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にんじんロープ: 2010年4月11日の日記、感性の死亡について
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にんじんロープ: 2010年4月11日の日記、感性の死亡について
怠惰な日常生活をなんとかしようと思い立ったとたん風邪をひいた。なんてことない普通の風邪のはずが繁... 怠惰な日常生活をなんとかしようと思い立ったとたん風邪をひいた。なんてことない普通の風邪のはずが繁忙期(年中そうだといえばそうだが)と重なりえらいことになった。声が出ないのは何年振りだっただろうか。一時期は歌を歌えば森中の動物たちが集まってきたというのに。 声を取り戻したら代わりに臓物が飛び出そうなほど深い位置からせりあがってくる咳が出るようになった。職場で「死なないで!」と懇願される機会が増えた。その少女の前で遺言でも残そうものならその子が「父に教えてもらった」とかのたまいながら銃一つで身を守って旅立つ流れですよこれは。実は生きていて敵でした的展開が目に浮かびます。「どうしてあなたが…?答えてよ父さん!」だが待ってほしい。どうして父である僕が少女の前に立ちはだかるのかよりもまず、なぜ父ですらない僕がこんなことを書いているのか、それを答える義務が先に発生するのではないでしょうか。 閑話Q