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Strategic Commandシリーズは主に第1次−第2次大戦を舞台としたターン制PCストラテジーゲームのシリーズである。が、日本ではほとんど知名度がなく日本語化もされていない。自分も買うまで全く聞いたことがなかった。 だが、最新作であるWWⅡ-War in Europe-やってみたら、ほかに類を見ないシステムとゲームバランスで面白かった。そのシステムは一言でいえばボードウォーゲームとPCウォーゲームのいいとこどりだ。へクスマップとターン制によるシンプルな進行と歴史再現性の高さはボードウォーゲームから移植、補給判定や部隊生産、海戦、外交といったボードゲームでは煩雑になりすぎる特別ルールの処理はPCに任せて自動化。ボードウォーゲームのコマの扱いやブックキーピングにうんざりした人、どんどん細かく複雑になっていくPCのストラテジーゲームに挫折した人にとってのパラダイスが広がっている。 仲間内
時空の狭間からよくわからないマイナー戦史を召還して皆様にお届けするサークル「RNVR花組」、2年ぶり7冊目の本は、「軍事機密の存在しない島々」で繰り広げられた、奇妙な情報戦のお話。『椰子の木陰の暗闘−委任統治領南洋群島における日本の防諜 :1922-1939』 です。 赤道以北のミクロネシアの島々は20世紀の前半の約30年間、日本の統治下にありました。この「南洋群島」は国際連盟委任統治領として、またワシントン海軍軍縮条約によって一切の軍事的利用が禁止されており、事実日本は太平洋戦争開戦のほんの1−2年前まで軍事基地の建設や部隊の駐屯を行っていません。しかし、表向き軍事機密の存在しないこの南の楽園は、同時に将来の戦場として日米両海軍が熱い視線を注いだ地域でもあったのです。 そんな地域で繰り広げられた、さきざきは軍事的に有用になる「かもしれない」情報をめぐる、なんとも奇妙であいまいなスパイ戦の
「この世はなべて一幕の舞台、人はみな、男も女もただの役者に過ぎぬ。」 シェイクスピア『お気に召すまま』第二幕第七場 All the World's stage, and all the men and women merely players. ※本エントリでは映画「メッセージ」ならびにその原作小説「あなたの人生の物語」の核心に触れます。未視聴・未読の方は閲覧しないことを強く推奨します。 「メッセージ」は驚くほど誠実な「あなたの人生の物語」の映像化作品であったように思う。そりゃあいろいろと改変されている部分はあるが、それは「改変しないと、要素を足さないと映画にならない」部分にとどまっていた。さらに、ある指摘から、チャンの原作に込められていたある寓意を、とても巧みな手段で映像に昇華しているのではないかという仮説に至ったのでちょっと書きつけておこう。 宇宙船の中の、ヘプタポッドと人間が対面する
きのうのつづきである。 ************************************************** さて、前置きはなしにしていきなり本題に入ろう。「ぼく」と「僕」、ノルルスカインを自称する存在が実際は2個体(もしくは2系統)存在していることは前エントリでだいたい納得いただけたのではないかと思う。 ではどちらの「ノルルスカイン」の背景が怪しいのか。 ずばり「僕」のほうだとわたしは考える。以下にその根拠を示す。 「ぼく」と「僕」が別個の存在であるとの前提に立ったうえで、「僕」の作品中の時系列では「初登場」となるⅧ巻PART1の131〜143ページのラゴスの回想シーンを読み返してみると、いくつもの疑問点が見えてくる。 まず冒頭に「西暦二五〇五年の十一月」と年記がされていることに注目したい。正直言ってこのシーンは植民地の創立当初であれば別にいつの時点におかれても特に問題は
いちどプライベートモードで書いたのだが、考え直してネタバレ警告をしたうえで全ユーザに公開することにした。わざわざDMでパスワードを聞いていただいた方には申し訳ないのだが。あといろいろ書き足りなかった部分を追記しました。 さて、以下のエントリには『天冥の標』の物語の根幹にかかわる重大なネタバレが含まれています。最新刊まで読了していない方はここで引き返すことを強く推奨します。 ここに叙述トリックを紛れ込ます余地があることについてはⅥ(『宿怨』)ぐらいから考えてはいた。ひとつにはⅤ(『羊と猿と百掬の銀河』)の断章で描かれる実に生真面目で愛すべきノルルスカインの姿と、Ⅰ(『メニー・メニー・シープ』)で見せた、どこか冷笑的で享楽的、全身(全存在か?)から胡散臭さを発するトリックスターとしてのノルルスカインに違和感を感じたという理由もある。「断章」のノルルスカインと本編のノルルスカインの同一性を保証し
