エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
巨大銀行の消滅 - 池田信夫 blog
1990年代に日本経済が失ったものは多いが、ある意味で不良債権より深刻なのは、邦銀が「金貸し」を脱却... 1990年代に日本経済が失ったものは多いが、ある意味で不良債権より深刻なのは、邦銀が「金貸し」を脱却できなかったことだ。欧米では、銀行が金貸しからリスク管理業務に重点を移す動きが80年代から始まった。1984年の日米円ドル委員会のころは横並びだったのだが、その後の展開は対照的だった。英米の投資銀行が高度な金融技術を駆使して高い収益を上げ、企業買収などを仲介して産業の再構築を促進したのに対して、邦銀は金融制度調査会で証券業界と不毛な縄張り争いを延々と続けていた。 本書は、1985年に長銀が「第5次長期経営計画」で投資銀行への転進をはかっていた時期の行内の状況を描いている。経営計画は円ドル委員会による自由化の流れに乗って、ゴールドマン・サックスのような高収益企業になることを目標に掲げた。年功序列も廃止し、人事や給与を「経営貢献度」の点数によって決める能力主義を導入した。しかしこうした改革は行
2009/01/31 リンク