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おおた 葉一郎 の しょーと・しょーと・えっせい:ある事故現場(2)
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おおた 葉一郎 の しょーと・しょーと・えっせい:ある事故現場(2)
1977年(昭和52年)9月27日。天候、晴れ。 現在、大入公園と呼ばれる場所。そこは、東急田園都市線江田... 1977年(昭和52年)9月27日。天候、晴れ。 現在、大入公園と呼ばれる場所。そこは、東急田園都市線江田駅より北に徒歩15分程度の丘陵地である。当時、東急が宅地開発を行っていた地区である。まだ、田園都市線はダイレクトに渋谷まではつながってはなく、一旦、二子玉川園駅で大井町線に乗り換えなければ都心に行けなかったのだが、それでも田園都市線が渋谷まで延伸するのは時間の問題であった。そこへファントムが墜落した。 米軍機が墜落した現場は、古くから点在する地元民の住宅や、遊休地を活用したアパートが点在し、さらに宅地造成のブルドーザーが入っていたそうである。まだ、現在のように住宅が密集しているわけではないが、それでも多くの人が住んでいた。さらに南に1キロには江田駅があるし、東名高速が駅の付近で鉄道と交差し、近くに港北PAがある。墜落現場としてはかなり不適切だ。 そして、ファントムは北側の低空から突っ込