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価値観に関するken_woodのブックマーク (34)

  • アメリカに住んで初めてわかった「最大級」の違い - メソッド屋のブログ

    昨年の年末にアメリカ移住して、今はシアトルの近くの Kirkland というところに住んでいる。大体三か月たって、いろんなことを体験した。移住した理由は単純で、コンピューターサイエンスの世界ではアメリカがどう考えても一番進んでいるので、そこで修行して通用するようになったら楽しいかなと思ったからだ。他にも他国の人を観察しているととても生産性が高い。特にアメリカの人は生産性が高い傾向が高い。なんでこんなにアメリカはコンピューターの世界が向いているのだろう?その一旦を感じた気がしたので久々にこのブログを書いてみることにした。 Kirklandの風景 自分へのご褒美を買う アメリカ移住すると、当然日にいる友達とかと会えなくなる。私は一人でもさみしくない人だけど、さすがにこたえるだろうと思った。だから大好きなバンドをまたやろうと思った。ただ、こっちは正直レベル高いし、私はヴォーカリストだから、

    アメリカに住んで初めてわかった「最大級」の違い - メソッド屋のブログ
    ken_wood
    ken_wood 2019/03/13
    >失敗するかもしれない難しいことにサクッとチャレンジして、それが普通で、周りの人もそれを歓迎してくれる。ソフトウェアも無理目なことをするから、失敗もあるけど技術力が上がるし成果も感動的なものになる。
  • もしも、僕の人生でビアンカかフローラのどちらかを選ばなくてはならないのだとすれば。 - いつか電池がきれるまで

    昔読んだこんな話を、読み返す機会があって。 『ユリイカ 詩と批評』(青土社)2009年4月号の「総特集・RPGの冒険」より。 (特集のなかの「鼎談・われらの道(RPG)はどこにある」の一部です。鼎談の参加者はブルボン小林さん、飯田和敏さん、米光一成さん) 米光一成:物語とかを提示してみせるのではなく場としての世界を提出すること、つまり、今のゲームが何でもできるようなある種の「世界」を作るっていう方向に行っているのは、やっぱりゲームならではの語り口なのかもね。 ブルボン小林:それで思い出したけど、知り合いのデザイナー……というか、『ユリイカ』の表紙を装丁している名久井さんだけど、彼女が『タクティクスオウガ』を最近また買って遊んでるらしいんだけど、あれってシナリオが「ロウ(law)」「カオス(chaos)」「ニュートラル(neutral)」って大きく三つに分岐していくんだって。名久井さんは以前

    もしも、僕の人生でビアンカかフローラのどちらかを選ばなくてはならないのだとすれば。 - いつか電池がきれるまで
    ken_wood
    ken_wood 2015/02/21
    >ネットでの人々のふるまいも同じなのかもしれません。「なんでこんなに『正しさ』で異論を圧殺しようとするのか?」と考えてしまうのだけれども「現実では『正しさ』を貫けない代償行為」みたいなものなのかな、と
  • 吉野朔実 『少年は荒野をめざす』 論

    この論文は、1994年秋に友人たちと作った同人誌に載せたものです。現在絶版です。 私ではない<私>への欲望 吉野朔実『少年は荒野をめざす』を巡る考察−ルネ・ジラールによせて 川瀬 貴也 さて、『宗教マンガ学会会報』創設にあたり(結局一号雑誌で潰しました−川瀬註)、「宗教と漫画」をテーマに論文を書くことをK君に求められたが、そこで私が高校時代に読んで深い感銘を受けた吉野朔実の『少年は荒野をめざす』(集英社ぶーけコミックス、全六巻、図もこれによる)を分析してみることを思い付いた。その分析の枠組みを、私はルネ・ジラールの欲望に関しての論から借りようと思う。そこで、稿はまず彼の欲望論を紹介し、それを用いて作品に関して言及しようと思う。 1 ルネ・ジラールの欲望論 ルネ・ジラール(R. Girard)は、文芸批評から出発して、人類学、社会学、宗教学などの領域にまたがる理論を構築しつつあ

    ken_wood
    ken_wood 2014/09/30
    >人々は「人と違うこと」を望みながら、同時に「違いが分かる」限りで「人と同じである」ことをも望んでいる。あるインディーズのバンドが好きと言っても「俺だけが分かる」では困るのだ。「分かる人には分かる」
  • 正義に意味はない 正義について考えることに意味がある:360度の方針転換

