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茂木健一郎に関するcozy009のブックマーク (2)

  • 茂木健一郎氏の「偶有性」について(1)語源 - ピッパラのつぶやき

    先日完結した双風舎企画「斎藤環と茂木健一郎の往復書簡『脳は心を記述できるのか』」[1]では、茂木氏の多用する「偶有性」が議論の対象の一つであった。これについて結局最後まで二人の意見がかみ合わなかった。原因は、茂木氏の「偶有性」の使用法が特異的なことによると思われる。これについて検討してみる。 茂木氏が「偶有性」や「偶有的」という言葉を多用し始めたのは2005年からで、『「脳」整理法』(2005/9/10発行)では両方を合計すると470回位も!使われている。このと斎藤・茂木往復書簡での「偶有性」の説明は基的に同じなので、ここでは両者を用いて検討する。 なお、茂木氏の「偶有性」使用の問題点は既に、liber studiorum氏のブログでも指摘されており(2008年4月)[2]、以下の私の記述と一部重なる。 結論:(A)茂木氏は、偶有性と偶然性を区別しているが、これらを区別する根拠は一般的

    茂木健一郎氏の「偶有性」について(1)語源 - ピッパラのつぶやき
  • qualia-summary

    クオリアは、私たちの感覚に伴う独特な質感を表す概念である。脳の中のニューロンの発火と、私たちの心の中で起こる精神現象を結びつけようとする時、クオリアは最も重要な概念となる。脳の機能を客観的に研究する場合にも、クオリアは質的な重要性を持つ。例えば、クオリアは、脳の機能を理解する上で必要な新しい情報概念の中に自然な形で含まれなければならない。 <はじめに> 私たちは、様々な感覚を通して世の中を認識している。夏の朝の庭に出て空を見上げれば、黒みがかった青の広がりが目の中に飛び込んでくる。葉の上についた露を見れば、その丸い形や、表面のつやつやとした光沢が認識される。露に指を当てれば、ひんやりとした感覚が伝わってくる。葉に鼻を近づけると、青臭ささを感じる。そして、あなたは、先ほどから雀がちゅんちゅんと鳴いていたことに気が付く・・・このような感覚の持つ性質は、「クオリア」(qualia)と呼ばれてき

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