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なぜメディアは常に"健康不安"をあおるか 「安全」と「安心」との微妙な関係
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なぜメディアは常に"健康不安"をあおるか 「安全」と「安心」との微妙な関係
食品安全や健康情報をメディアが取り上げるとき、たいていは「安全といわれても、安心できない」という... 食品安全や健康情報をメディアが取り上げるとき、たいていは「安全といわれても、安心できない」という素人の不安を煽る論調になりがちだ。「食生活ジャーナリストの会」代表の小島正美氏は「『安心できない』という素朴な声は無視できない。科学的な『安全』だけでなく、感情的な『安心』を意識していく必要がある」と説く――。 世の中は主観的な「安心」感情で動く 世の中を動かす力の源は何だろうかと、私はいつも考えてきた。記者たちが記事を書くときのスタンスに、それは現れる。 まず、つくづく感じるのは、世の中は科学者が考えるような概念での「安全かどうか」という機軸では動かず、市民がその安全をどう思うかで動くということだ。それを象徴的に表すのが、もはや定着した「安全・安心」という言葉である。これは裏から見ると、市民の感情が世の中を動かすというコンセプトである。 では、安全と安心のどちらを、メディアの記者たちは重視する