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天皇の語った開戦と、敗戦の原因: 轟亭の小人閑居日記 馬場紘二
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天皇の語った開戦と、敗戦の原因: 轟亭の小人閑居日記 馬場紘二
○9月6日の御前会議(昭和16(1941)年) 「九月五日午後五時頃近衛(文麿首相)が来て明日開かれる御前... ○9月6日の御前会議(昭和16(1941)年) 「九月五日午後五時頃近衛(文麿首相)が来て明日開かれる御前会議の案を 見せた。之を見ると意外にも第一に戦争の決意、第二に対米交渉の継続、第三 に十月上旬頃に至るも交渉の纏らざる場合は開戦を決意すとなつてゐる。之で は戦争が主で交渉は従であるから、私は近衛に対し、交渉に重点を置く案に改 めんことを要求したが、近衛はそれは不可能ですと云つて承知しなかつた。」「私 は軍が斯様に出師準備を進めてゐるとは思つて居なかつた。」 「翌日の会議の席上で、原(嘉道)枢密院議長の質問に対し及川(古志郎軍 令部総長)が第一と第二とは軽重の順序を表はしてゐるのではないと説明した が、之は詭弁だ、と思ふ。然し近衛も、五日の晩は一晩考へたらしく翌朝会議 の前、木戸(幸一内大臣)の処にやって来て、私に会議の席上、一同に平和で 事を進める様諭して貰ひ度いとの事であつた。それ