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storiesに関するconsigliereのブックマーク (329)

  • 「文藝評論家」小川榮太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた | 「文藝評論家」小川榮太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた | 高橋源一郎 | Webでも考える人 | 新潮社

    9月21日・金曜日の夜、「新潮」編集部から電話がかかってきた。おかしいな、と思った。今月は締め切りがないはずなんだが。イヤな予感がした。おれは、少しの間ためらった後、電話に出た。案の定だ。「新潮45」問題について書いてくれ、というのである。確かに、おれは、その問題についてツイッター上で少しだけ発言をした。それだけだ。面倒くさいし、何のためにもならない。一晩考えさせてくれ、といっておれは電話を切った。でも、おれは引き受けることになるだろう、と思った。「面倒くさくて何のためにもならないことは引き受けろ」は、高橋家の家訓なのである。 書くことを引き受けてすぐ、「新潮45」の休刊が決まった。この問題については、考えなければならないことが多すぎる。休刊の是非、雑誌や出版社、あるいは著者のあるべき姿、休刊の直接的な原因となったであろう小川榮太郎氏の論文の問題点、当該特集号の各投稿それぞれが抱えている異

  • 文政から天保へ | 学退筆談

    文政十三年、年も押し迫った十二月十六日に改元があり、天保元年となりました。西暦で言うと、1831年1月29日のことです。 文政十三年には天災が多く発生しました。いわゆる文政京都地震も、この年の七月(旧暦)に起こり、それを受けての改元のようです。 さて、松崎慊堂(まつざき・こうどう、1771-1844)『慊堂日暦』を読んでいたところ、同年十二月六日の記事に、こうありました。 京師の地震は、俗間に伝えて改元の事となす。過月七日、京師はまた大いに震い、相伝えて天保、或いは正文と改元すと云う。(『慊堂日暦』3、平凡社、東洋文庫、p.118) なんと、改元が公表される前に、新元号のことをあらかじめ知っていたというのですから、驚きます。十六日の記事には次のようにあります。 林公〔林述斎〕は有司をして歳儀を賜わしめ、長公〔林檉宇〕は別に博多煉酒及び醢を饋り、且つ今日天保と改元せることを報ず。果たして六日

    文政から天保へ | 学退筆談
  • 九大箱崎キャンパス火災 元院生の男性 放火し自殺か 身元判明、福岡東署|【西日本新聞】

    福岡市東区箱崎6丁目の九州大箱崎キャンパスで7日朝に研究室を焼いた火災で、福岡東署は15日、焼け跡から見つかった遺体は研究室に出入りしていた同区の職業不詳の男性(46)と発表した。署によると、死因はやけどによる火傷死。男性が放火、自殺したとみて調べている。 署は、現住建造物放火か、非現住建造物放火の疑いで、男性を容疑者死亡のまま書類送検することも視野に入れている。 男性は九大法学部の卒業生。署によると、研究室の内側からテープで目張りがされた上、遺体の近くに灯油用のポリタンクやライターがあった。自宅からは、9月上旬にポリタンクを購入した際のレシートも見つかったという。 九大によると、男性は大学院に進学し、2010年の退学後も研究室を使用。大学院は、9月末に同市西区の伊都キャンパスへ移転を完了する予定で、男性に再三退去を求めていた。 ◇      ◇ ■困窮、研究の場も無く 「経済破綻に直面」

    九大箱崎キャンパス火災 元院生の男性 放火し自殺か 身元判明、福岡東署|【西日本新聞】
    consigliere
    consigliere 2018/09/16
    これは・・・
  • 佐々木竹見氏独占手記、的場文男は「根性の人。負けず嫌い」

