エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
「映画監督になったらいけないんじゃないか」手塚眞監督(62)が“ヴィジュアリスト”を名乗るきっかけになった“巨匠の存在” | 文春オンライン
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
「映画監督になったらいけないんじゃないか」手塚眞監督(62)が“ヴィジュアリスト”を名乗るきっかけになった“巨匠の存在” | 文春オンライン
『MOMENT』を見たミュージシャンの近田春夫氏から「一緒に映画をやろうよ」と声をかけられて始まった『... 『MOMENT』を見たミュージシャンの近田春夫氏から「一緒に映画をやろうよ」と声をかけられて始まった『星くず兄弟の伝説』。当初は「月1で夜ライブハウス上映」のカルトムービー企画だったが、次第に方針が変わっていって……。好評インタビューシリーズ第3弾の最終回。(全4回の4回目/#1、#2、#3を読む) ◆◆◆ 初の商業映画『星くず兄弟の伝説』 ―― 『星くず兄弟の伝説』は一般映画として公開された最初の作品ですね。 手塚 近田(春夫)さんが最初におっしゃっていたのは、「これは映画館じゃなくてもいい。ライブハウスでもいいんじゃないか」と。その代わり、月に1回必ず夜上映しているみたいな。要するに、カルトムービーを作ろうと思っていたんです。その頃、『ロッキー・ホラー・ショー』が、どこかの映画館で毎月1回上映されて、そこに好きな人だけ集まってみんなで盛り上がるみたいな流れがあって、そんなことをやりたい

