Find out more about Hokusai's Great Wave Are you a Museum or Gallery? Get listed by posting at GitHub For automatic updates subscribe to the site RSS or Calendar Read about this automated project by Matt Sephton
浮世絵に関心がある方なら、浮世絵がヨーロッパへ輸出する陶磁器の包み紙として使われていたという話を、どこかで聞いた記憶があるのではないでしょうか。それがきっかけとなって、浮世絵の素晴らしさがヨーロッパに伝わるようになった、と。 もう少しちゃんとした説明ですと、フランスの版画家であるフェリックス・ブラックモンが、陶磁器の緩衝材として用いられていた『北斎漫画』をたまたま発見。浮世絵の魅力を仲間たちに伝えたことをきっかけとして、「ジャポニスム」と呼ばれる日本美術ブームが、ヨーロッパで始まったと伝えられています。 浮世絵は、もともと日本において、安い値段で販売される紙屑同然のものでしたが、その芸術的な価値がヨーロッパの人たちによって初めて見出されるようになったという文脈でも、この話はしばしば語られています。 皆さんはこの話を聞いた時、どのような様子をイメージしたでしょうか?現在、陶磁器を持ち運ぶ際、
Opening hours Daily: 10.00–17.00 (Fridays: 20.30) Last entry: 16.45 (Fridays: 20.15)
ぬ か り ン @距離空けてみた @nukari_locomoco 北斎で何が一番好きかって話になって鮭の切り身のやつ!って言ったらその場にいた意識高い系の人たちに哀れみの目を向けられたんですけど、 やっぱりいいじゃんねえ! pic.twitter.com/bp6yMzbY4R リンク Wikipedia 葛飾北斎 葛飾 北斎(かつしか ほくさい、葛飾 北齋、宝暦10年9月23日〈1760年10月31日〉? - 嘉永2年4月18日〈1849年5月10日〉)とは、江戸時代後期の浮世絵師。化政文化を代表する一人。 代表作に『富嶽三十六景』や『北斎漫画』があり、世界的にも著名な画家である。森羅万象を描き、生涯に3万点を超える作品を発表した。若い時から意欲的であり、版画のほか、肉筆浮世絵にも傑出していた。しかし、北斎の絵師としての地位は「富嶽三十六景」の発表により、不動のものとなっただけでなく、風
北斎漫画再摺事業 遅延のお知らせ。 この度、1年余りの制作期間をかけ 手摺木版本「北斎漫画」を再版 しております。 12月完成予定でしたが大幅に摺が... はじめまして、芸艸堂(うんそうどう)と申します。明治24(1891)年京都で創業した美術書の出版社であり木版画の版元です。 現在では日本唯一の手摺木版和装本を刊行する出版社です。 【200年前の江戸の技術に挑む! 手摺木版本「北斎漫画」の再版を実現させたい】 現在の木版印刷の環境は、和紙の製造・木版摺・和綴じ製本の現場で高齢化や材料不足により技術継承が危ぶまれています。 今回、当時の技術そのままに手摺木版印刷、和綴じ製本にて復刊をする事で、技術継承をしながら手摺木版版本・北斎の画業を広く知ってもらうきっかけにしたいと思っています。 ただ、制作には紙漉きから製本まで1年以上を要し、なかなか実現する事ができませんでした。この再版資金をサポー
「戦略的ジャポニスム」とは日本の美術家が欧米で認められるためのジャポニスムのことだ。 最初の「戦略的ジャポニスム」は黒田清輝の《智・感・情》である。《智・感・情》はもともとは「思想的骨格を備えた構想画」として描かれたもので、外光派の自然なスケッチである《湖畔》と対で白馬会第二回展 に出品された。このときは、まだ「戦略的ジャポニスム」というわけではなかったが、1900年のパリ万博に出品されたときは、当然、日本趣味の作品として出品された。フランスの審査員もそう受け取ったにちがいない。結果は、日本画壇にさえ違和感を与えた《智・感・情》の方が銀メダルを得た。これ以降、日本の美術が世界に認められるためには「戦略的ジャポニスム」が 有効な唯一の方法になった。 その象徴的な出来事が、「スーパーフラット」の村上隆が、黒田清輝の《智・感・情》をリメイクしたことだ。スーパーフラットとは、戦略的ジャポニスムのこ