  • 戦時中に生きてた人の面白い話が読める PDF を紹介します - 山下泰平の趣味の方法

    昔の話は面白い 私は明治あたりの娯楽物語を読むのが趣味なんだけど、実際見たッ!!! みたいな話はメチャ面白い。 『上野合戦 桃川燕林 口演 今古堂 明治二七(一八九四)年』は、いわゆる講談速記で、講談師が語ったことを速記したものである。演者の桃川燕林は、実際に上野の戦争で官軍に捕まってしまい、殺されそうになったんだけど、たまたま燕林を知ってる人が通り掛り、「そいつは講談師だッ!!」って絶叫してくれたため助かった……という風に、こんな知ってもあんまり意味がない話が面白すぎる。 明治に限った話ではなくて、ジイさんやらバアさんの話は面白い。 私の知人のジイさんから聞いたものだと、戦時中にずっと塩を作り続けたって話がものすごく良かった。その人はいわゆるエリートで、大学を卒業し、そこそこ偉い人として戦争に出る予定だったんだけど、肺の病気になってしまい、日国内に留まることになる。で、なぜか肺の病気

    戦時中に生きてた人の面白い話が読める PDF を紹介します - 山下泰平の趣味の方法
  • 学芸員による7月開催『勝手に稲生物怪録祭り』の見応えがスゴい。稲生武太夫気分になれるかも

    もっちょ @snowmottori 妖怪・イノモケ、博物館、生き物、ガチャ、品サンプル、べるの大好き。ビエ収集沼。ぬっぺ癒し。博物館ぬい熱望。妖怪ぱれーど推し。 もっちょ @snowmottori 《勝手に稲生物怪録祭り》1749年(寛延2年)の三次、16歳の稲生平太郎のもとに、7月1日!突如現れた髭手の大男に掴まれる平太郎!危うし!! 【次回予告】アレが燃え上がる?お楽しみに! pic.twitter.com/yNLRcepaqF 2018-07-01 22:58:42

    学芸員による7月開催『勝手に稲生物怪録祭り』の見応えがスゴい。稲生武太夫気分になれるかも
  • 「どうだ明るくなったろう」おじさんの話から岡山・図書館抗争の歴史が紐解かれる(補足)

    リンク Wikipedia アンドリュー・カーネギー アンドリュー・カーネギー(Andrew Carnegie [ˈændruː kɑːrˈneɪɡi]、俗に[ˈkɑːrnᵻɡi, kɑːrˈnɛɡi]とも, 1835年11月25日 - 1919年8月11日)は、スコットランド生まれのアメリカの実業家。崩れ行く橋を見て着想を得てカーネギー鉄鋼会社を創業し、成功を収めて「鋼鉄王」と称された。立志伝中の人物であり、ジョン・ロックフェラーに次ぐ史上2番目の富豪とされることが多い。事業で成功を収めた後、教育文化の分野へ多くの寄付を行ったことから、2014年の今日で 41 リンク Wikipedia唯三郎 山唯三郎(やまもと たださぶろう、1873年(明治6年)11月8日 - 1927年(昭和2年)4月17日は、明治から大正にかけて活躍した実業家。山唯三郎は1873年、岡山県久米郡鶴田(

    「どうだ明るくなったろう」おじさんの話から岡山・図書館抗争の歴史が紐解かれる(補足)
  • [追記 04:30am]早稲田大学の院試で試験問題を漏洩された時の話

    http://president.jp/articles/-/25434 早稲田大学の教授のセクハラ問題が記事になり、またまたハラスメント界隈が騒がしくなっている。 私もこの場で、私が受けた屈辱をネットの海に流して忘れようと思いこの増田で日記を認めることにした。 もう10年も昔の話だからもう時効だろう。私は10年間秘密を守り続けてきた。 当はもっと早くに公開すべき情報だったことはわかっているが、自分はずっと研究を続けている身だったから、 どうしても言い出せずにここまできてしまった。 これは告発であるとともに、私の懺悔の日記でもある。 自分について私は当時早稲田大学の学部の4年生で、院進することに決めていた。 第一志望を東京大学、第二志望を早稲田大学の内部進学にして院試の勉強に励んでいた。 ちょっとややこしいのだが、私が学部時代に指導を受けていた先生の所属が翌年度から他大に移るということで