自分が海外SF短編のオールタイムベストNo.1に推すテッド・チャンの「あなたの人生の物語」が映画化されると聞いて最初はたまげた。かなり複雑な概念を扱っているうえに物語の構造そのものに大きな仕掛けを埋め込んである作品をどうやって映像化するのだ、全然違う話にするしかないんじゃないの、と。 しかし予想はいい方向に裏切られたらしい。出来上がった映画「メッセージ」(英題:Arrival)は批評家から絶賛の嵐であるという。しかも原作読者からも高く評価されているとのことで、これは楽しみだ。おそらく映画公開に合わせて、原作の短編集(短編と同題の『あなたの人生の物語』)も新装版で出るだろうしより多くの人にこの小説の面白さを味わってもらうにはどうすればいいのだろう、とつらつら考えているうちに、「あなたの人生の物語」にとどまらず、いまいち知名度のない短編SF全般について広く紹介していきたいな、という気持ちが芽生
ひとつの艦隊を地球の裏側まで到達させることはそれだけでも困難な事業である。日露戦争におけるバルチック艦隊の苦難を見ればそれはよくわかる。成功させようと思えば物心両面で周到な準備が必要なのだ。しかし戦時にはそのような準備が用意できないこともままある。これは政治的理由によって準備もそこそこに地球を半周させられ、関わった誰もが何も得るものもなく終わったある艦隊のお話。 わずか2週間後にクライド河口に集結を完了した英海軍太平洋派遣部隊「フォースX」には、キングの要請にはないある要素が付け加えられていた。要請にあった6隻の揚陸艦のほかに揚陸指揮艦「ローシアン」(元貨客船「シティ・オブ・エディンバラ」)が7隻目の構成艦として加わり、さらに「ローシアン」のマストには2つ星の少将旗が掲げられていたのである。公文書には何ら触れられてはいないが、英海軍は明らかにフォースⅩをもとの要請にあった「共同訓練」を超え
本エントリには映画『フューリー』の濃厚なネタバレが含まれています。未見の方は閲覧されないことをお勧めいたします。 一応自分なりに解釈して見ようと思う。冒頭車載機銃の引き金が引けない新兵の主人公ノーマンに度胸をつけさせるため、車長ウォーダディは投降して命乞いをする無抵抗のドイツ兵を無理やり射殺させる。その後ノーマンはウォーダディの持つドイツ軍への激しい憎悪にも感化されて、戦車を放棄して逃げるドイツ兵を「ナチスの豚野郎!」と叫びながら躊躇なく射殺できる「一人前の兵士」に成長し、そんなノーマンを仲間たちは敬意をこめて「マシン」とあだ名で呼ぶようになる。ドイツ兵を殺すマシンになったノーマンの変化に呼応するかのように後半登場するSS擲弾兵大隊の兵士はほとんどシルエットでしか表現されない(戦闘が夜間だからでもあろうが)。しかし皮肉なことにノーマンは顔のない「ナチスの豚野郎」であるはずの武装SSの兵士の
ツイッターのタイムラインで「英海軍の第一海軍卿ってなんなの」という疑問が流れていたのでツイッター上で英海軍本部の組織編制について答えたが時数の制限もあったのでここでもう少し詳しく解説する。なお英海軍の長い歴史の中でその組織は変遷を繰り返しており、ここで解説するものは第二次大戦中というほんの一時期についてのいわばスナップショットであることに留意されたい。 海軍大臣(First Lord of the Admiralty)がつとめる※1。本来の海軍本部の意思決定機関は海軍本部委員会(Board of Admiralty)であってFirst Lordはその委員長であるにすぎないのであるが委員会による意思決定はすでに第二次大戦の時点で形骸化していた。海軍大臣は英国海軍の行動に対する最高責任者であったが、チャーチル首相は海軍に絶大な影響力を持ち、直接海軍の諸問題や作戦行動にたびたび介入しためアレクサ
