有限なものがあるところには、必ずエコノミーがあります。たとえば鉱物資源であれば、埋蔵量も、発掘に必要な資本(生産資本や労働資本)も、流通システムが許容する流通量も、精製能力も有限であり、さまざまな配分=エコノミーがそこに生じることになります。あるいは少し前に将棋に関して書いたように、人間が有する時間は有限であるため、そこにはさまざまな配分=エコノミーが存在します。 有限な資源の節約=配分としてのエコノミーは、そもそも人間という存在が有限であるがゆえにあらゆるところに存在し、それらは必ずしも狭義の経済に関わるではありません。しかしその一方で経済システムの進化は、さまざまなエコノミーを次から次へと狭義の経済、つまり貨幣を媒介とする経済へと組み込んでいきます。大まかには、第三次産業(あるいは第四次、第五次産業)は、物質的な資源に限定されない、人間の生活にまつわるあらゆるエコノミーを貨幣経済に組み