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石田三成の「大一大万大吉」とは何だったのか? : 関ヶ原ブログ
ブログネタ:戦国時代 に参加中! 関ヶ原合戦図屏風(井伊家本)などを見ると、石田三成は、陣幕に「大... ブログネタ:戦国時代 に参加中! 関ヶ原合戦図屏風(井伊家本)などを見ると、石田三成は、陣幕に「大一大万大吉」という合わせ文字紋を使用しています。 それだけにこれを三成が家紋のように使用していたと考えがちですが、この文字紋は、実は江戸末期以前の文献史料には見当たらないそうです。 三成は、石田家の家紋としては、基本的には九曜紋を使用していました。 九曜紋については、石田家のルーツを辿ると、代々使用している紋でもあり、三成がこの紋を使用した史料も残っているらしく、とりあえずは三成の家紋は九曜紋というのはほぼ確定のようです。 ■「大一大万大吉」は使用されていなかったのか? 徳川幕府は、三成を徹底的に悪人扱いしていましたので、江戸時代の庶民の間にも、基本的には「三成は悪人」としての教えが広まったと思います。史実の追求に燃えるアツイ史家がいたとしても、三成のことを研究でもしようものなら、幕府に見つか
2015/04/16 リンク