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人々が政治に裏切られ続けてきた辺野古での米軍基地計画の歴史: 小林アツシ(あつこば、atsukoba)のブログ
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人々が政治に裏切られ続けてきた辺野古での米軍基地計画の歴史: 小林アツシ(あつこば、atsukoba)のブログ
年末に沖縄のニュースが話題になりました。 そもそもの経緯をご存知ない方には、わかりづらいニュースだ... 年末に沖縄のニュースが話題になりました。 そもそもの経緯をご存知ない方には、わかりづらいニュースだと思います。 そこで、この問題がどういう経緯をたどってきたのかを、できるだけわかりやすく説明してみたいと思います。 テレビや新聞では「普天間移設」と言われています。具体的には沖縄北部の辺野古(へのこ)に、日本がお金を出して米軍基地を造るという話です。 沖縄島中部にある普天間(ふてんま)基地は、もともと田畑などがあったところを、日本とアメリカが戦争をした際に米軍が占領してできました。 市街地の真ん中にある事故の危険性があるために沖縄の米軍基地問題の象徴とされ、返還が求められていました。 ■ベトナム戦争の頃から計画があった 辺野古での米軍基地建設計画は、実はベトナム戦争のさなかの1960年代からありました。当時はアメリカ側が出す建設の費用がかかるために見送られたのです。 ■「既存の米軍基地にヘリポ