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あまり自分勝手だよ、教祖の料理は。ーー柄谷行人の超自我と欲動
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あまり自分勝手だよ、教祖の料理は。ーー柄谷行人の超自我と欲動
私の柄谷行人への立場は、基本的には安吾の小林秀雄に対する立場だよ。 編輯者諸君は僕が怒りんぼで、ヤ... 私の柄谷行人への立場は、基本的には安吾の小林秀雄に対する立場だよ。 編輯者諸君は僕が怒りんぼで、ヤッツケられると大憤慨、何を書くか知れないと考へてゐるやうだけれども、大間違ひです。僕自身は尊敬し、愛する人のみしかヤッツケない。僕が今までヤッツケた大部分は小林秀雄に就てです。僕は小林を尊敬してゐる。尊敬するとは、争ふことです。(坂口安吾「花田清輝論」初出:「新小説 第二巻第一号」1947(昭和22)年1月1日発行) あまり自分勝手だよ、教祖の料理は。おまけにケッタイで、類のないやうな味だけれども、然し料理の根本は保守的であり、型、公式、常識そのものなのだ。(坂口安吾「教祖の文学――小林秀雄論――」初出:「新潮 第四四巻第六号」1947(昭和22)年6月1日発行) 自らを安吾になぞらえるつもりは毛頭ないにしろ、特に柄谷の超自我と欲動解釈については《あまり自分勝手だよ、教祖の料理は。》としか言い