先日完結した双風舎企画「斎藤環と茂木健一郎の往復書簡『脳は心を記述できるのか』」[1]では、茂木氏の多用する「偶有性」が議論の対象の一つであった。これについて結局最後まで二人の意見がかみ合わなかった。原因は、茂木氏の「偶有性」の使用法が特異的なことによると思われる。これについて検討してみる。 茂木氏が「偶有性」や「偶有的」という言葉を多用し始めたのは2005年からで、『「脳」整理法』(2005/9/10発行)では両方を合計すると470回位も!使われている。この本と斎藤・茂木往復書簡での「偶有性」の説明は基本的に同じなので、ここでは両者を用いて検討する。 なお、茂木氏の「偶有性」使用の問題点は既に、liber studiorum氏のブログでも指摘されており(2008年4月)[2]、以下の私の記述と一部重なる。 結論:(A)茂木氏は、偶有性と偶然性を区別しているが、これらを区別する根拠は一般的