    Web漫画から四大少年誌まであらゆる漫画を前のめりに楽しむブログ。戦記ファンタジー漫画応援中。管理人によるリンクブログは全周無警戒。 魔法先生ネギま!の正義論議。けっきょく確固たる結論がでたわけではないそれは、159時間目のサブタイトルで「勝ち残ったものこそが正義!!」などと言われていたりする。まるでどこかの12thだが、正義に言及できるのは歴史歴史をつくるのは勝者だと考えればひとつの答えではある。まぁ、誰でも知っている「勝てば官軍」の言葉どおりだ。 これは最終的な結論でもなんでもなく、状況の一端を表したタイトルにすぎない。麻帆良祭で当に重要だったのは、正義の所在ではなく、ネギが正義について思い悩むことそのものだったのではないか。 新世紀エヴァンゲリオンで碇司令が「しょせん人と人はわかりあえん」などとうそぶいていた。それを耳で知りおおよそ納得する人間は多いだろうが、必死のコミュニケーシ

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    ken_wood 2012/12/27
    >麻帆良祭で重要だったのはネギが正義について思い悩むことそのもの。「しょせん人と人はわかりあえん」を納得する人は多いだろうが必死のコミュニケーションの末に実体験として同じ結論に達する人がどれだけいるか
  • 渡邊芳之先生@ynabe39の「この「自分に理解できないものには価値がない」という感覚はなにも橋下さんに限ったことでなく世の中一般の風潮だと思う。」

    橋下さんの発言は「自分が理解できないものに高い価値がおかれている」ことに違和感を持っている人の溜飲を下げるから、ますます人気が出るだろうと思う。by 渡邊芳之

    渡邊芳之先生@ynabe39の「この「自分に理解できないものには価値がない」という感覚はなにも橋下さんに限ったことでなく世の中一般の風潮だと思う。」
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    ken_wood 2012/08/02
    >橋下さんの発言は「自分が理解できないものに高い価値がおかれている」ことに違和感を持っている人の溜飲を下げ、人気が出る。「理解できないのは自分に何かが足りないのではないか」的な「芸術の権威」教養主義は
  • .@elm200 さんの『不思議の国のニポン』

    Eiji Sakai @elm200 日に戻ってきて、1週間になるけれども、相変わらず世界の追随を許さぬ日の特殊っぷりは驚かされてばかり。日人は気がついていないかもしれないが、これってすごい観光資源になりうると思うんだよね…。 2012-06-25 10:00:26 Eiji Sakai @elm200 例えばグローバル化が進んだ今日、英語がまったく通じない場所というのはどんどん少なくなっている。日はぶっちぎりで英語が通じない。「どこでも英語が通じてつまらん」的旅慣れた欧米人たちが「マジかよ、当に全然英語が通じないじゃん」と興奮できる最後の秘境、それが日。 2012-06-25 10:04:10 Eiji Sakai @elm200 週末わずか2日間の東京滞在中、2つの店から「静かにしろ」的なことを言われて不愉快な思いをした。感覚の違いなんだろうが最近の日は明らかに神経質すぎ

    .@elm200 さんの『不思議の国のニポン』
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    ken_wood 2012/06/30
    >日本のホスピタリティはある意味、村八分の恐怖感から生まれている。一般庶民が英語をうまく話せないのは当然。大抵の国と違ってエリート層の英語力が壊滅的なことは他国の人々には理解しにくい日本の特異性
  • スポーツナビ|サッカー|EURO2012 - 欧州選手権 -|コラム|今大会も賭け事で団結、スペイン代表の不謹慎(1/2)

