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【萌え談義・その6】・「萌えヲタの問題は『普通人内弱者』を認めるか否かの問題だ」 - ふぬけ共和国blog
以前にも書いたとおり、独自の知識・価値大系を持つ「オタク」の中に、新参者が入っていくのはなかなか... 以前にも書いたとおり、独自の知識・価値大系を持つ「オタク」の中に、新参者が入っていくのはなかなかむずかしい。 体育会系だったり縦社会だったりすれば、能力のあるものが一気に上にあがることも無理かもしれない代わりに、新参者を受け入れるシステムがたぶん整っている。 しかし、「オタク」というのは基本的に文化系サークルのノリ・価値観を引き継いでいるので、そういうシステムは持たない。 その価値大系を、ある意味で「ちゃぶ台返し」しようと無意識的に思っているのが「萌えヲタ」、あるいは「萌え」に強い価値を置くオタクなのではないか、というのは前に述べた。 その1 「知識の集積」を無効化しうるのは、「感性」である。「萌え」というのは知識大系に対する感性の逆襲であった、と自分はとらえている。 たとえば60~70年代、「感性の時代」なんて言われたのは、それまでの知識大系の価値がゆらいでいたからだが、 それと同じ現象
2008/04/15 リンク