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日本陸軍が魔改造した「さくら弾機」をご存じだろうか…90歳の “大型特攻機” 元隊員が洩らした本音 壁面はベニヤ板、機関銃も機関砲も積んでいなかった
第二次世界大戦の末期、旧日本軍は航空機などで敵戦艦に体当たりする「特別攻撃隊」(特攻隊)を編成し... 第二次世界大戦の末期、旧日本軍は航空機などで敵戦艦に体当たりする「特別攻撃隊」(特攻隊)を編成した。10~20代の多くの若い兵士たちが自らの命を絶った。彼らはどんな思いで出撃したのか。宮本雅史さんの著書『「特攻」の聲 隊員と遺族の八十年』(KADOKAWA)から紹介する――。 ラッパで起きて、ラッパで寝る生活 私が、和歌山県・日高町に花道柳太郎を訪ねたのは平成27(2015)年6月のことだ。花道は当時90歳で、妻のトシ江(当時84歳)と共に応対してくれた。 花道は、7人兄弟の長男。内原尋常高等小学校を卒業すると、昭和15(1940)年3月25日、岐阜県・各務原の陸軍航空廠技能者養成所(陸軍機の修理や部品の補給に当たる組織)に入所、軍隊生活が始まった。ここで、昼間は学科を、午後は訓練と実習を行い、昭和18年3月2日に卒業。「この3年間はラッパで起きて、ラッパで寝る生活だった」という。 昭和1



2024/10/17 リンク