    合宿中に金を賭けてサッカーくじなんて不謹慎、というのがわれわれの発想だろう。 だが、それがチームの和に貢献すると信じられているのが、ラ・ロハ(スペイン代表)だ――。 ラ・ロハを裏から表から楽しむために、現地で記者(『ラ・ロハ スペイン代表の秘密』の著者ミゲル・アンヘル・ディアス)を密着させることにした、この特別編。今回は、イタリア戦を前に雰囲気作りに乗り出した監督と選手の様子をレポートする。 ■沈黙の後ブスケッツが…… 「すべてが予定通りだ」とテクニカルチームのスタッフの一人は語った。プジョルとビジャ欠場のショックから脱し、ポーランドの合宿地グニエビノでチームは戦闘モードに入った。マドリーのラス・ロサス連盟合宿所をプジョルとビジャが応援に訪れたことで、選手たちも気持ちの整理がついたようだった。 合宿2日目、昼を終えたデル・ボスケは選手たちのテーブルに近づき言った。「誰が今大会のサッ

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    ken_wood 2012/06/13
    >昼食を終えたデル・ボスケは選手たちのテーブルに近づき言った。「誰が今大会のサッカーくじの胴元をやるんだ?」。サッカーくじは多くのポジティブなものの象徴だ。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    オーベルジーヌ実レポ べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモンってんのか 許せねえよ………

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    ken_wood 2011/12/04
    >「百人目の王子」の話。日本でこのデモが不発に終わったのは、うっすらと「自分は九十九人には属さない」という無謀なポジティブ思考があるんじゃないのかな。生存のためには正しく絶望することが必要不可欠。
  • 【いま、僕が思うこと 坂本龍一】「知の民主主義」と「良い音楽」+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    クリックして拡大する【いま、僕が思うこと_坂龍一】「スコラ_ロックへの道」で実現した坂龍一さん(右)と大瀧詠一さん(左)との対談。音楽評論家の北中正和さんも参加し、ロックの起源を探った(坂龍一氏事務所提供) 現在、インターネットの普及で、音楽を体験する環境が大きく変わった。 まず、情報となった音楽はインターネット上にフラットに並列されている。そこにはいいものも、よくないものも、古いものも、新しいものも、有名なものも、無名なものもある。究極の知の民主主義といえるかもしれない。 かつて音楽にも堅固なヒエラルキーがあって、いい音楽、悪い音楽ははっきりしていた。当時ぼくは、そのような位階制を壊そうとしていた。しかし、現在その壊れた風景を前にしたとき、はたしてこれがいいのかという疑問が湧く。 知の民主主義はいい。変な権威なんてまっぴらだ。しかし、いい音楽とそうでない音楽という区別はあるのでは。

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    ken_wood 2011/05/18
    >かつて音楽にも堅固な位階制があり、当時それを壊そうとしていた。でも個々人の主観的な判断だけではない音楽の「良さ」がある。マネをすることはエッセンスを頂くこと、個別の音楽から普遍的な法則を学ぶことだ。
  • デスノートの正しい使い方――道徳と倫理

    夫婦間のコミュニケーションは難しいもの。付き合いも長いと、話題もなくなります。年中一緒に暮らしていれば、会話のネタも尽きてきますよね。そこで、ごくごく普通の夫である私が試行錯誤の上に発見した、ちょっと変わった夫婦間の「エクストリームコミュニケーション」をご紹介しています。今回のエクストリームコミュニケーションは「道徳と倫理」です。 今回は「道徳と倫理」です。良心やモラルの意識は、法律的に正しい知識があるかどうかといったこととはまったく違った次元の話になります。少なからず信用している配偶者の道徳・倫理意識が、自分とかけ離れていると分かったらショックですが、心を鬼にしてと向き合ってみることにしました。 ちなみに各テーマの数字は連載記事共通の通し番号。これまでのエクストリームコミュニケーションも参考にしてみてください。 テーマ104:もしもデスノートを手に入れたら 人気漫画の『デスノート』。あ

    デスノートの正しい使い方――道徳と倫理
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    ken_wood 2011/05/06
    >ちょっと変わった夫婦間の会話のネタ。夫 やっぱり、悪人を裁いていくのがいいのかなあ。妻 気軽に怖いこと言わないでよ。それやったら犯罪者よ、殺人者よ。『モリのアサガオ』
  • 老婆心 - 新小児科医のつぶやき

    shy1221様のハイハイに便乗させて頂きます。超映画時評『玄牝 -げんぴん-』70点(100点満点中)より、 舞台となるのは愛知県の岡崎市にある吉村医院。医院に併設した日家屋で、妊婦たちに家事労働をさせることで安産を目指すという、自然派志向の産婦人科だ。そこで妊婦たちは、臨月になっても結構な重労働にいそしんでいる。洗濯機や掃除機に囲まれ、もはや家事が肉体労働ではなくなった現在、ぞうきんがけやマキ割りなどをおなかの大きい女性たちが平然とこなしている様子は、見る者を驚かせるだろう。 近年でこそ、(安静ではなく)運動こそが安産のキーポイントであることは常識となっているが、この医院では昔からこうした指導を行ってきた。出産時も陣痛促進剤はもちろん、会陰切開などの医療介入はほとんど行わない。 「安全性第一」がいつのまにか「母子の命さえ救えば文句はなかろう」になりかねない一般の医療施設ではおろそかに