(承前) 6.ガイ・ドイリー=ヒューズという男 戦争への予感が高まる1939年6月15日、「グローリアス」乗組員総員による心からの見送りを受けて、ラムリー・リスター艦長は退任していった。彼は艦隊航空隊の空軍から海軍への移管という難しい時期に艦を大過なくまとめた有能さと穏やかで明朗な人柄で誰からも好かれた男であった。リスターは翌年イタリア海軍を一撃で一時的な壊滅に追い込んだタラント港夜襲を指揮して一躍英雄となり、戦中は空母戦隊の指揮官としてさまざまな戦域で活躍することになる。 士官たちはリスターの後任の着任を不安な面持ちで待っていた。その男は航空畑の人間ではないためほとんどの士官にはなじみがなく、第一次大戦の英雄、有能だが気難しく仕えがたい男、そのような断片的な評判が漏れ伝わってくるだけであった。リスターが実に仕事のしやすい上司であった分、後任者にその様な評判があることは気がかりな点である。
歴史的記録は不完全であることを宿命づけられている。個々の人間の行動をすべて記録することは不可能だ。たとえ何らかの革新によって外形的な行動が記録可能になったとしても、その意図までは、当事者が記録に残そうとしない限り残らない。歴史を研究しようとする者は飛び石のように残っている記録を慎重につなぎ合わせて行動と意図を再構成しようと挑む。当事者の述懐や文書に、その行動の意図が説明されている場合そのプロセスは省略できる…とは限らない。個人も組織も等しく、ときに大胆なまでの嘘をつくのだ。その嘘には秘密を守るためであったり、現在の外交関係を損なわないためといった理由でやむを得ずつかれるものもある。が、それと同じくらい、いやより多くは単にある個人や組織自体の面子を守るためにつかれるものである。軍隊はとりわけ威信・面子にこだわる官僚組織であってその例外ではない。何かまずい事態が起こったとき、起こった出来事自体
※動画から来られた方へ 本ブログ記事のアップデート版がこちらの電子書籍に収録されています。 『不都合な戦場:戦争をめぐる齟齬と失敗の話』 さまざまな関連情報や図版も追加してよりわかりやすくなっておりますので、なるべくこちらをご参照されることをお勧めします。 乏しい情報、相互の関連が不明確な事実の断片をつなぎ合わせて全体像を描き出す、そのような作業に最も必要とされる能力は、断片をつなぎ合わせる糊としての、また断片同士の間隙を埋める充填剤としての想像力であろう。豊かな想像力に裏打ちされた推論は一見関係の無いように見える事実と事実の間に思ってもみなかったような関連を見出し、物事の隠れた側面を引出し、認識することの難しい全体像を鮮やかに照らし出して見せる。しかし想像力は基本的に直感の世界に属する能力であって、常に論理的・実証的な目で振り返り検証する姿勢を欠けば、それは暴走して実は関連の存在しなかっ
グロッシ艦長のかくも素晴らしき大西洋戦記 戦場で「幻の戦果」が生まれることは珍しいことではない。日本の戦史マニアなら台湾沖航空戦の「大戦果」というのちの戦局にまで影響を与えてしまった例をよく知っているだろう。そういった「幻の戦果」の多くは錯綜した戦場における不可避的な錯誤や、自分たちの払った犠牲や努力が無駄ではなかったと思いたいという希望的観測を原因とするものであるが、中には意図的な虚偽が疑われるものもある。今回取り上げるのはそのような虚偽報告の中でも、でっち上げた戦果によって政治的象徴に祭り上げられ、後世まで他人を巻き込んでいろいろたたることになったあるイタリア人ほら吹き艦長の物語。 グロッシ中佐 胸元の騎士十字章に注目 1942年5月20日午前2時45分、グロッシ(当時少佐)の指揮する潜水艦「バルバリーゴ」(マルチェッロ級・1030トン)は、ブラジル・ナタール州北部のサン・ロケ岬を浮上
2019年11月11日 令和元年夏の敗戦:Strategic Command WWⅡ-War in Europe対戦AARその④ 1941年6月から12月 一方その頃東欧では 続きである Strategic Commandシリーズは主に第1次−第2次大戦を舞台としたターン制PCストラテジーゲームのシリーズである。が、日本ではほとんど知名度がなく日本語化もされていない。自分も買うまで全く聞いたことがなかった。 だが、最新作であるWWⅡ-War in Europe-やってみたら、ほかに類を見ないシステムとゲームバランスで面白かった。そのシステムは一言でいえばボードウォーゲームとPCウォーゲームのいいとこどりだ。へクスマップとターン制によるシンプルな進行と歴史再現性の高さはボードウォーゲームから移植、補給判定や部隊生産、海戦、外交といったボードゲームでは煩雑になりすぎる特別ルールの処理はPCに任