    [追記 04:30am]早稲田大学の院試で試験問題を漏洩された時の話
  • 整数のない数学体系について - 1400字制限

    テッド・チャンの「あなたの人生の物語」は、物理認識が人間とまるで異なる宇宙人とのファースト・コンタクトを描いたSFである。我々が物理を各時刻に起きる相互作用として微分的に認識しているのに対し、作に出てくるヘプタポッドなる生物は変分原理をベースとして積分的に(と言うべきだろうか)世界を認識している。 あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF) 作者: テッド・チャン,公手成幸,浅倉久志,古沢嘉通,嶋田洋一 出版社/メーカー: 早川書房 発売日: 2003/09/30 メディア: 文庫 購入: 40人 クリック: 509回 この商品を含むブログ (399件) を見る (ちなみに映画化もされたが、こっちは物理認識のエッセンスが出てこないのでこの話とは関係ない。) というわけで僕も数学認識が人類とまったく違う生物を描いたSFを書いてみたいと思う。二番煎じもはなはだしいが、二番煎じでも十分に味がある

    整数のない数学体系について - 1400字制限
  • 太郎冠者

    consigliere
    consigliere 2018/06/13
    すごい熱意を感じるw
  • 刃物はあかん|マスダノリコ

    大学のセンセイや物書きの間でしばしば取り上げられる話題に、自分がいかに文化の乏しい育ちだったかというものがある。私にはよくわからないメンタリティだが、そういう職業に就いている人の中には、親もインテリというのが格好悪いと思う人がいるようなのだ。 この話題が出たとき、やれごくふつうの会社員の子供だ、やれ家にロクになんてなかった、なんて言う面々を私は瞬殺することができる。非常勤講師ではあるが大学で授業を担当している私、父親は高校中退のボクサーなのだもの。 正確には父が十代で家出して以来、職を転々としていた期間に、ボクシングの試合に出たことがあるらしい。終戦後に教会がチャリティーで行っているボクシングのショーに出演したりもしていたそうだ。らしい、そうだというのは、父は素行の悪さと偏屈さで一族から忌み嫌われていたので、父方の親戚付き合いが絶えてしまっていて、確かめる術がないからだ。たとえ付き合

    刃物はあかん|マスダノリコ
  • 新釈漢文大系完結に寄せて~『キングダム』作者:原 泰久 - 明治書院

    「新釈漢文大系」完結おめでとうございます。 ご存知の方もいるかも知れませんが、僕が今描いている漫画『キングダム』は、この「新釈漢文大系」にも収録されている『史記』という中国古典を元に創作しています。全120巻の完結に際して、僕の『史記』との出会いを紹介させていただきます。 初めて中国古典というものを意識したのは、母親から『十八史略』が面白いよと薦められた中学生の頃だったと思います。高校時代には、司馬遼太郎さんの歴史小説を読むようになり、次第に中華歴史の面白さを知るようになりました。 『史記』との出会いは、大人になってからです。格的に漫画家になろうと思い始めた会社員時代、僕は仙人の話を描こうと思っていました。古代中国の神仙思想について調べていると、それが紀元前の春秋戦国時代のものだとわかります。その時代についての知識と言えば、始皇帝と呂不韋を知っているくらいのものだったので、勉強しようと

  • “賛否両論の登山家”栗城史多さんとは何者だったのか | 文春オンライン

    登山家の栗城史多さんがエベレストで亡くなった。これを書いている5月22日現在では、死因などについての詳しい情報が入ってきていないので、事故についてはなにもわからない。現時点で言えることは、栗城さんが亡くなったことは間違いないようだということだけ。事故の詳しい状況は、おいおい明らかになっていくと思うので、その時点で、なんらかの論評はできるのだろう。 栗城さんというのは、なにかと物議を醸してきた登山家だ。世界7大陸最高峰の無酸素単独登頂をめざして活動し、注目され始めたのは、2009年ごろ。6大陸の最高峰に登り、残るエベレストに挑戦を始めたころだ。このころから、彼を取り上げたテレビ番組が数多く放送され、著書はベストセラーになり、現役の登山家としては圧倒的な知名度を獲得していった。一方で、その登山の内容や発言には疑わしいものが目立つとして、激しいバッシングも受けていた。これほど評価の振れ幅が大きい

