出入国在留管理庁は15日、11月の入国者数(速報値)が10月に比べて7%増の8万846人になったと発表した。日本人の帰国者数が4万8095人と14%増えた。外国人は3万2751人と微減だった。政府は新型コロナウイ
出入国在留管理庁は15日、11月の入国者数(速報値)が10月に比べて7%増の8万846人になったと発表した。日本人の帰国者数が4万8095人と14%増えた。外国人は3万2751人と微減だった。政府は新型コロナウイ
文部科学省は、年内に公表予定だった私立学校のガバナンス(経営統治)改革案について、大まかな方向性を示すにとどめ、具体的な制度設計は年明けに持ち越す方針を固めた。政府関係者への取材で判明した。文科省の有識者会議は今月、学校法人の最高議決機関を学外者のみで構成する評議員会にすべきだとの報告書をまとめたが、議論に直接参加できなかった私学団体から強い反発があることを踏まえ、関係者の合意を図る場を設けることにした。 現在の私立学校法は、「理事会」を学校法人の最高議決機関とし、監視役の「監事」や諮問機関の「評議員会」を置くよう義務づけている。理事会は教職員や卒業生などの学内関係者を軸に構成し、理事が評議員を兼ねるケースも多い。
コロナ禍が起こって以来、もっぱら生配信劇や、映画『ドロステのはてで僕ら』(各国映画祭で受賞続出中!)など、映像での創作活動を続けてきた、京都のコメディ劇団「ヨーロッパ企画」が、ようやく2年ぶりの新作舞台『九十九龍城』の上演にこぎ着けた。しかも2016年以来、準レギュラー的な存在となっていた藤谷理子を、17年ぶりの新劇団員として迎え入れた、記念すべき一作目でもある。まさに劇団の再出発ともいえる劇のプレビュー公演が、18日に滋賀県の[栗東芸術文化会館さきら]で行われた。 『九十九龍城』の世界観は、かつて香港にあった巨大集合住宅「九龍城砦」がモデル。移民や貧困層、犯罪者などが違法な増築を繰り返し、まさに「魔窟」ともいえる景観を作り上げていた。その九龍城砦を思わせる、怪しいカオスに満ちみちた空間をくまなく見せていくために、2006年に上演した『Windows5000』のアイディアを再利用。あらゆる
京都府の長岡京ガラシャ祭実行委員会は、「細川ガラシャをもっと好きになってほしい! リレートーク」と題して、動画投稿サイト「ユーチューブ」で研究者の講演動画を発信している。明智光秀の娘の玉(ガラシャ)や、嫁ぎ先の細川家に詳しい研究者が、時代によって変遷するガラシャの人物像のほか、当時の新婚生活など多彩なテーマで語っている。 第1弾は、国際日本文化研究センター(日文研)の笠谷和比古名誉教授の「ガラシャはなぜキリスト教徒に?」と題した講演会を収録した動画を11月6日に公開した。 続く福岡大の山田貴司准教授による「ガラシャはどう語られ、描かれてきたか?」と、日文研のフレデリック・クレインス教授の「玉の輿(こし)入れと新婚生活」の2本は、今回の企画のために収録した。関連資料や絵画をふんだんに紹介し、資料発見の裏話も披露している。 最終回は、11月に催された熊本大永青文庫研究センターの稲葉継陽教授の講
ほぼ2年ぶりに海外に出た。たった5日間のヨーロッパであったが、楽しかった。 かつて皇后さま(当時は皇太子妃)が、愛子さま出産後初の外遊となったニュージーランド・オーストラリア訪問を控えた記者会見(2002年12月)で、「6年間の間、外国訪問をすることがなかなか難しいという状況は、正直申しまして私自身その状況に適応することになかなか大きな努力が要ったということがございます」とおっしゃられたことがある。そのお言葉を思い起こすような気分であった。 国際政治学をやっている人間は、もともと落ち着きのないのが多い。周囲を見回しても、四六時中飛行機に乗っていて、一体君の身体はどこの時差に合っているの?というようなのがいっぱいいる。その中では、私は海外出張が少ない方であった。子どもが本当に小さい頃は、年1回程度で我慢していたし、最近でも年数回に収めていた。学齢期の子どもの母親がそんなにしょっちゅういないこ