    老婆心 - 新小児科医のつぶやき
    ken_wood
    ken_wood 2011/03/02
    > 「誕生の試練すらくぐり抜けられぬような命では仕方がない」ここは筆が走りすぎではないでしょうか。それと子供への愛情は産み方ではありません。
  • ビートたけしが教えてくれた優しさには根性が必要なわけ - 読んだものまとめブログ

    最近、若い人たちを中心に表向きの対立を回避する「やさしい」関係が広がっていますが、その裏にある「やさしくない」努力についてはあまり触れられません。やさしさを担保するためには遠慮、配慮、思慮に守られた聖域を守る必要があります。そんな聖域を守るために差し出す労力のことを隠す理由を突き詰めれば、当の「やさしさ」についての理解が出来るのだと思います。 改訂版 アサーション・トレーニング ―さわやかな〈自己表現〉のために 作者: 平木典子出版社/メーカー: 金子書房発売日: 2009/09/16メディア: 単行購入: 12人 クリック: 74回この商品を含むブログ (14件) を見る やさしい関係が求めるもの やさしい関係は緩衝部分を守るために基的に『違い』を許しません。個々人の感情や考えを抑圧して、やさしい関係を維持することを強要します。つまり、個人よりも関係を優先させて、いかに変わらないで

    ビートたけしが教えてくれた優しさには根性が必要なわけ - 読んだものまとめブログ
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    ken_wood 2011/02/21
    >やさしい関係は緩衝部分を守るために基本的に『違い』を許しません。個人よりも関係を優先させて、いかに変わらないでいられるかを求める。求めるべきは、キビシイ関係に耐えて、やさしく振舞える自分です。
  • 【2】「ワリカン女子」と「ごっつぁん女子」:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン デートでは、「ワリカン 50.2%」「男性のオゴり(自分も少しは出す)47.2%」「自分がオゴる 2.6%」。 フリーマガジン「L25」が、20~34歳までの女性約1000人に実施した「デートでの事の支払いについて」のアンケート結果です。今や、半数以上の女性が「デートではワリカン」なのですね。 「男が女に奢るのが当たり前」はもう過去のこと!? そして、私が取材してきた「女性のワリカンに関する意識」はこんな感じです。 「デート代はワリカンでOK。できればクリスマスのデートと、普段のラブホテル代くらいは彼に払ってほしいけど、ワリカンでもまあ我慢する。自分の誕生日はもちろん奢ってほしいけど、彼の誕生日には私が彼に奢る」が、多くの20~30代女性。

    【2】「ワリカン女子」と「ごっつぁん女子」:日経ビジネスオンライン
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    ken_wood 2009/01/01
    >バブル世代と下で大きく対立する「ワリカン」と「奢り」の考え。19の銀の指輪。トロフィーワイフ。女性に幻想を持っていないワリカン女子世代の男性と生きる気楽さ。若者たちの喜ぶ「ご馳走女子」をお奨め。
  • 大学の先生とニコニコについて語ったりした | fladdict

    大学時代の先生が教授に昇進して、おめでとうございますパーティーに行ってきた。 海外行って行方不明、5年ぶりぐらいに出現した僕はレアキャラ扱い。 先生は、テクノロジで人間の生活がどう変わるか?、みたいな研究をしてる人で、ニコニコ動画の出現でどのような新しいコミュニケーションや表現様式が生まれたか等でちょっと話が盛上がった。僕のネット文化ウォッチャーとしての血は、この研究室の影響だよなぁ絶対。 「動画講座」系のコンテンツにおいて、コメント機能を利用して、動画末尾に視聴者質問コーナーを設ける動きが観測したことについて報告したりした。 動画編の末尾に、ビデオのキャプションがわかりやすかったか?、表示速度は読みやすかったか?わからないところは?次回講座はなにがいい?といったキャプションが表示され、みんながそれにコメントをするという方式。で、作者はそれにあわせて次回講座の内容をフィックスしていくとい