    “賛否両論の登山家”栗城史多さんとは何者だったのか | 文春オンライン
  • 池田亀鑑17歳の懸賞作文「我が好む英傑」『日本少年』大正元年10月号

    このBlogは、私が物語研究の途上で出会った様々な発見や、物語をともに学ぶ人々との出逢いを綴ったものです。ごらんのみなさんにも物語文学の深遠なる森の如き世界の一端をお知りいただければ幸いです。 池田亀鑑17歳の懸賞作文「我が好む英傑」『日少年』大正元年(1912)10月号を入手。バックナンバーの相場より割高感があったものの、池田亀鑑の当該頁に付箋があり、よく勉強なさる古書肆だと歓心。池田亀鑑が鳥取師範学校1年次と思われる17歳の時の投稿で、こうした投稿の文才が認められて、実業之日社編集部との関わりが発生したことは、長野嘗一「小説家・池田亀鑑」に詳しい。 さて高師時代で最も注目すべき事項は、ジァナリズムと密接な関係が生じたことであった。実業の日社から出ている雑誌には、それまでもたびたび投稿が採用されたことはあったけれど、それらは短い作文にすぎなかった。ところがその短い文章が、「日少年

    池田亀鑑17歳の懸賞作文「我が好む英傑」『日本少年』大正元年10月号
  • cakes(ケイクス)

    cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。 2022年9月1日

    cakes(ケイクス)
  • 関口家の流儀 〜系図 関口存男と私〜 - Jun Sekiguchi official blog/関口純

    爺さん(曽祖父)が残した演劇関係の戯曲やノートに取り組んでいる。 触るとボロボロ崩れ落ちてくる。中央の一際劣化の激しいブツは、一部の生真面目な学者先生方から「作者への冒瀆だ!」とお叱りを頂戴したという曰く付きの代物(笑) 昭和5年6月の劇団新東京旗揚げ公演「フィガロの結婚」の翻訳・・・東山千栄子さん曰く自由脚色。ページがくっついていて開くのも一苦労。 まあ、私も精々、嫌われるとしましょっかね(笑) 生真面目な方=つまらん奴から怒られるのは我が家の伝統・・・いわば関口家の流儀。 「関口存男の生涯と業績」(三修社刊)のあとがきで、お弟子さんの荒木茂雄氏が爺さんの仕事ぶりを「自分の語学はいわゆる『語学』ではない。目指すは世界の文化であり人類の向上である。人類の理想の実現のために自分は語学をやるのだ。という信念が言外に現れ、その行間に読み取られるような気がします。」と評されていますが、まさに全ては

    関口家の流儀 〜系図 関口存男と私〜 - Jun Sekiguchi official blog/関口純
    consigliere
    consigliere 2018/04/16
    関口存男の曽孫さん
  • 日本国創成のとき〜飛鳥を翔た女性たち〜 | 飛鳥女史紀行

    東アジア初の女帝は、大物タレントを上手に使って 日海外PRを成功させた敏腕プロデューサー 日に仏教が伝わって以来、その受け入れを巡って争いが続いていました。そしてついに、天皇暗殺という大事件が起こります。この混乱収束のため、敏達天皇の皇后であった額田部皇女が即位。これが日だけではなく東アジア初の女帝である推古天皇です。彼女は頭脳明晰な厩戸皇子(聖徳太子)と、渡来人との結び付きが強い豪族の蘇我馬子という、ふたりの大物政治家と協力体制を築きます。そしてまず仏教を公認し、百済や高句麗の僧たちから大陸文化を吸収。さらに隋が中国を統一したのを機に、交流が途絶えていた中国からも最新文化を取り入れようとします。やがて隋の都を見た遣隋使の報告により、日の遅れを痛感し、国内の制度整備に努めます。有能な人材を登用するための冠位十二階、豪族や役人の有り方を示す十七条憲法を制定し、国家の礎をつくります。

