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「豊臣兄弟!」では描けない…興福寺だけではなかった、「秀吉の補佐役」弟・秀長が大和支配で生んだ犠牲者
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「豊臣兄弟!」では描けない…興福寺だけではなかった、「秀吉の補佐役」弟・秀長が大和支配で生んだ犠牲者
そこで秀長は、郡山で新たに店を開いた筆屋の才蔵(間宮祥太朗)の商いを成功に導き、それを起爆剤に各... そこで秀長は、郡山で新たに店を開いた筆屋の才蔵(間宮祥太朗)の商いを成功に導き、それを起爆剤に各地から商人を呼び込もうと考える。 抵抗する古い既得権益を押しのけ、新しい風を吹き込む。いかにも爽快な物語である。前回の第37回でも、寺社が高い年貢を取り立てて領民を苦しめていると知った秀長が、検地で適正な年貢に改めようとする姿が描かれた。秀長は、領民思いの名君として描かれている。 しかし、これはあくまで秀長が主人公だからこそ描かれた創作エピソードに過ぎない。史実の検地は、領民に優しい政策ではなかった。天野忠幸の『大和大納言 豊臣秀長』(平凡社、2025年)によれば、検地は1585年閏8月(秀長の入国直前)から行われている。 検地の方式は「指出さしだし」、つまり持ち主が自分の土地と収入を自己申告して差し出す形だった。ところが、秀吉も秀長も、出てきた申告書をそのまま受け取ったわけではない。気に入らな

