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歴史と日本人―明日へのとびら― : 歴史研究と百田尚樹『日本国紀』について
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歴史と日本人―明日へのとびら― : 歴史研究と百田尚樹『日本国紀』について
二〇一八年一一月二四日17:31 カテゴリ歴史事象について 歴史研究と百田尚樹『日本国紀』について 歴史... 二〇一八年一一月二四日17:31 カテゴリ歴史事象について 歴史研究と百田尚樹『日本国紀』について 歴史において重要なのは先行研究を踏まえ、この研究にいかなる意味があるのか明らかにすることであろう。史料集は歴史ではない。ただし先行研究も何もないところから開拓しなければならないときもある。そのときは現代的関心も重要である。三宅雪嶺の祖父三宅芳渓は頼山陽の弟子であった。雪嶺本人の叙述にも頼山陽の影響はみられる。雪嶺の盟友陸羯南も頼山陽の影響を指摘されている。雪嶺や羯南といった幕末生まれの明治人は水戸学や頼山陽は当然の教養であったと思われる。彼ら明治の保守派には西洋保守主義や近代ナショナリズム論の影響を指摘するのが相場であるが、こうした江戸時代の思想の影響も無視できない。 百田尚樹『日本国紀』を読んだ。この本、古代から現代までを振り返っているのだが、第十一章大東亜戦争まで(正確にいえばその直前の