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文脈病―ラカン・ベイトソン・マトゥラーナ 斎藤環 青土社 (感想その5「インターネット上の論客が致命的に物足りない理由」) 【▲→川俣晶の縁側→過去形 本の虫→感想編】
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文脈病―ラカン・ベイトソン・マトゥラーナ 斎藤環 青土社 (感想その5「インターネット上の論客が致命的に物足りない理由」) 【▲→川俣晶の縁側→過去形 本の虫→感想編】
本書をやっと読み終わりました。 最後の方はとても歯ごたえがありすぎて、文書を追うだけで精一杯。疲れ... 本書をやっと読み終わりました。 最後の方はとても歯ごたえがありすぎて、文書を追うだけで精一杯。疲れ果ててしまいますが、それでも意味が分かったなどとは到底言えない状況です。 しかし、示唆されること、刺激を受けることが多く、いずれもう一度読み返したいと思います。読み返して征服する価値がある希有な本に出会った気がします。 とりあえず、読み終わった時点での感想が2つありますが、テーマが違うので分けて書きたいと思います。 まずは1つめ。 ベイトソンの学習理論という話が、インターネット上の論客が致命的に物足りない理由を説明する理由になっているのではないかと、(まったく正しい保証は何もないにもかかわらず)、思ったことです。 ただし、私自身が正しく本書を読めていると考えるのは全く無理のある仮定なので、以下の文章は無根拠の感想文に過ぎないことをお断りしておきます。ここに書かれたことを信じてはいけません。 ベ
2007/08/03 リンク