佐々木豊氏という画家がいる。国画会の重鎮らしいが、私の知っているのはインタービューの名人としての佐々木豊だ。今はたぶん画壇の実力派のボス的存在で、怖いものはないのだろう、絹谷幸二のマンネリ化や千住博の画壇遊泳術にそれとなく触れ、山本容子や松井冬子の美人画家にも手をゆるめない。貴重な目利きといえるだろう。 佐々木豊は若い頃からインタービュアや作家訪問記のアルバイトをしている。そのときからの習慣で、取材対象の作家の資料は、今でも手に入る限り目を通しているそうだ。その努力の成果がよく現れているのが会田誠のインタービューだ。誰もが聞きたい下世話な話に見せながら会田誠の芸術の核心に迫っている。 しかし、驚いたのは、「《犬》シリーズは首輪を取ったら普通のヌードだ」という発言だ。手に入る資料を全部読んだのなら、会田誠が《犬》シリーズはライフワークだと言っていることも知っているはずだ。会田誠はいつもの得意
柿栖恒昭が『現代絵画の再生』(Kindle版)の中で、現代絵画は評論家によって無理やり「主題画」として解釈されている、美術批評はまるで批評家による作品乗っ取りのようだと言っている。 古典画は宗教や歴史が主題の絵画だったけれど、現代絵画は宗教家や支配者から自立した。文学者、哲学者、美学者、社会評論家からも解放され、現代絵画は道徳でも文化論でも美術論でもなくなった。マネ以来のモダニズムは意味や解釈から解放され、純粋な視覚的魅力を表現するようになった。そして、このような絵画を「網膜のみに訴える」と批判したのがデュシャンである。 その後、建築から始まったポストモダンが、美術にも及び、その否定すべき対象はグリーンバーグ流のモダニズムで、現象的に見れば、否定の対象になったのは、(誤解された)「抽象表現主義」である。いまでもグリーンバーグや藤枝晃雄の名前を聞くと逆上する現代美術家がいるのは、そのためだ。
我邦(わがくに)現代における西洋文明模倣の状況を窺(うかが)ひ見るに、都市の改築を始めとして家屋什器(じゅうき)庭園衣服に到(いた)るまで時代の趣味一般の趨勢(すうせい)に徴して、転(うた)た余をして日本文華の末路を悲しましむるものあり。 余かつて仏国(ふつこく)より帰来(かえりきた)りし頃、たまたま芝霊廟(しばれいびょう)の門前に立てる明治政庁初期の官吏某の銅像の制作を見るや、その制作者は何が故(ゆえ)に新旧両様の美術に対してその効果上相互の不利益たるべきかかる地点を選択せしや、全くその意を了解するに苦しみたる事あり。余はまたこの数年来市区改正と称する土木工事が何ら愛惜(あいせき)の念もなく見附(みつけ)と呼馴(よびな)れし旧都の古城門(こじょうもん)を取払ひなほ勢(いきおい)に乗じてその周囲に繁茂せる古松を濫伐(らんばつ)するを見、日本人の歴史に対する精神の有無(うむ)を疑はざるを得ざ
戯画・諷刺(ふうし)画研究家 清水 勲 江戸時代の絵師・葛飾北斎が出した『北斎漫画』は、彼の代表作の一つで、日本だけでなく西洋美術に影響を与えたことで、世界に知られています。全十五編の第一編が出て今年で二百年となります。版木が現存し、戦後も何度か複刻され、印刷本も多数出されているロングセラー本ですので、刊行二百年を機にもう一度この本の価値および面白さについて考えてみたいと思います。 民衆を対象にした商品としての戯画本は、江戸中期(十八世紀初頭)に大阪に登場します。 これは「鳥羽絵」という手長・足長・目が点の人物が登場する戯画で、人気を得て何種類も出、全国で読まれるようになります。戯画本の人気を知った版元は、その後も妖怪や風俗世相などをテーマにした戯画本を次々と出版し、浮世絵と同様に民衆の生活の中に定着していきます。 葛飾北斎もそうした戯画本を見てきたはずです。そして、今から二百年前、
今朝、目を覚ますとまだ薄暗かった。Kindleで永井荷風の『江戸芸術論』の『泰西人の見たる葛飾北斎』のところを読んだ。Kindleは明かりを付けなくても読めるのが重宝だ。ニョウボが目を覚ますとその日一日中文句を言われる。眠られないままその章の終わりまで読んだ。最後のところで、荷風は「北斎は近世東西美術の連鎖だ」といっている。オランダの山水画の影響で成立した北斎の芸術は西欧の印象派に影響を与えた。そして、その印象派が明治維新で日本に洋画としてやってきたとき、北斎の本国で北斎のことは忘れられていたと言うのだ。荷風は鑑賞家コレクターのことを言っているのだが、画家もおなじことで、かねがね日本の近代美術は日本画も洋画も北斎を無視することから始まっているという私の主張と重なる。 今、ニョウボの佐藤順子は北斎の春画漫画を借用してマチスの「線と色彩の葛藤」に頭を悩ませている。ニョウボは北斎とマチスの線にし
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く