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  • 勁草書房創立70周年社長にあれこれ聞いてみる:01

    哲学・思想、社会学、法学、経済学、美学・芸術学、医療・福祉等、人文科学・社会科学分野を中心とした出版活動を行っています。 2018年、勁草書房は創立70周年を迎えました。[けいそうブックス]を創刊するとともに、この1年、勁草書房の70年をいろいろな角度から改めて紹介していきたいと思っています。 その一環として、勁草書房の書籍を手に取ると奥付で必ずご覧になっている名前の持ち主、そう、井村寿人社長に、ゆるくあれこれ聞きながら振り返るシリーズを設けてみました。というわけで、あちらこちらに寄り道しながら、井村社長に勁草書房の70年(とこれから?)を、あまり会社のことを知らない編集部員相手にのんびり道案内してもらいます。[編集部] ――こんにちは。今日から仕事のあいまによろしくお願いします。 井村寿人社長 こんにちは。井村寿人(ひさと)です。こちらこそよろしくお願いします。 ――勁草書房70年なので

    勁草書房創立70周年社長にあれこれ聞いてみる:01
  • ハリルホジッチ監督の解任が正式決定、懐かしい「腐ったみかん」と「自分たちのサッカー」が復活!

    ハリルホジッチ監督の解任が正式決定、懐かしい「腐ったみかん」と「自分たちのサッカー」が復活! 2018.04.09 日本代表 昨晩から噂に上がっていた、ハリルホジッチ監督の解任が正式発表となり、後任には技術委員長だった西野朗氏が就任する事が発表されてしまいましたね。 ハリル解任、田嶋会長「選手との信頼関係が薄れた」(ゲキサカ) – Yahoo!ニュース 表向きの理由が、つまりはハリルホジッチでは選手をまとめられず、番で結果が出せないと判断したという事になるんでしょうが、音のところはハリルホジッチに冷遇されたスター選手と、選手とセットで製品を売りたいスポンサーに忖度した結果でしょう。 ハリルホジッチを監督に選んだのは、既に協会中枢を去ってしまった霜田さんと原さんのラインだったので、協会側にハリルホジッチの味方になる人がおらず、協会が意見を聞いたらしい”主力選手”からも求心力を得られず、気

    ハリルホジッチ監督の解任が正式決定、懐かしい「腐ったみかん」と「自分たちのサッカー」が復活!
    consigliere
    consigliere 2018/04/09
    事情がとてもよくわかった
  • キューブリック映画「2001年宇宙の旅」50周年を記念して初公開された撮影現場を記録した素晴らしいイラスト : カラパイア

    「2001年宇宙の旅」のメイキングを描いたイラストレーター ブライアン・サンダースは、昨年から英ロンドンにて個展を開催し「2001年宇宙の旅」にまつわるイラストも公開している。 1. 休憩中にタバコを吸いながらポーカーをする俳優たち それはスタンリー・キューブリックに依頼されたスケッチなどで、ずっと未公開だったものだ。サンダースはその経緯について以下のように語っている。 キューブリックが自ら記録を依頼 1968年4月6日、今からちょうど50年前に映画「2001年宇宙の旅」がアメリカで一般公開された。この作品は当時、その斬新なスタイルから「ハリウッド史上最も奇妙な大作」と評された。 ●スタンリー・キューブリックへのオマージュ作品「モノリス」:カラパイア これがまだ制作中だった1965年、キューブリックは当時イギリスの雑誌で脚光を浴びていたイラストレーターのサンダースを雇った。 サンダースが受

    キューブリック映画「2001年宇宙の旅」50周年を記念して初公開された撮影現場を記録した素晴らしいイラスト : カラパイア