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与謝野晶子の詩歌(十一)。自由詩は詩歌?行分け散文?愛(かな)しい詩歌・高畑耕治の詩想
20世紀の冒頭から半ばまで、ゆたかな詩歌を創りつづけた女性、与謝野晶子の作品をみつめつつ詩想を記し... 20世紀の冒頭から半ばまで、ゆたかな詩歌を創りつづけた女性、与謝野晶子の作品をみつめつつ詩想を記しています。 今回は、短歌という短詩形を書き続けた言葉による芸術家としての彼女の横顔を見つめます。 晶子のさまざまな主題をとりあげた詩をみつめてきて、私は晶子が短歌と詩との形のちがいを意識したうえで、主題にふさわしい詩形で歌っていた、短歌と詩を歌い分けていたと感じます。短歌には歌い込めない雑多な主題、短歌からはこぼれおちてしまう心のありよう、心に映る諸相を、詩の形で歌ったのだと感じます。 短歌と詩のどちらがいい、どちらが優れていると比較しているのではありません。(短歌だからこそ美しく凝縮された心の結晶のような歌は、最後の回にとりあげるつもりでいます。) 短歌は三十一文字という厳しい語数制限の枠組みのなかで言葉を選び、言葉の音の流れ、美しい調べを生みだそうとします。その創作に生涯情熱を注ぎ続けた晶
2013/01/25 リンク