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国会で問題になった竹中平蔵② | 国を磨き、西洋近代を超える
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国会で問題になった竹中平蔵② | 国を磨き、西洋近代を超える
高山彦九郎を取り巻く勤王運動の背景には、「『敬』(つつしみ)による神との合一」という垂加神道の真... 高山彦九郎を取り巻く勤王運動の背景には、「『敬』(つつしみ)による神との合一」という垂加神道の真理の調べが常に響いていたのではなかろうか。高山が引き継いだ勤王運動の先人たちは、垂加神道の系譜ときれいに重なり合っているからである。 山崎闇斎は朱子学の敬慎説を中心に据え、吉田神道と伊勢神道などの要素を加えた独自の神道として垂加神道を唱えた。吉田神道は吉川惟足から、伊勢神道は度会延佳から、それぞれ伝授されている。こうして、闇斎は天地開闢の神の道と天皇の徳とが唯一無二なるものと主張した。 代議士を務めた有馬秀雄所蔵の垂加神道の伝書によると、「山崎闇斎─正親町公通─玉木葦齋(正英)─谷川士清─唐崎士愛(常陸介)─有馬守居」という系譜が記録されている(三上卓『高山彦九郎』平凡社、1940年、152頁)が、これこそ高山をめぐる勤王思想のネットワークに連なる系譜なのではあるまいか。この系譜のうち、玉木葦齋