スキッドの開発史をやるやるといいながらまた横道にそれてしまうのだが、今回はHowarth&Law, Battle of the Atlantic 1939-1945,(Naval Inst.Press, 1994)に「ソヴィエトから見た「大西洋の戦い」」という興味深い小論が載っていたので紹介する(31. The Soviet View, N.V.Naumov)。著者はモスクワ大学助教授のニコライ・ナウーモフ(当時)。その主題は大戦中の出来事ではなく「大西洋の戦いは戦後のソ連歴史学界でどのような扱いを受けてきたか」というもの。直接ソ連・東部戦線との連関が薄かったこともあって戦時中はその存在自体がほとんど知られていなかった(「プラウダ」をはじめ新聞記事での言及はあったが散発的なもの)。 1946-48年ごろに「モルスコイ・スボルニク」(ソ連海軍機関誌)の誌上にいくつかその概略を紹介する記事が出
さて、理論的には爆雷よりはるかに優れた兵器となるはずのヘッジホッグについて当然ながら英海軍は高い期待を抱き、生産と配備を急速に進めた。改修を終えた艦は1942年末ですでに100隻を超え、1943年6月には当時北大西洋にあった60隻のリバー級フリゲートのうち40隻、120隻のフラワー級コルベットのうち約70隻、30隻の艦隊駆逐艦のうち14隻と実に6割を超える艦が装備を完了していた(Ireland, 2003,pp94およびFriedman,2006,pp138-139)。1942年11月8日には駆逐艦「ウェストコット」がヘッジホッグを使用して初の潜水艦撃沈を記録した(ヴィシーフランス海軍の「アクテオン」)。 ところが、当初ヘッジホッグはその期待に副うような結果を残すことができなかった。1943年を通じてヘッジホッグの攻撃成功率は8%をわずかに上回る程度で推移した。理論的期待値の1/4、爆雷の
艦これに実装される次の新装備としてヘッジホッグを望む声があるようだが、ヘッジホッグをはじめとする装備艦の前方に対して発射する、いわゆる前投式対潜兵器が、どこがどのように既存の爆雷より優れていたのかについては意外と知られていないようだ。どうも多連装という見た目に引っ張られて、ゲームの全体攻撃魔法や陸のMLRSのような「広い範囲を一気に攻撃するからすごい」兵器である、という印象を持つ人が少なくないらしい。「ゲームなら敵陣営の潜水艦が一発で全滅するような効果」という発言を見たときは目が点になった。節子、それヘッジホッグやない、核爆雷や。 実際にはまったく逆の発想から生まれた兵器である。それまでは「大体このあたりにいる」といったアバウトな照準の付け方しかできなかった潜航する潜水艦への攻撃に、「ピンポイントの精密攻撃」という概念を持ち込んだものだったのである。 1.アスディック(アクティブソナー)と
ジェレミー・ブラックは英国近世史・軍事史を中心に、評価の高い一般読者向けの概説や通史的な書籍を数多く出版している歴史学者である。すでに数冊の翻訳があるが純粋な軍事史に関する書籍は初めてである上に、どうしても技術史的視点が優先されるきらいがある海軍史を、制度や政治文化の面から論ずる、ということでこの『海軍の世界史』は高い期待を持って読みはじめた。ただ、出版社と訳者にまったくなじみがないことに多少の不安はいだきつつであったが…その不安は最悪に近い形で的中してしまったといえよう。 いくら自分が背景に疎い中近世の海戦を扱っているにしろ、あまりにも読みにくいのだ。最初は中公文庫の『ヨーロッパ史における戦争』(マイケル・ハワード)と同様、直訳調で訳文が硬すぎるためなのだろうと考えていたが、次第にそれだけでは説明のできない、文意の取れない文章が多いことに違和感を強く感じるようになった。同じ段落の中で相矛
電撃戦という幻〈上〉 電撃戦という幻〈下〉 1940年6月のドイツ軍のフランス進攻、いわゆる西方電撃戦は、なんというかいわく言いがたい戦いである。兵力においても兵器の質においても独軍を大きく上回っていた英仏連合軍が完膚なきまで叩きのめされ、たったの6週間でフランスは事実上屈服に追い込まれた。連合軍はすべてにおいて決断が遅く、しかもやっと下した決断はことごとく裏目に出てしまい、当事者じゃない人間は思わず笑っちゃうような戦史上まれにみる大惨敗を喫した。独軍は装甲部隊を集中運用し、連合軍が戦車は通過不能と(勝手に)見なしたアルデンヌ高原を突破し、ドーバーまで突っ走り、英仏軍主力はあっさりと包囲され実質的に西方における戦争は終わったしまった。空陸一体の立体的作戦・戦車と自動車化歩兵の連携と集中運用・無線通信の戦術レベルへの応用といった点で電撃戦」の典型例であり最大の成功例と見なされるのも当然のワン
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