Desmond Tutu's Most Profound Quotes As Archbishop and Anti-Apartheid Campaigner Dies Aged 90 <南アフリカのアパルトヘイトと戦い、ノーベル平和賞を受賞したツツ元大主教が死去した。彼が遺した崇高な思想に人類はキャッチアップできるのか> デズモンド・ツツ元大主教が南アフリカのケープタウンで死去した。90歳だった。同国初の黒人大統領となった故ネルソン・マンデラ氏と同時代にアパルトヘイト(人種隔離)制度の撤廃に尽力したその功績を称える声が寄せられた。 ツツは少数派の白人が南アフリカを支配し、多数派の黒人を残忍に抑圧する制度の撤廃を訴え、非暴力的な抗議活動を展開し、1984年にノーベル平和賞を受賞した。 「デズモンド・ツツ元大主教の逝去は、南アフリカの偉大な世代がまたひとり、失われたことを意味する。解放された
読売新聞が大阪府と包括協定を結んだ。会見で新聞の行政監視機能について問われた読売新聞の柴田社長は、自社の記者規範を出して懸念は無いとした。しかし、その懸念が払しょくされたとは言えない。それ以上に、この動きによって日本のジャーナリズム全体がその信用を失うかもしれない。 大阪府庁での記者会見会見に取材で行くのは何年ぶりだろうか?最後は・・・NHKのデスク時代に時間を見つけて通った東京電力の記者会見・・・だと5,6年前?そんなことを考えつつ、大阪府庁3階の会議室に向かった。12月27日の午後1時半。 この日、大阪府の吉村洋文知事と読売新聞大阪本社の柴田岳社長が出席して包括協定の署名が行われる。報道機関が監視対象である巨大行政機関と手を結ぶという極めて異例な事態だ。東京のジャーナリスト仲間からも是非取材して欲しいとの意向が寄せられ、「一般人扱いで参加できないかもしれない」と思いつつ会議室の入り口で
『闇の国々』英語版再刊ニュースを見てなんとなく思いついたので「グローバルにオールタイムベストに入りそうなコミックス作品」を挙げてみる。順不同、思いつきなので数も限定しない。
1951年、サンタクロースが「火あぶり」にされた大事件をご存知ですか? クリスマスとどんちゃん騒ぎの世界史 クリスマスの歴史をどう考えるか 私はここで、歴史的に見て、クリスマスの誕生にすら人為的なものが見られるとか、イエスの言行を記す『福音書』にも根拠がないとか言って、クリスマスの意義に疑問を提示するつもりなど全くない。ごく大雑把に言えば、クリスマスという日にどんちゃん騒ぎをしたい人は、1700年かけてローマ人と同じ精神をとりもどしたともいえようし、裏を返せば1700年かけてこの日を敬虔なる祈りの日としたかった人がいた。 サンタのプレゼントを楽しみにした人もいたし、サンタが人々を統合してくれることを期待した人もいた。クリスマスの起源を考えてみても、サンタクロースの創造を考えてみても、人類は常に、何らかの欲望や願望によって、歴史を書き換え、伝説で過去を置き換えてきたが、私はその動機こそを常に
本ゼミナール(ゼミ)では、イギリス近現代史を幅広く扱っています。学生は自分の興味・関心に合わせて自由に研究テーマを選んでいて、現代的な課題を取り上げる学生も多くいます。ディスカッションを重視し、文章を書く訓練にも力を入れています。 Q.文学部史学科をどのように捉えていますか? 私は2020年に本学に着任しましたが、歴史学の体系的なカリキュラムが整えられていることに強い印象を受けました。学生は1年次に日本史、東洋史、西洋史、考古学のすべての分野について広く学んだ後で、2年次以降に各分野に分かれて専門的な学びを深めていきます。最終的に、3~4年次のゼミを通じて、自分自身の研究を卒業論文として完成させることが目標です。教員の最新の研究成果を紹介する特講も1年次から数多く開講されていますから、自分自身の視野を大きく広げつつ、高い専門性を身に付けることができるようになっています。 Q.ゼミでの指導内