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    ken_wood 2008/05/19
    >梅田氏が言う学習の高速道路の敷設が0から観測できるのが一番の見所。モノ作りにおける品質の経済価値が相対的に減少し、作品は一個で完結するものではなくムーブメントの基点で、作者不在の模倣再生産再解釈文化に
  • 中国が「好き」か「嫌い」かというような話はもう止めませんか - 内田樹の研究室

    朝刊を広げたら、週刊現代の新聞広告を目に入った。 特集は「中国、『好き』か『嫌い』か」。 なんと。 外交は好き嫌いでやるものではない。 小学生ではないのだから、「好き嫌い」で外交戦略を決するような愚かしいことは止めて欲しいものである。 どのような人がこのような特集に寄稿しているのか一瞥すると、「中華思想の骨法がわかれば中国は御しやすい」などという愚なるタイトルを掲げた文を草しているものがいる。 誰だ、このバカはと思ってみると、私の名前が書いてある。 う? そんなもの私は書いたのか? たしか十日ほどまえに「中国との付き合い方」というタイトルで寄稿を依頼された覚えがある。 週刊現代だったかもしれない。 その中に私は「好き嫌いで外交方針を起案するような愚かなことはいい加減やめたらどうか」ということを書いた。 外交戦略は先方がどのような国家像をもち、どのようなコスモロジーのうちにおのれを位置づけて

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    ken_wood 2008/05/15
    >外交は好き嫌いでやるものではない。中国人は、私たち日本人にとっては気分が悪い「宗属関係の曖昧さ」がまるで気持ち悪くない。帰属をはっきりさせようとする企てに反対するのが中華思想の本義である。
  • 【萌え談義・その6】・「萌えヲタの問題は『普通人内弱者』を認めるか否かの問題だ」 - ふぬけ共和国blog

    以前にも書いたとおり、独自の知識・価値大系を持つ「オタク」の中に、新参者が入っていくのはなかなかむずかしい。 体育会系だったり縦社会だったりすれば、能力のあるものが一気に上にあがることも無理かもしれない代わりに、新参者を受け入れるシステムがたぶん整っている。 しかし、「オタク」というのは基的に文化系サークルのノリ・価値観を引き継いでいるので、そういうシステムは持たない。 その価値大系を、ある意味で「ちゃぶ台返し」しようと無意識的に思っているのが「萌えヲタ」、あるいは「萌え」に強い価値を置くオタクなのではないか、というのは前に述べた。 その1 「知識の集積」を無効化しうるのは、「感性」である。「萌え」というのは知識大系に対する感性の逆襲であった、と自分はとらえている。 たとえば60~70年代、「感性の時代」なんて言われたのは、それまでの知識大系の価値がゆらいでいたからだが、 それと同じ現象

    【萌え談義・その6】・「萌えヲタの問題は『普通人内弱者』を認めるか否かの問題だ」 - ふぬけ共和国blog
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    ken_wood 2008/04/15
    >「萌え」は新参者を受け入れるシステムが整ってない「オタク」知識大系に対する感性の逆襲。「つきつめる」ということもないんだから勝者も敗者も生まれない。へタレで「弱いからこそ、萌えにひかれる」。
  • ある「不可知論者」にとっての「神学」 - 地を這う難破船

    ⇒なぜニセ科学を叩く人は一般にヘンな目で見られないで、歴史修正主義者を叩く人はヘンに見られるのか - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt) ⇒「歴史修正主義」をめぐって - 地を這う難破船 >愛・蔵太さんは−ファクトとしての言説史に準拠する近現代文化史の人 失礼だが、3/27現在あなたのこの文章は間違いだったと判明したように思います。開かれた議論の場では愛・蔵太氏は、まったく何もファクトを提示できず、それ以前に何も”読み”を行わなかった事が明らかになったと思います。以下の私のまとめを参考に、D_Amon氏が用意してくれた掲示板での愛・蔵太氏の発言を一度確認して欲しいのです。 http://d.hatena.ne.jp/abesinzou/20080328 >敬意を払っている人は私を含めて幾らもある 加えてここで明らかになったのは愛・蔵太氏に

