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島を救った臨時船 津波と格闘した気仙沼の「ひまわり」-日本財団ブログ・マガジン
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島を救った臨時船 津波と格闘した気仙沼の「ひまわり」-日本財団ブログ・マガジン
東日本大震災から100カ日が過ぎた。大津波の爪痕が残る宮城県気仙沼市の離島・大島の海岸で1隻の小... 東日本大震災から100カ日が過ぎた。大津波の爪痕が残る宮城県気仙沼市の離島・大島の海岸で1隻の小さな船が係留されているのを見た。日本財団の支援で大島の震災の記録を残す活動をしている大島宝島委員会の堺健会長が「あれが島を孤立から救った臨時船の『ひまわり』ですよ」と教えてくれた。大津波に挑んで生還し、島民の足代わりを果たしたという『ひまわり』。それは島の人たちには、希望の灯りだった。 船長の菅原進さん(69)は、遠洋漁業の仕事をやめたあと大島と気仙沼港を結ぶ夜間の臨時船としてひまわり(42人乗り)を運航。帰宅が遅くなり定期便に乗り遅れた人たちが40年以上も貴重な足として利用してきた。堺さんが発行している大島絆新聞によると、大島の崎浜に住む菅原さんは、地震後、家族を高台に避難させ、ひまわりに乗って沖を目指した。浜に係留しておいたら津波にやられると考えたからだ。 しかし津波は菅原さんの想像を超える