10月29日。金曜夜のパリ・オステルリッツ駅は、バックパックやスーツケースを抱えた人でごった返していた。待合スペースで、駅員が乗客のワクチン接種を証明する「衛生パス」をチェックし、青い腕輪を手首につけていく。 午後8時52分に出発。ニースまでの1088キロを13時間かけて走る。飛行機なら1時間半で着く距離だ。 記者が乗ったパリ発ニース行きの夜行列車=中村靖三郎撮影 廊下は狭い。すれ違うのは難しく、客室に入って譲り合う。予約した2等客室の定員は6人。ただ、コロナ禍で4人ずつの利用になっていた。 みな、どんな思いで乗っているのか。車内を回って話を聞いてみる。 学生時代の友人という男女4人がいた。ピエールさん(26)は「夜行列車は効率的。仕事の後に出発できるし、夜寝ている間に移動すれば時間の無駄がない」。友人の男性は「僕は値段が一番重要。ただ、今後は環境のことを考えて使う人も増えていくんじゃない
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戦後の混乱期にあった1946年、大阪市立美術館の専門教育機関として誕生した美術研究所(美研)。公立美術館が研究所として実技教育に取り組む例は他になく、前衛美術集団「具体美術協会」(具体)の白髪一雄をはじめ世界的なアーティストを多く輩出してきた。伝統ある学びの場はしかし、来秋以降の館の大規模改修に伴い、活動場所やカリキュラムの見直しなど転換期を迎えている。美研が果たした歴史的な役割と現状を探った。 大阪市の天王寺公園内にたたずむ美術館の半地下。もともと市内の小学校校舎に開設された美研は48年、連合国軍総司令部(GHQ)による館の接収解除を受けてこの場所へ移った。当時は日本画、洋画、彫塑の3部門。講師陣は洋画家の須田国太郎や小磯良平、後に具体を率いる吉原治良(じろう)、日本画家の北野恒富、彫刻家の保田龍門らそうそうたる顔ぶれだった。そして白髪や田中敦子といった具体会員、宇佐美圭司ら戦後日本を代
太平洋戦争の開戦となった真珠湾攻撃から間もなく80年。その直後に出征し、日本が敗戦へと向かう転換点となったミッドウェー海戦で主力空母「赤城」に乗艦した元海軍整備兵が岩手県一関市で暮らしている。須藤文彦さん、100歳。彼の証言から、戦争の実態と、現代の日本につながる共通点を探る。連載第5回は「特攻兵と現代日本」。(朝日新聞一関支局・三浦英之) ソロモン海戦を経て筑波へ ミッドウェー海戦を生き延びた須藤さんは1942年8月、今度は空母「翔鶴」の整備兵としてソロモン海戦へと送られた。 激しい戦闘を経て日本に戻ると、神奈川県の相模野海軍航空隊で飛行機整備の専門教育を受け、茨城県の筑波海軍航空隊へと配属された。44年11月には下士官になり、部下も増えた。 敗戦の色が濃くなり、筑波が特攻機の訓練基地になると、「この戦争は日本が負ける。どういう負け方をするんだろうか」などと部下に漏らすようになった。 「
フィンランドはなぜデザイン大国となったのか? Bunkamura ザ・ミュージアムでその背景を探るデザイン大国のひとつとして知られるフィンランドのデザインの誕生と発展のストーリーを紐解く展覧会「ザ・フィンランドデザイン展 ― 自然が宿るライフスタイル」が、東京・渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムでスタートした。フィンランドがデザイン大国となって今日に至る背景を探る。 デザイン大国のひとつとして知られているフィンランド。そのデザインの誕生と発展のストーリーを紐解き、今日まで続く独特のデザイン様式を探る展覧会「ザ・フィンランドデザイン展 ― 自然が宿るライフスタイル」が、東京・渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで開幕した。 本展では、ヘルシンキ市立美術館監修のもと、コレクション・カッコネンやタンペレ市立歴史博物館、フィンランド・デザイン・ミュージアムなど、フィンランド各地の貴重
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