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吉本隆明『転位のための十篇』
吉本隆明『転位のための十篇』について(「樹林」1999年秋号より) 「詩とはなにか」という問いに... 吉本隆明『転位のための十篇』について(「樹林」1999年秋号より) 「詩とはなにか」という問いには、それこそ詩人の数だけ(あるいは更に多くの)答えがありそうだが、私にとって最も衝撃的だったのは、二十八年前に出会った次のようなものである。 詩とはなにか。それは、現実の社会で口に出せば全世界を凍らせるかもしれないほんとのことを、かくという行為で口に出すことである。 (吉本隆明「詩とはなにか」) 今となってはどこか懐かしさを覚えさせるほどに真っ当なこの定義にこそ、私たちの現代詩が希求しつつもいつかどこかの棚に置き忘れてきた、ある普遍的な真理が潜んでいるように思われてならない。吉本自身、このような考えを少年時代からの「妄想」と呼んでいるのだが、この「妄想」には現実からの抑圧をかろうじて解消するための必然性がこめられていた、とも書いている。詩作品においても、