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初等数学教育をとりまく、私が感じる“ねじれ”を整理してみる | TETRA'S MATH
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初等数学教育をとりまく、私が感じる“ねじれ”を整理してみる | TETRA'S MATH
私はこのブログで「ねじれ」という言葉をたびたび使っていますが、何がどうねじれていると思うのか自分... 私はこのブログで「ねじれ」という言葉をたびたび使っていますが、何がどうねじれていると思うのか自分でもぼんやりとしたままなので、ここらでちょいと整理してみることにします。 まず、私のなかの実在論と反実在論のねじれがありましたが、この件についてはその後変遷があり、フレーゲにとって「客観性」とはどういうことかで、自分が何に拒否反応を起こしているかを少し整理することができました。私が拒絶しているのはある種の客観主義であり、それは、「正解は1つでもうそれは決まっていて動かない。あとは(それを知らない)あなたがそれを知るか、(それを理解していない)あなたが理解するか、(それを認めていない)あなたが認めるかどうかの問題だ」というようなスタンスだ、と。このようなスタンスをAとします。 同時に、「正解は決まっていないのだ、決まらないのだ、決めようがないのだ、人によって異なるのだ、考え方しだいなのだ」と完