「フクシマ」という表現に大きな違和感があるという筆者。マスコミだけでなく、政府文書にも「フクシマ」という言葉が登場するようになっているが、その背景には何があるのだろうか。 著者プロフィール:中村修治(なかむら・しゅうじ) 有限会社ペーパーカンパニー、株式会社キナックスホールディングスの代表取締役社長。昭和30年代後半、近江商人発祥の地で産まれる。立命館大学経済学部を卒業後、大手プロダクションへ入社。1994年に、企画会社ペーパーカンパニーを設立する。その後、年間150本近い企画書を夜な夜な書く生活を続けるうちに覚醒。たくさんの広告代理店やたくさんの企業の皆様と酔狂な関係を築き、皆様のお陰を持ちまして、現在に至る。そんな「全身企画屋」である。 どうやら政府文書までもが、福島を「フクシマ」と表記しているらしい。いつから福島は「フクシマ」になったのだ。原発の諸問題を扱うマスコミの表記にも「フクシ
■統治の失政まだ続けるのか 日本の最高指導者の発言として、あまりに軽く、国の統治を任せることはできない。 菅直人首相が15日の閣僚懇談会で、将来的な「脱原発」方針に対し、「私個人の考えだ」と釈明したことだ。 「綸言(りんげん)汗の如(ごと)し」という言葉がある。最高指導者がいったん口にしたことは、取り消したり訂正したりできないとの意味だ。 首相が13日に記者会見で発表した「脱原発」方針は、エネルギーという国家の基本政策の大転換である。それが、閣僚や与党幹部から反対論を展開され、政府方針ではないと釈明せざるを得ない醜態をさらした。 ≪「綸言汗の如し」の重さ≫ 閣僚とも調整せず、唐突にかつ独断で基本政策を変えることは、首相としての資質が欠落していると断じざるを得ない。日本の危機は深まるばかりであり、首相の即時辞任を求める。 菅首相が退陣を事実上表明しながら、1カ月半居座りを続けていることで実害
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く