な雑誌に投稿しているものもあり、発行部数が少なく流通範囲も狭いために入手が困難となっています。他の文献で引用されたり、参考文献として挙げられていても元の文献を見ることが難しいこれらは、灰色文献と呼んでいいでしょう。 奈文研では考古学分野での灰色文献を減らすために、文献へ

    consigliere
    consigliere 2016/10/03
    「考古学の分野には灰色文献がたくさんあります」本当にそう。
  • (141)東大寺東塔跡の調査(上) - なぶんけんブログ

    基壇 古代では最大級 奈文研では、2015年に、東大寺・奈良県立橿原考古学研究所とともに発掘調査団を組織して、東大寺の東塔跡の発掘調査をおこないました。 奈良時代の東大寺には、東塔と西塔という二つの巨大な七重塔が建っていました。1180年の平重衡の焼き討ちによって、これらの塔も焼けてしまいましたが、その後、少なくとも東塔は再建されたことが文献からわかっています。 発掘調査では、この鎌倉時代に再建された塔跡が、まず姿を現しました。塔の基壇(基礎の土壇)は正方形で、一辺が約27メートルもあり、高さは約1・8メートル前後と推定されます。基壇の上には、径4メートルほどの大きな穴が規則的に多数あいていました。これは塔の柱の下に置かれた礎石を抜き取った穴です。 奈良時代の塔の基壇は、鎌倉時代の基壇にすっぽりと覆われ、部分的にしか確認できませんでしたが、その規模は一辺約24メートルと推定されます。古代で

    consigliere
    consigliere 2016/07/21
    「2016年度はこの奈良時代の塔を解明する発掘調査をおこなう予定」
  • 古代の木簡でよく使われた漢字 - なぶんけんブログ

    2015年12月 古代の人が書いたもの、といえば、何とも難解なイメージがありませんか。しかも、飛鳥藤原京や平城京の時代には、まだ今のようなひらがなやカタカナがなく、すべて漢字で、都で発見される木簡にも、たくさんの漢字が書かれています。そんな世界に飛び込むには、漢字の勉強での苦い思い出がよみがえるのか、足がすくみますが、木簡に書かれた文字をリストアップしてみると、意外にも、私たちがよく使う漢字が多いことに驚きます。第100位までは以下のとおりです。 十人日一部月二呂大国五三六年郡升八四上万米斗七田廿麻位九天里郷下平百口合嶋受進子足石戸御右内中主女広道文斤伊山調海物小少連司従安野長秦佐古前家宮河白臣卅正直等所若生阿初豆川木不丈高神魚申真多塩太宿波守 これをみると、第1位の「十」と同じく、「一」から「九」の漢数字が上位に集中しています。「廿」と「卅」は、現代ではあまり使わない文字ですが、これも「

  • 木簡の文字の向こう側―「采女」の合字― - なぶんけんブログ

    2014年12月 私が所属する史料研究室の主な仕事に、木簡の解読があります。今とほとんど同じ漢字を使っているとはいえ、およそ1300年前の人びとが書いた文字を読み解くのは、なかなか一筋縄ではいきません。私が出会った中で印象に残っている木簡を1点、ご紹介したいと思います。 その木簡は、平城宮第一次大極殿院西辺から出土した、但馬国二方郡(ふたかたぐん:現在の兵庫県美方郡新温泉町付近)の荷札です【写真】。物品名は見えませんが、米の荷札と考えられています。 荷札の裏面には、納めた人の名前が書かれています。はじめは、「委直馬弖」(やまとのあたいうまて)と読んでいました。1文字目を、「倭」の人偏を省略した字形と読んだのです。確かに、全体的な雰囲気は「委」に似ています。しかし、どうもおかしい……。 「委」であれば、二画目が横に長く通るはずです。ところが横画はさほど明瞭ではなく、しかも左右にちょんちょんと