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令和元年夏の敗戦:Strategic Command WWⅡ-War in Europe対戦AARその④ 1941年6月から12月 : 那珂川の背後に国土なし!
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令和元年夏の敗戦:Strategic Command WWⅡ-War in Europe対戦AARその④ 1941年6月から12月 : 那珂川の背後に国土なし!
独ソ国境のソ連軍ユニットを派手に蹴散らして独軍は驀進する。 ヒ「あっとーてきではないかわが軍は!」... 独ソ国境のソ連軍ユニットを派手に蹴散らして独軍は驀進する。 ヒ「あっとーてきではないかわが軍は!」 ヨ「きょうも敗北フラグ建築お疲れ様です」 カ「あーでも気持ちはわかる。赤軍がみるみる消えてなくなるの見ると」 ヨ「ヘイヘイ、連合軍ピッチャービビってんぞー」 カ「同盟国もいなくてかわいそう」 ※この日は日程の都合で連合軍プレイヤーはチャーチル1人だった チ「ア、アメリカが参戦したら覚えてろ、叩きのめしてやる」. 1941年7月18日 開戦から1か月 北方軍集団はリガ・ダウガウピルスでドヴィナ川を渡りプスコフ方面へ 中央軍集団はミンスクを落とす 南方もまずまずのペース ヒ「驚くべきことに我々はすでに実質的に戦争に勝利したと言っても過言ではない」 ヨ「ハルダー日誌からの引用とはまたわかりにくい敗北フラグを…」 ヒ「ドイツ陸軍参謀総長ハルダー上級大将の個人日誌で第二次大戦前半に関する基本史料として