    ある「不可知論者」にとっての「神学」 - 地を這う難破船
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    ken_wood 2008/03/31
    >普遍概念を共同幻想に過ぎないと見なす人にとっては価値的な議論は神学論的「ゲーム」でしょう。ただし私が愛・蔵太さんの信念ドグマを尊重するように、愛・蔵太さんもまた他人の「神学」を揶揄するべきではない。
  • 『恋空』を読む(1):ケータイ小説の「限定されたリアル」 : WIRED VISION 濱野智史の「情報環境研究ノート」

    『恋空』を読む(1):ケータイ小説の「限定されたリアル」 2008年1月15日 ITカルチャーメディア コメント: トラックバック (1) (これまでの濱野智史の情報環境研究ノート」はこちら) ■1. 分析を始める前に――『恋空』に対する2つの立場 ずいぶんと旬は過ぎてしまった感はあるのですが、今回は少し趣向を変えて、2007年に話題を集めたケータイ小説作品、『恋空』(スターツ出版、2006年)について分析してみたいと思います。 さて、分析を始める前に、いくつか確認しておきたいことがあります。昨年から(おそらく映画が公開されヒットを記録したのを境に)、ネット上では――ケータイ小説のメイン読者層ではなかった人々の間で――、この作品をどのように位置づけるのかをめぐって議論がなされていました。筆者もそのすべてをきちんとフォローしているわけではありませんが、ある程度概観しておくならば、それは大きく

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    ken_wood 2008/01/31
    >「半実話」のジャンル設定によって担保されている。だけでは不十分、「ケータイ小説」に宿る「限定されたリアル」について、ただその《存在》を外側から認めただけで、その《中身》を理解するに至っていない。
  • ケータイ小説はリアルか問題 - また君か。@d.hatena

    バーチャ 1 あたりからこっち延々リアルとリアリティの境界線で戦い続けるゲーオタ界隈からすると何故今頃な話題だけどゲーオタも問題意識を抱えたまま特に議論を前進させないので程度は一緒だな!やはりそこいらへんはゲームアカデミズムの仕事か!と思ったけど一応ちょろっとケータイ小説を読んでみたのでリアリティについての感想。 おれにとってはリアルじゃないけどこれをリアルと感じるひとも居るんだろう。 終わった。うーむ。これは体験の共有可能性みたいな話と近いと思うんだよね。感想文でいうと、たとえばおれが小学校の頃養豚場の社会科見学にいったとき抱いたのは、豚がどうとかではなく、ひるがえった自分の小学生としての人生への絶望感だったんだけど、そこで「絶望した」って書いても感想文読んだひとは当惑するだけだ。前提を共有しない同士でもある程度は疎通していく類の感想というのは「豚がデカかった」とか「豚の目がピュアだった

    ケータイ小説はリアルか問題 - また君か。@d.hatena
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    ken_wood 2007/12/20
    >じゃあ感情は、ないことになっているのかというと、「ケータイ小説はリアル」とか「おれがクリアできないからこのゲームはクソゲー」とか「おれが感動したから Air は文学」とか根っこが同じなんだよたぶん。
  • もうすこし、若いなりにコミュニケーション勉強したほうがいいよ - Android開発-fs随筆-

    そもそもコミュニケーションなんてばからしい単語使わないほうがきっといいんだろうね。 意思疎通といえばいいのかな。自分の意思を伝える。しかも過不足なく、なおかつ判断分岐の限界値も伝える。そうすると、お互いの利益を確保して判断ができるよね。 最近の子供たちは、お互いの利益を確保するって発想がないんじゃねーのかと、生徒を見ていてふと思いました。 あと、コミュニティでいろいろ最悪なのは所属が固定化されることかな。固定化されてしまって、流動性なくなると、ヒエラルキーの維持に羊の生贄が必要になるからさ。

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    ken_wood 2007/12/05
    >最近の子供たちは、お互いの利益を確保するって発想がないんじゃねーのかと、生徒を見ていてふと思いました。:または「みんなで幸せになろうよ」の『みんな』の範囲がおっそろしく狭い、だな。